「自立した登山者」育成に必要な、登山の主体的な学びを推進する学習環境構築のためにできること

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山岳遭難事故を減らすために必要な対策の1つが「自立した登山者の育成」。現在の社会状況を考えると、従来の「山岳会・クラブ」による育成方法では困難な今、日本大学工学部の嶌田聡教授は、「主体的な学びの実現」による取り組みを提唱する。その方法の概要と、これからについて説明する。

 

2016年の11月、日本大学工学部嶌田研究室では、本Webサイト(ヤマケイオンライン)上で「登山技術の学びと山岳遭難に関するアンケート調査」を実施させていただいたきました。

★登山技術の学びと山岳遭難に関するアンケート調査結果はこちら

私の研究テーマと、アンケートを実施した経緯について説明すると――。

近年、山岳事故や遭難が多発し、大きな社会問題のひとつとなっています。最近の山岳遭難の傾向を見ると、「初心者向けの登山コースでの道迷い」、「滑落や転倒などによる事故」が増えていて、里山での事故も少なくありません。

そもそも登山は、自然のなかで歩くという、人間の基本的な行動や生活の延長にあるものです。一方で、安全に楽しく活動するには、技能・知識・体力など多岐にわたる要素が複雑に関連し、複合問題を適切に処理・解決していく能力が求められます。

その技術・知識を得るために、山岳会などの組織に所属して学ぶ方法がありますが、現状では組織に所属する登山者は減少する一方です。

組織に所属しない理由はさまざまでしょう。例を挙げてみると以下の通りで、

  • 自分のペースで登山活動を行いたい。

  • 自分に合った山岳会を見つけるのが難しい。

  • 登山に関する情報が至るところで発信されていて自力でも活動できる。

  • 熟練者の高齢化により山岳会側で受け入れの体制が不十分。

などが考えられます。このような現状を考えると、かつてのような山岳会などの組織を前提とした登山者の育成には限界があり、実態にマッチした育成方法の確立が喫緊の課題と言えるでしょう。

遭難事故防止に向けて登山届の提出を義務付けたり、ヘルメットやGPSなどの携行を推奨したりするなどの取り組みだけでは、根本的な解決にはなりません。

抜本的に山岳事故を減しながら登山を発展させるには、「自立した登山者」を育成する環境の構築こそが最重要課題であると考えています。

このような状況を受けて、日本大学工学部嶌田研究室では3年ほど前から従来の組織化を前提とした育成ではなく、ネットワークを介したコミュニケーションやネットコミュニティの力を借りて、登山者の主体的な学びを支援する方法について検討を行っています。

その研究の一環として行ったのが、昨年のアンケートでした。アンケートでは主に「山岳会に所属していない人の学びの実態の把握」と、「ヒヤリハット体験の収集」を行い、さまざまな角度から分析しました。

 

調査結果から見えてきた「実践的な知識や技術の不足」

その結果、登山の学びついては以下の結果が得られました。

  • 登山の知識は紙メディアやネットメディアを用いた自己学習が圧倒的に多く、人からの指導や伝承は少ない。

  • 登山技術の実技技能を受ける機会が極端に少ない。一度も実技講習を受けたこともなく登山活動を行っている人が多い。

  • インターネット上の登山報告記事を閲覧する習慣が定着していて、登山の計画策定や直前での調査でほぼ全員が常時利用している。

  • 他人の登山報告記事から登山の知識を学んでいる人は多い。

  • 遭難事故報告書への利用意識は高く、閲覧している人は約90%と多く、事故報告書から登山の知識・技能や精神面・意識の変化の点で学んでいる。

また、収集したヒヤリハット体験からは、主に道迷いと転倒・滑落を対象に、登山の学びの到達レベルについて分析しました。その結果、学びの効果はある程度確認できたものの、より実践的な知識や技術が十分ではないことも分かりました。

 

多くの実体験を共有できるシステムに向けて

ところで、何故こうした研究をはじめたのかについて、私自身の経験も振り返りながら少し説明しておきましょう。

私が本格的に登山を始めたのは大学入学後の大学山岳部でした。1980年代の初頭は、どの大学でも山岳部は10~20名くらいの部員がいて、活動は活発でした。登山の知識や技術については先輩から教えてもらいましたが、実は、直接教えてもらったのは基本的な知識やルールが大勢を占めていました。

当時を振り返ると、実体験の中で観察したことを下山後に振り返ることで、教えられた基本的な知識を使える知識へと発展させ、状況に応じて適切に対応できる実践的な知識を身に付けさせたものは、自分自身だったと思います。

先輩と山にいく度に経験を積み、自分で学び、次の登山で検証していくことを繰り返すことがレベルアップの源でした。数年後には後輩を連れて行くことになりましたが、同じような行動を継続していたと思います。なお、これらの学習過程では、部員や他の組織の方との体験や情報の共有、意見交換などを通じて達成できたのは言うまでもありません。

つまり、山岳部に所属することで学習環境を提供してもらい、その環境を余すことなく活用して主体的に学んでいたといえます。そして、山岳会のような組織に所属してリーダーとして活躍している方のほとんどは、このような取り組みを実践していたと思われます。

昨年度のアンケート調査によりますと、登山を継続的に行っている人は向上心・知識欲・リスクに対する意識が高く、基本的な知識獲得はある程度できていることがわかりました。一方で実践的な技術や知識については、不足している方が多いようです。

やはり、実体験の振り返りを通じて使える知識や技術をステップアップさせる部分は、何かが(誰かが)強力に支援する必要があると感じています。

天気のよい昼間に、きちんと整備された登山道をただ歩くだけの体験を何百回と行っても、登山の主体的な学びは進展しないでしょう。重要なポイントは「実体験」で、よい体験を繰り返すことが登山者の育成となります。

登山は個人の主体的な活動です。自分で目標を設定し、計画をたて、行動し、評価するものと考えています。主体的な学びを展開していくには、登山者の指向や登山の目的に合致していて、その人にとって未知の経験で何を学べばよいかが発見できる適切な経験が必要になります。

組織に所属していない人にも、このような適切な体験をインプットできる方法として、「自分が遭遇しそうで、ありうると思えるような他人のヒヤリハット体験」が有効と考えられます。

昨年度のアンケートでは2週間足らずで約200件の質の高いヒヤリハット体験記事を収集することができました。この一部については、私の研究室で運営している登山の学びのサイト(http://yamanabi.net)で公開していますのでぜひ閲覧してください。このようなヒヤリハット体験をさらに収集して拡充させるとともに、この疑似体験からの学習方法を、今後は検討していく予定です。

2017年も11月中旬より、ヤマケイオンライン上で、さらなるアンケートの実施を行いたいと思っています。前回のアンケート結果を踏まえてブラッシュアップしたものを、現在調整中ですので、ぜひご協力いただければと思います。

日大工学部嶌田研究室で運営するWebサイト、「登山の知識&ヒヤリハット」

プロフィール

嶌田 聡(しまだ さとし)

1961年、滋賀県生まれ。金沢大学卒、工学博士。2013年より日本大学工学部電気電子工学科教授。
画像・映像処理を扱うメディア情報学やマルチメディアを活用した教育工学が専門で、スポーツ、登山、看護などの分野での技能コンテンツの作成や、持続的な知識創出を可能とするソーシャルラーニングの研究開発を行っている。
登山については大学山岳部で始め、以来、継続してクライミング、冬季登攀、山岳スキーなど幅広く活動。山岳ガイドとして登山者の育成も実践している。
 ⇒日本大学工学部 嶌田研究室「登山の知識&ヒヤリハット」

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