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主要山域

立山連峰

立山連峰

 飛騨山脈(北アルプス)の北部は、黒部川下廊下のⅤ字谷を間にして西に立山連峰、東に後立山連峰が北から南へ連なっている。
 後立山とは越中の立山側から見て立山の後ろにある山、ということで、この命名法は立山がいかに早々と開かれていたかの証拠でもある。
 たしかに立山は信仰の山として日本で最も古く開山された山の1つに違いない。
 立山縁起によれば、大宝元年(701)に越中の国司、佐伯有若の子有頼が、白鷹の導きで山中に阿弥陀三尊を拝し、立山大権現を勧請したという。天台・真言両宗の修験の山だったが、多くの講中が登拝するのは江戸期のことだ。江戸時代には前田藩が「奥山廻り役」に命じて黒部源流の山々に至るまで踏査するほどで、広義の立山連峰が毛勝(けかち)三山から薬師岳、三俣蓮華岳辺りまで含めるのは当時のなごりでは、と推察される。
 現在ではもっとずっと狭く、立山三山と剱岳、大日三山ぐらいの範囲を立山連峰という。
 中央構造線(フォッサマグナ)の西縁にあたり、激しい隆起が起こったことは、黒部峡谷の廊下と呼ばれる高度差1200mもの鋭角Ⅴ字形の浸食を見てもうなずける。同時に立山火山の活動による弥陀(みだ)ガ原や五色ガ原の溶岩台地の誕生など、造山活動の激しさが想像できよう。
 飛騨変成期の花崗片麻岩や古期閃緑岩の明るい山体には氷河の刻印も押されている。室堂から見られる大汝(おおなんじ)山西面の山崎カール(天然記念物)をはじめ、東面に十数カ所の懸り圏谷地形があり、白萩(しらはぎ)川上流や御山(おやま)谷などのU字谷、氷食尖峰(冠帽)の剱岳などである。
  大日三山も修験の山で、剱岳の遥拝地になっていた。さらに剱岳の頂上に遺されていた平安時代の錫杖の頭の謎など、昔から人と立山との関わりは深いものがある。
 近代登山の舞台として忘れられないのは、冬山遭難の最初が立山だったことだろう。大正12年(1923)1月に、槙有恒、三田幸夫、板倉勝宣のパーティが松尾峠で遭難、板倉勝宣が亡くなっている。近代登山史の暗い一頁である。
 かつて富山平野から延々と登りつめた道は、現在はアルペンルートに変わっている。電車、ケーブルカー、高原バスと乗り継ぎ乗り換えて、終点室堂まで歩くこともない。しかも信州の大町から黒部ダムを経て室堂に至るコースと1つになり、一大山岳周遊コースが大勢の観光客と登山者を運んでいる。
 日本の自然と神と人との関わりが、霊峰立山で象徴的に変わってきたといえようか。
 しかし、立山連峰も五色ガ原以南の山は、静けさの中に昔の姿をとどめている。

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立山連峰の主要な山

立山

3,015m

剱岳

2,999m

薬師岳

2,926m

別山

2,880m

龍王岳

2,872m

真砂岳

2,861m

奥大日岳

2,611m

越中沢岳

2,592m

大日岳

2,501m

毛勝山

2,415m

猫又山

2,378m

僧ヶ岳

1,855m