羊蹄山
支笏洞爺国立公園西端にあって、別名蝦夷富士とも呼ばれる、均整のとれた成層火山。アイヌ語でマチネシリ「女山」ともいわれ、マツカリヌプリ「後方に対をなして一方にある山」とも称される。近くの尻別岳はピンネシリ「男山」で対にして夫婦山とされている。ほかにも山麓を流れる尻別川から転訛してシリベシ(水際の険しい川)山の名称もある。
羊蹄山の山名は元明元年(1781)松前広長の『松前志』にすでに登場している。幕末の蝦夷地直轄で、松浦武四郎は国威を示すため『日本書紀』の中で阿倍比羅夫が後方羊蹄に政庁を置いた事例を引き合いに出した。そして、この山を後方羊蹄山(シリベシ山)と名づけ、正史に近い扱いをしている。第2次世界大戦中は蝦夷征伐が国史として扱われ、後方羊蹄はいやがうえにもあがめられたが、いまやその名も失せ、元の羊蹄山の山名に戻っている。頂上の一等三角点の名称が「真狩(まつかり)岳」であるため、昭和初期に小学校地理教科書に真狩岳を採用していた時代もあった。
この山の開拓は早く、明治38年(1905)倶知安村の河合篤叙が蝦夷富士登山会を設立し、比羅夫(ひらぶ)コースの登山道を開削し、休憩所を設けた。大正11年(1922)には9合目に石室「雲上閣」を建造し、登山の啓蒙と普及に務めた。積雪期登山の記録としては、明治45年(1912)4月、レルヒ中佐が、倶知安(くつちやん)からほぼ夏道沿いにスキー登山を行っている。
登山コースとしては、古くから開けた比羅夫から半月湖を経てジグザグに登る。このコースに沿った地帯は高山植物の種類も多く「後方羊蹄山の高山植物帯」として、国の天然記念物に指定されている。
9合目の避難小屋に泊まって御来光を眺め、頂上に立つのもよいだろう。頂上には父釜、母釜、子釜と呼ばれる噴火口があり、最大の父釜は周囲約2km、深さ200mほどある。
京極(きようごく)コースは銘水「噴き出しの水」がわいている、ふきだし公園から入山し、沢沿いの登山道を行く。9合目付近は火山礫の崩壊地で、斜面が急なので注意を要する。
留産(るさん)コースは京極と真狩を結ぶ車道に面して登山口がある。4合目は沢の浸食で、登山道が崩れているので注意したい。
真狩コースは設備の整っている羊蹄山自然公園から入山する。9合目近くでガレ場をトラバースしなければならない。所要時間はいずれも頂上まで約5時間。
なお、4コースとも途中に水場はないので、必ず水筒に水を満たしておきたい。
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