雲取山・飛竜山(富田新道/東日原・八丁橋~丹波)~首都の大展望台からの初日の出
小雲取山1937m・雲取山2017m・飛竜山2077m・前飛竜1954m・熊倉山1624m( 関東)
パーティ: 3人 (イガドン さん 、ほか2名)
小雲取山1937m・雲取山2017m・飛竜山2077m・前飛竜1954m・熊倉山1624m( 関東)
パーティ: 3人 (イガドン さん 、ほか2名)
1日目:快晴、2日目:快晴
バス
その他:
【往路】JR青梅線奥多摩駅から西東京バスで東日原バス停下車
【復路】丹波バス停から西東京バスで終点・奥多摩駅下車
【1日目】
東日原(09:00)・・・小川谷橋・・・八丁橋(10:00)・・・大ダワ林道分岐(11:15)・・・唐松橋(11:25/12:05)・・・富田新道入口(野陣尾根取付)・・・小雲取の肩(15:00)・・・雲取山(15:45)
【2日目】
雲取山(08:15)・・・三条ダルミ(08:35)・・・狼平・・・北天のタル(10:40)・・・飛龍権現(11:30)・・・飛龍山(大洞山)(11:45)・・・飛龍権現(11:55)[休憩 65分]・・・前飛龍(13:30)・・・熊倉山(14:50)・・・サオラ峠(15:20)[休憩 15分]・・・丹波(16:50)
【回想/1日目】12月31日大晦日、平成4年(1992)の最後を飾るのは大東京の最高峰・雲取山。雲取山は過去5度の登頂を果たしている最も馴染み深い山である。メンバーは先月の御前山以来のくわとう、ホブ、私の計3名。天候は朝から晴れており期待できそうである。新調した望遠ズームレンズ(70~210mm)でザックはいくらか重く感じるが、山座同定がますます充実するのではないかとこちらも期待である。
JR青梅線奥多摩駅から西東京バスに乗車し、終点の東日原バス停で下車。ここから延々と続く日原林道を歩き続ける。朝晩冷え込むことを予想しスキーウェアを着用して歩き始めたがすぐに暑くなり上は脱ぐことにした。
日原林道と分かれ沢すじを暫く進むと唐松橋に出た。この橋の脇で昼食を摂る。昼食後は早速、野陣尾根の連続する樹林帯の急登で全員いささかバテ気味になる。途中の指導標には所々わいせつな落書きがあり興ざめする。わざわざ山に来て落書きをする必要はない。山を汚しに来る不良登山者に憤りを覚える。
高度を上げると天祖山が大きくなり、その奥に三ッドッケ、蕎麦粒山、川苔山、本仁田山が連なり、石尾根や長沢背稜の山並みも近くに見える。やがて富士山が見えてくると小雲取の肩はすぐで、最後の急登を登りつめると小雲取山に出た。一気に辺りが開け、正面に富士山、左手に七ツ石山が近く、右手には飛竜山が大きい。風がないので日射しの助けもありこの時期としてはポカポカ陽気。雲取山山頂までの防火帯は早くも新芽が出ているのか若干緑がかって見える。
リニューアルして輝いている雲取山避難小屋は雲取山南峰でハイカーで賑わっていた。その先の北峰が最高点で、冬の空気の澄んだ中での眺望は素晴らしいものがある。山頂に到着した頃はまだ日が高かったが、黄昏時までこの眺望を堪能し、山頂直下の少し不安定な場所にテントを張った。テントに入ると夕食前にくわとう持参の地酒「泉流・越乃白雪」とホブが持参した「ジン・ビーム」を楽しんだ。飯盒めしもうまく炊け満腹になったところで床についた。外は無風状態で眠りやすかった。
しかし年が明ける間近の23時半ごろ目が覚めると、張った場所が悪かったせいか、テントが大きく傾きはじめ歪なかたちになり今にも転がり落ちてしまう寸前の状態になっていた。急いで荷物を全て外に出し、テントごと移動。やむを得ず山頂のど真ん中に張ることにした。一件落着した頃に年明けをラジオと腕時計で確認。意外なかたちの年越しとなった。目覚めついでに東京の夜景を俯瞰。くわとうが「この光は全て人間がつくったものだ。人間は偉大だなぁ」としみじみ語っていた。さすがに深夜になると気温が下がりマイナス12度、テント内はすでに凍りついており、寒さのせいで年が明けてからは殆ど眠れなかった。
【回想/2日目】それでも明け方にウトウトし、テントの周りがざわついてきたのに気づき目が覚めた。外には優に100人を越える人たちが初日の出を「いまかいまか」と待ちわびているところだった。ハプニングがあったにせよ、山頂のど真ん中にあるテントはさぞかし邪魔だったろう。そして6時50分ごろ、平成5年(1993)最初の太陽が人々に希望を与えるべく昇ってきた。その瞬間一斉に歓声が上がった。初日の出の一瞬が過ぎ去ると、あれだけいた大勢の人たちが消え失せて辺りに静けさが戻った。雲取山荘と雲取ヒュッテに大勢の登山者が宿泊していたのだろう。
早朝の雲取山山頂からは昨夕見えていなかったものまでが見えていた。ほぼ360度の展望は、富士山から大菩薩連嶺、飛竜山の奥に南アルプス(聖岳~甲斐駒ヶ岳)が、奥秩父の山々と、国師ヶ岳~木賊山の間に真っ白な赤岳が頭を覗かせている。御座山、和名倉山の奥には北アルプスも見えている。北面には両神山の上に浅間山もくっきりと見える。首都東京の大展望台のすごさを思い知らされた瞬間であった。
テントを畳み飛竜山へ向けて出発した。石尾根を照らす朝日が眩しかった。三条ダルミからの奥秩父主脈縦走路はアップダウンのある尾根道で、左前方の富士山を眺めながらの歩きになった。飛竜山に近づくにつれ積雪が多くなり、北天のタルからは滑りやすくなり転倒が相次いだ。さすがに2000m級の稜線である。悪戦苦闘しながらも3時間強で飛竜山直下の飛竜権現に到着、ここで昼食を摂った。食後は空身で飛竜山山頂を往復。2度目の登頂だが相変わらず樹林に包まれた山頂だった。引き返した後展望の良いハゲ岩へ向かった。飛竜権現からはすぐで、奥秩父屈指の展望台といわれるだけあって申し分のない眺望を得ることができた。新調の望遠ズームレンズも活躍した。富士山、白峰三山、悪沢・赤石・聖岳、そして浅間山をしっかり撮影、断崖絶壁の展望台を堪能した。
ハゲ岩を後にし、前飛竜方面へ下る。前飛竜付近でキジを撃つ。下るにつれて両足にマメができそうな痛みを感じ、こらえながら進む。サオラ峠を通過し丹波の街が見えてくるもののなかなか近づかない集落に疲れが増してくる。黒川鶏冠山の向こうに夕日が沈んだ頃ようやく下山できた。ホッとしたのも束の間、奥多摩駅行きの終バスはすでに行ってしまっており途方に暮れていたが、傍らの売店のご主人がタクシーを呼んでくれて一安心、無事に帰宅の途についた。
くわとうは4月から就職のため北海道へと旅立つ。本人曰く「雲取に始まり、雲取に終わった」と、学生時代を感慨深げに振り返っていた。
ダウン・化繊綿ウェア | レインウェア | 登山靴 | バックパック | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
傘 | タオル | 帽子 | グローブ | 地図 | コンパス |
ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | 登山計画書(控え) | ナイフ | ロールペーパー |
非常食 | 行動食 | テーピングテープ | ライター | カップ | クッカー |
【その他】 生米(2~3合)、酒類各種 |
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