行程・コース
天候
晴のち曇
登山口へのアクセス
バス
その他:
【往路】JR五日市線武蔵五日市駅から西東京バスで沢渡橋バス停下車
【復路】荷田子バス停から西東京バスで終点・武蔵五日市駅下車
この登山記録の行程
西東京バス沢渡橋バス停(06:55)・・・採石場(07:30)・・・刈寄山(08:15/08:35)・・・入山峠(08:50)・・・市道山(10:40/11:45)・・・臼杵山(12:50/13:10)・・・荷田子峠(14:10)・・・西東京バス荷田子バス停(14:20)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想】本年5月5日の天祖山山行で偶然知り合った髙橋さんと再びご一緒する機会に恵まれた。10月から計画を立て始め、旗くんは今回も参加できず、結局、前回同様松ちゃんを加えた3人による山行となった。そして当日、半年ぶりの夢の競演ならぬ再会。西武線小平駅で松ちゃんと待ち合わせし、拝島線に乗り込む。車窓ごしに東の空が珍しく真っ赤に染まっていた。松ちゃんはその朝焼けを指さしながら「いやらしい空だ!」と連呼していた。
JR拝島駅には我々の方が先に着いたようで、五日市線1番ホームでお待ちした。2番ホームに青梅線が到着してしばらくするとお辞儀をしながら階段を下りてきた髙橋さんが近づいてきた。再会のご挨拶を済ませ、車内では早速この半年間の山行を中心に各々の近況報告で会話が盛り上がった。髙橋さんが絶賛したのは、やはり松ちゃんの今夏のビッグイベントである。なんと日本海沿いの親不知から北アルプスを縦走、一旦下山後、再び南アルプスを縦走し太平洋岸の焼津までを公共交通機関に頼ることなく約40日間で完全踏破したその心身の強靭さに感心していた。まさに”グレートトラバース前史”ともいえる松ちゃんの快挙の歩みだ。武蔵五日市駅からバスに乗り沢渡橋で下車。そこから採石場までの林道でもこの話題が中心になった。
刈寄山までの道は急登の連続だ。戸倉三山が1,000mに満たない低山でありながらボリュームのある山々といわれているのは登り始めのこの時点ですでに感じられた。それでも標高がないため、8時すぎには刈寄山に到着。早くも三山の1つに到達することができた。展望は効かないと思われた山域だが、刈寄山山頂はちょうど伐採が済んだばかりのようで南から東面にかけての眺望が開けていた。眼下にある入山峠から右にこれから向かう市道山方面への尾根が伸びており、その奥には生藤山辺りから陣馬山、その先には裏高尾の尾根道を左に辿っていくと高尾山に行き当る。更に奥の丹沢山塊と、右手奥にはいつもよりどこか低く見える白い富士山があった。山頂での小休止は眺望を楽しむとともに、髙橋さんから3つもお裾分けいただいたみかんを堪能、朝からフルーツを食し松ちゃんと感激していた。
一時、入山峠を横切る林道をバイクが通過する音で騒がしかったが、山頂を出発し峠に下りたった時にはバイクの姿はなく静けさが戻っていた。ここから市道山までの稜線はアップダウンの連続で、ひんやりとした空気とは裏腹に、身体は徐々に火照ってきていた。
歩きながらの話題はいつしか、かつての武蔵野の姿になっていた。髙橋さんは10数年前くらいにはよく山菜採りに八王子の裏山辺りに出かけたそうだが、その頃は林道から少し入った場所一面に山の幸が群生していた。しかし今では宅地造成されてしまい見る影もないとのこと。かつての武蔵野がいつ滅びてしまったのかは定かではないが、今から10年前、つまり昭和56年(1981)頃まではまだそういった場所が残っていたということになる。たしかに小平あたりでも当時は近所にまだ砂利道だの、空地だと、何より武蔵野の象徴である雑木林が点在していた記憶がある。しかし4~5年前くらいから著しい地価高騰(いわゆるバブル経済)によってその殆どが宅地化してしまっている。その波は都心からどんどん多摩西部へと広がりを見せているのだろう。話題変わって、私が山行の折に毎回、国土地理院2.5万図とガイドブックの双方を持参していることについて、3年前に甲武信ヶ岳単独行で遭難した際にガイドブックを持ち合わせていなかったことの教訓によるものと伝えるとお二人とも納得し頷かれた。
結構長い間のアップダウンで、刈寄山の姿が小さくなってきた頃、北面が開けた伐採地に出た。そこからは行く手の臼杵山の奥に凛々しい大岳山の姿があった。陣馬山方面に伸びる吊尾根の分岐を過ぎてすぐのところが市道山山頂だ。一面樹林に覆われているこの山頂で昼食を摂ることにした。
食事の準備をしながら再び歓談の時間に入った。髙橋さんのご子息は我々より一歳年上で、現在大学の文学部で中国哲学を専攻されているとのこと。中国哲学とは道教を意味するらしく、これもなかなか奥が深い学問といえる。髙橋さんが私に「経済学はすごく遣り甲斐のある学問ではないか。」とおっしゃられたが、あらためてその通りだと感じた。これからの世の中、経済を無視しては語れないのは事実だろうし、また他の学問との様々な結びつきが大切に思われる。ただ、今学んでいる大学の経済学は(マルクス経済学を中心に)かなり時代遅れのような気がしてならないのも事実だ。一方の松ちゃんは歴史好きの私が「なぜ経済学部なのか?うちの親も言っていた。」と疑問に思っているらしい。まあ、大学では経済学部に縁があったというだけの理由なのだが。
この戸倉三山にはそれほど登山客はいないと予想していたが、山頂で休憩しているうちに臼杵山方面からぞくぞくと登山者が現れることになる。登ってくるのは玄人好みの山らしく、いかにも経験豊富そうな中高年登山者ばかりだ。市道山山頂を後にしてすぐの急下降で雲取山を遠望することができた。1,500m級の山々が聳える中、標高800m附近から視界を遮ることなく雲取を遠望できるのは奇跡的なことだ。臼杵山までの道は、前半の刈寄山~市道山間のアップダウンに比べるとかなり楽に歩を進めることができた。
戸倉三山最高峰の臼杵山山頂も御多分に漏れず樹林に囲まれ、三山中最も薄暗い山頂だったが、三山全てを1日に踏破できた満足感に充ちていた。しかし我々にはもう一つ越えなければならない”山”がある。そう、”第4の登頂”、まさに下山後のビールにたどり着くことである。
臼杵山を立ち去ってからしばらく進むと東面が開けた伐採地があり、新宿の高層ビル群が肉眼でもはっきり確認できた。一方で空模様はどんどん怪しくなり、早く下山しろ!と急き立てられるような気分になるも雑談交じりの下りにより、時間を感じさせないほど足は進み14時20分には下山口の荷田子に到着。近くの売店で買い出しの後、新矢柄橋の下を流れる秋川の河原まで下り、いわゆる”第4の登頂”の時を迎えた。
空は依然としてどんよりしているものの、心は晴れ晴れ。晩秋の清流を目の前に、まずは季節限定のサッポロ冬物語で乾杯。疲れた身体にビールが染み渡りすぐに酔いが回ってきた。こうなるとつまみを片手に自然と歓談のボルテージが上がっていく。髙橋さんが松ちゃんの夏のビッグイベントを再び称賛したのに対し、当の松ちゃんは「別に何も役立っていない。」と応える。しかし、髙橋さんは「人間にとって”経験”とはとても大切なものです。」とおっしゃった。前回天祖山の際には「”自信”が最も重要。」と語られていたが、「様々な”経験”を繰り返す中で、人間としての真の”自信”へとつながっていくのだろうか。」と自分なりに解釈した。髙橋さんはさらに「1つの”経験”が即座に何かの役に立つというものではない。即効性はないが、長い時間を経て少しずつその意義が現れるものだ。」といった趣旨のお話をされていた。確かにその通りかもしれない。また1つ学ぶことができてうれしい限りだ。
缶ビールが空く頃には髙橋さんの語りはいよいよ熱がこもってきて、我々もどんどん引き込まれていくことになる。話題はいまの不動産の実態へと移る。大学生の我々にとってはニュースで耳にする程度の知識しかない未知で新鮮な話題だ。バブル経済のもと、日本中誰も彼もが土地を買い漁っている現状に苦言を呈しながらもわかりやすく解説していただいた。中でも印象的だったのは、そもそも土地を所有しているなんて大手を振っていることに問題がある。戦後の混乱期には土地の権利が随分いいかげんに扱われた事実がある。人々がこの土地を”所有”ではなく”居有”する権利を持っているくらいの謙虚な気持ちを持っていれば、頻発する土地をめぐる問題も起こらないはず。やはり人間の際限のない欲望と驕りがトラブルを引き起こしている、といった趣旨のお話に共感するばかりだった。果たして、土地は国家のものであり、我々は限られた土地を使わせていただいている、つまり(こういう言葉はないが)居有権=ここに住む権利を有しているくらいの方がみんな幸せに暮らせるのではないか、とふと思うのだった。
いつの間にか辺りは暗くなり、先ほどまで河原にいた親子連れなどは皆引き揚げてひっそりとしていた。折から雨もパラついてきたので場所を移動。荷田子バス停近くにある檜原街道沿いの駐車場脇で傍らにあったビールケースを逆さにして座り、先ほどの売店で再度ビールとつまみを調達し歓談もナイター、延長戦に突入した。髙橋さんは「私は大学生活を送ったことはないが、学生時代にやるべきはとことん語り合うことではないか。」とおっしゃった。さらに「私はこれまでやりたい放題、言いたい放題生きてきました。今までお話したことも全て私の勝手な考えにすぎません。まさにわがまま人生だ!」と最後は笑いながらおっしゃっていた。「いやいや、私にとっては刺激的なお話ばかりでとても勉強になっています。」とお応えした。気づいたら一人1.7リットルものビールを空けていたのは驚いてしまったが、今回も充実のひとときを過ごさせていただいた。今後、高橋さんとの同行が年中行事になりそうな予感で、次の機会を楽しみにしたいと思う。
拝島駅で髙橋さんと別れた後、例のごとく松ちゃんと1番ホームにある立ち食い蕎麦屋「あずみ」に立ち寄った。この蕎麦屋をめぐっては以前「かけそば」と「天ぷらそば」の違いで揉めた過去があったが、いまは良い語り草になっている。これからも山の帰りにはぜひ寄りたいと思う。
西武拝島線の車内では松ちゃんが音楽に造詣が深いことをはじめて知りビックリ。「松ちゃんがクラシック?」の発言に、「それはバカにしている!」と怒る松ちゃんであった。
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