行程・コース
この登山記録の行程
陣馬高原下(10:05)・・・新道登山口・・・和田峠(10:55/11:00)・・・陣馬山(11:15/11:55)・・・奈良子峠・・・明王峠(12:15)・・・底沢峠・・・堂所山・・・景信山(13:10/13:15)・・・小仏峠(13:35/13:45)・・・城山(小仏城山)(14:05/14:10)・・・大垂水峠分岐・・・高尾山(14:50/15:05)・・・薬王院(15:15/15:25)・・・JR中央線高尾駅(15:50)
高低図
標準タイム比較グラフ
登山記録
行動記録・感想・メモ
【回想】まだ昭和62年(1987年)の登山は終わっていなかった。今年最後の山行は初の単独行しかも自転車登山だ。青空が見えるまで出発を見合わせていたこともあり、予定より38分遅れで出発した。本来八王子方面へ向かう際は国分寺・府中経由で行くのが通例だが、今日は高校の試験休み中で見つかるとちょっと厄介なこともあり、クラス担任が住んでいる国分寺を通るのを避け、砂川・立川経由で日野橋へ向かった。日野から八王子市街にかけての国道20号線はこれまで何度も走っているので新鮮味はなかったが、追分交差点で右折し陣馬街道に入ると初めての道ということもあり気分も乗ってきて軽快な走りになった。恩方地区に入ると車の往来も極端に少なくなり、天気も良くなってきた。しばらく行くと浄福寺があり、この地にかつて浄福寺城という中世の城郭があったことを標識で知った。「この先、自動車はチェーン着用の事、積雪あり」の表示が出ていたが、自転車の走行はまだ問題なさそうだった。西東京バスの陣馬高原下バス停まで来た。ここから和田峠までは道路工事の真っ最中で、私が工事現場の傍らを進んでいると中年の作業員の人たちが「すげえな、オレたちなんか車で来ても疲れるのに自転車で来るとはな~。やっぱり若い者は強いぜ!」と感嘆の声を上げていた。しかし若者である自分もこの先非常に悪戦苦闘することになる。以前陣馬山から高尾山の自転車登山を成し遂げたタコ選手からは「ボクはいつも醍醐林道を通っている。」と聞いていたが、自分の自転車は林道は不向きと判断し、そのまま陣馬街道を進んだが、急坂の連続でとても自転車をこぐことはできない。ひたすら押して進むしかない。真冬だというのに汗が滴り落ちてきて暑い。陣馬高原下から和田峠までの区間で自転車に乗れたのは凡そ3分の1程度。あとは押し歩くことになった。残念ながらこの道は自転車で登る道ではなかったようだ。それでも普通に歩くコースタイムよりも早く和田峠に到着した。シーズンオフで売店が閉まっている峠には、工事現場の若いお兄さんが1人立っているだけでひっそり静まりかえっていた。和田峠は山中における交差点の役割を成している。東は陣馬高原下を経て八王子追分で甲州街道と交わり、西は和田集落を経て藤野で甲州街道と合流する。南は陣馬山から裏高尾縦走路が高尾山まで続き、北は生藤山・笹尾根を経て三頭山にまで至る長大の稜線につながる、まさに「峠」という字が示す「山の上」と「山の下」が交差した場所である。北の生藤山方面を目指したい気持ちもあったが時間の制約もあり、予定通り陣馬山を目指した。階段状の直登ではなく、その左手にある山道を進んだ。始めのうちはこぐこともできたが、山頂に近づくにつれ勾配が急になり、息を切らしながら押していった。
三等三角点峰の陣馬山山頂に到着した。積雪は結構あり足元はぬかるんでいた。晴天に恵まれ好展望の山頂ではシャッターを押し続けた。富士山は望めなかったが、北面は生藤山(実際は茅丸)、その奥に御前山や大岳山。西に目を転じると大菩薩連嶺、南面には道志、丹沢の山々が連なっている。写真を撮り終わり食事の準備を始めたが、自転車を担いできた私の姿に周囲は驚きの反応を示していた。山頂に着いた時点では全く考えていなかったが、食事を済ませたところで大きな決断を下した。このまま高尾山まで縦走することにした。積雪は覚悟の上だ。
陣馬山からの下りは雪が深く走りづらかったが、しばらく行くと降雪は一段落し緩い下りの樹林帯に入ると雪はなくなり快調な山中走行になった。自転車登山はもの珍しいのか、あるいは大変そうなのか、この先道行く人たちに幾度か声援をもらうことになる。歩けば40分かかる明王峠までの道をわずか19分で到達した。峠では休まず堂所山まで順調に進んだ。堂所山の巻き道までは「山道を自転車で駆け抜けるのは最高だ!」と本気で思っていたし、「このまま高尾山まで一気に進もう!」くらいに気分は高揚していた。
しかしここから事態は暗転する。雪ではなく泥に悩まされることになった。午前中は霜柱で凍っていた登山道が、気温の上昇と日射しにより溶けて山道がドロドロになってきたところを自転車で突っ込んだことで、前後輪のタイヤと泥よけの間に泥が入り込みダンゴ状になり始めた。次第にタイヤが回らなくなり始めた。悪いことに景信山へ近づくにつれ登りが多くなっただけでなく、時折下りになったところでブレーキをかけると泥詰まりの影響で前につんのめって危険なので結局押し歩く羽目になった。景信山直下ではいよいよどうにもならない状況に陥った。泥が詰まるたびに小枝で泥をかき出し対応していたが、ついに後輪が全く動かなくなってしまったのだ。回転する前輪だけを頼りに自転車ごと引き摺るかたちでようやく景信山山頂(3等三角点)までたどり着いた。泥との闘いを制したように感じたが、山頂も一面泥の世界。頼みの売店も閉まっており水分補給もお預け。「とにかく早く高尾山までいかなくては!」と休む間もなく田んぼのような山頂を後にした。
景信山を出てからも泥との闘いは続く。後輪の泥詰まりはますます悪化する一方でもはやブレーキをかけられないほどになってしまった。こうなると自転車は”お荷物”以外の何物でもない。ただただ引いて歩くのみ。急な下りの連続の後、小仏峠に着いた。ここで小仏集落へ下山する方法が一瞬頭をよぎったが、再び気合を入れて気持ちを奮い立たせて小仏城山への登りに挑むことにした。城山直下も景信山の登りの時と同様、道がかなり荒れていて悪戦苦闘を強いられた。
やっとのことで着いた城山山頂では2人の中年男性と言葉を交わした。その方たちが登ってきた相模湖へ下る道はやはり泥だらけだったようだ。もはやエスケープルートはないと確信し改めて高尾山に挑むことを決心した。小仏城山は後日わかったことだが珍しい4等三角点だそうだ。
城山から高尾山までの行程が今山行で最も過酷な状況だったといえる。泥と隠れ木の根の仕業でチェーンが2度外れ、後輪は全く動かなくなってしまった。疲労も頂点に達し、両足のふくらはぎが攣るのに加え、自転車を持つ腕もけいれんを起こし始めた。頭部が熱を帯び顔は火照り首は回らなくなるし肩のコリもひどくなってきた。最後は気合だけで山頂までの段差を登り切った。
泥と汗にまみれた姿で高尾山山頂(2等三角点)に転がり込んだような感じだ。憔悴し切った表情とは裏腹に、記念撮影したときの安堵感と言ったら言葉に表すことができないほどだ。山頂では2人のおじさんが温かく迎えてくれた。「どこから来たの?」の問いに「陣馬山から。」と応えると仰天していた。乾ききった身体を潤すため自動販売機で150円の缶ジュースを買い一気に飲み干した。150円は麓より割高だが、この時の缶ジュースは間違いなく150円以上の価値のある恵みの一缶になった。この缶ジュースによって疲れはどこかへ吹き飛び生き返った瞬間だった。
工事中の高尾山山頂部は荒れ気味で早く整備が進んでほしい感じだった。この時間になると展望も効かなくなっていたが、何より自転車で裏高尾縦走路を完結できたことは率直にうれしかった。下りは1号路を使った。途中薬王院では読経を聴く機会に恵まれた。JR高尾駅前で自宅に連絡し、そこから2時間足らずで帰宅。立川では空腹に耐えかねて焼き鳥を購入、美味かったのは言うまでもない。
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