蕎麦粒山・川苔山(ヨコスズ尾根・川乗林道/東日原~川乗橋)
蕎麦粒山1473m・桂谷ノ峰1380m・日向沢ノ峰1356m・舟井戸1240m・川苔山1363m( 関東)
パーティ: 2人 (イガドン さん 、ほか1名)
蕎麦粒山1473m・桂谷ノ峰1380m・日向沢ノ峰1356m・舟井戸1240m・川苔山1363m( 関東)
パーティ: 2人 (イガドン さん 、ほか1名)
西東京バス東日原バス停(08:40)・・・一杯水避難小屋(11:00)[休憩 25分]・・・蕎麦粒山(12:20)[休憩 50分]・・・日向沢ノ峰(13:45)[休憩 5分]・・・踊平・・・横ヶ谷平・・・曲ヶ谷北峰・・・東の肩・・・川苔山(15:45)[休憩 15分]・・・分岐・・・百尋ノ滝・・・細倉橋・・・西東京バス川乗橋バス停(18:45)
【回想】最初の出発は5時7分。タコ選手宅まで行ったが明かりがついていない。番犬”クリ”に吠えられつつも撫でながら勝手口のベルを10回以上鳴らしたが出てこない。一旦家に戻り電話で起こそうと掛けるがなかなか出ない。3度目の電話でようやく起きたらしく出てきた。タコ選手は朝食抜きで、近くのファミリーマートで昼飯を買い、私は前日のカメラ故障で失ってしまった補充用のフィルムを購入した。タイムロスは30分以上で、当然始発電車には間に合わない。2番電車も間に合うかどうか怪しかったので最寄駅まで自転車を飛ばした。駐輪場からも息を切らしつつ何とか2番電車の西武線に飛び乗ることができた。それでも序盤の遅れが響かないか心配していたが、国鉄青梅線拝島駅2番ホームに着くとそんな心配も吹き飛んでしまった。なんと当初乗る予定にしていた青梅線に間に合ったため行程の遅れは解消されたのだ。一方で空模様は少し心配になってきた。5時台の空は雲一つない快晴だったが、西へ行くに従い雲が多くなってきたのだ。それでも日は射していたので雨が降りそうな気配ではなかった。奥多摩駅に着き東日原行きのバスを待つ。11月の奥多摩はかなり冷え込んでいた。今日は土曜日なので奥多摩駅前はいつもより静まりかえっていた(当時はまだ週休2日制ではなかった)。学生と思しき登山者は我々だけだった。学校をサボったわけではない。開校記念日という権利を行使したにすぎない。登山者はおよそ30名ほどで、うち半数は丹波行きのバスに乗車。残りの半分が東日原行きに乗り込んだ。終点の東日原バス停で下車、地元の駐在さんと少し会話した後歩き始めた。周囲の山々は紅葉真っ盛りで、「紅・黄・橙」の広葉樹が山肌を彩っていた。序盤は単調な登りが続き、高度を上げると次第に紅葉した葉が散って、登山道一面に敷きつめられた絨毯へと変わっていった。整備された立派な一杯水避難小屋に到着したのは10時58分。小休止の間に火照った身体が冷えたのか、2人とも相次いでキジを撃ちに行った。避難小屋にあった登山者ノートには「キジを撃ちに行ったので小屋の北側には行かない方がいいよ、では。」と余計なコメントをしておいた。ここから先は紅葉は見られなかった。おおよそ1400mを境にそれより高い場所の紅葉はすでに終わりを告げたのだろう。仙元峠を巻いた後、蕎麦粒山へのヤブの深い尾根道を進んだ。3つほどピークを越え、ようやく開けた場所が蕎麦粒山山頂、それほど広くはないが東面と北面の展望が良い三等三角点峰だ。期待以上の山頂に感激の度合は大きかった。今にも落ちそうになっていた「都立日本橋高校山岳部」の標識を2本の釘で止めておいた。もう少しゆっくりしていたかったが、風の通り道なのか強風が吹き荒れ、寒さのあまり食事もあまり喉を通らず握り飯2個をほおばっただけで退散した。空模様は一段と怪しくなってきたこともあり先を急いだ。蕎麦粒山東面を急降下する。東日原からここまで誰にも会うことなく進んでいたが、ようやく2人の登山者とすれ違った。続いて、立て続けに2パーティー計8名の登山者と挨拶を交わしたが、その後は再び人影を見ることがなくなった。下りではタコ選手が頻繁に足を挫いてその度に奇声を発していたが誰にも聞かれていなかったようだ。日向沢ノ峰までの縦走路上は広々としていて石尾根を彷彿とさせる防火帯のおかげで歩きやすかった。日射しがなくなったせいか南側斜面を歩いていると寒さを感じる。空はますます暗くなり悪天の様相となり、ついに日向沢ノ峰で雨が降ってきた。「川苔山まで急ごう!」と速足で進む。体調が良い私は曲ヶ谷北峰の登りを難なく通過できたが、一方で最悪のコンディションで臨んだタコ選手は実に苦しそうだった。進むにつれ雨脚は強くなり打たれると体温が下がり疲労が増してくる。ただ川苔山山頂を目指すために一歩一歩足を運んでいった。
すると目前に建物が見えてきた。避難小屋のようだった。「これで避難できる!」とその建物まで走った。ここは川苔山直下の舟井戸避難小屋だった。決して広くない小屋内には10数名の登山者が文字通り避難していた。雨に打たれ続け、寒さと疲れで弱っていたので雨をしのげるだけで有難かった。すぐに着替えをし、蕎麦粒山で十分でなかった食事も摂り、荷物整理もしたが、寒さだけは相変わらずで小屋内もかなり冷え込んでいた。2人で震え上がっていると大学生らしい男性が「これで手を温めて下さい。」とコンロを差し出して下さった。「どうも。」と有難くご厚意に甘えさせていただいた。火の温かさに加え、人の心のあたたかさも同時に感じるのだった。ただただコンロに手をかざし暖を取るだけで会話はなく静まり返っていた。いつの間にか小屋には我々と男性の3人だけになっていた。男性は今夜この小屋に泊まるようでどことなくゆったりとしていた。今日中に帰らないといけない我々は再びカッパを着て出発することを決断。出がけに御礼を言い、男性の「お気をつけて。」の一言に送り出された。悪天の中では地図をじっくり眺める余裕もなく、正確な位置関係を掴み切れていなかったが10分間の登りを経て川苔山山頂(二等三角点)に到達。降りしきる雨の中記念撮影だけで去ることにした。
出発時刻は16時、本降りの雨で灰色の雲に覆われていたものの辺りはまだ明るかった。ここからはとにかく下山するという目的に絞られ、気持ちを新たに川乗谷へ向けて下り始めた。川苔山山頂を出て30分後、足毛岩の肩を通過した時はまだ視界がはっきりとしていた。タコ選手は「早く下りなきゃ!」「急がないと!」としきりに言葉を発している。最大限急いでいるのだが雨は強く降り続き、下る道はぬかるみ滑るので走ることもできずなかなか思うように進まない。ただ黙々と下るのみだ。かなり下ったつもりだが林道が出てこない。「沢音は聞こえてきているのに。」と山の怖さを知っているだけにタコ選手の焦りの色は濃くなってきた。そしてとうとう懐中電灯の登場となった。史上初のナイトハイクとなった。タコ選手は「オレは鳥目だから何も見えない!」と悲鳴を上げた。私もわずかに足下の凹凸が判るくらいになっていた。「暗くなるのはあっという間だ。」と言っていたタコ選手の予感は見事に的中した。辺りはもはや闇と化し私も視界がほぼゼロになってしまった。あとは懐中電灯の微かな明かりと直感だけが頼りだ。私が前を歩き懐中電灯で足元を照らし、タコ選手がそれに続く。すでにタコ選手は何も見えていないので、前を行く私が「岩あり」「段差あり」とか「滑る」「右側崩れて危ない」と声をかけ続けた。暗闇を進むにつれて焦りの気持ちはいつしか消え失せ、半ば開き直り始めていた。それでも厄介なのはこの下り道には矢鱈と分岐点が多かったことだ。東京都営林局の巡視道が張り巡らされていたからだ。指導標がある場所はまだ良いが、所々ない場所があり、そのたびに立ち止まり直感を働かせて道を選択した。疲労もピークに近づいており、ふと「今夜は野宿かも?」と頭をよぎる。しかしこの大雨の中テントもなく野宿することなど到底できない。「必ず下山する!」と強い気持ちで自分を奮い立たせた。やっとのことで1つ目の沢に出た。ホッとしたのも束の間、この先の道が見当たらないのだ。タコ選手と闇の中を四方八方懸命に探す。判然としない沢沿いの道なき道をくまなく確認したところ正規の道を見つけることができた。この後沢沿いを進み木橋を十数回渡ることになるが、途中眼前に折れた橋が現れた。「もうダメだ!」一瞬万事休したと思ったが、何としても下山しなければならず決死の覚悟でこの折れた橋を突破することにした。両足を脇の斜面に置き、左手で懐中電灯を、右手で折れた橋の丸太棒をつかんで恐る恐る横這いに進んだ。私が先に渡り切り、タコ選手が続いた。二人とも何とか渡り切ることができた。恐怖の暗中ハイクは想像以上に過酷でかなり長く感じられた。数々の難所を乗り越えやっとの思いで林道に出ることができた。まだ終わったわけではないがかなり安堵したことは間違いない。あとは根気強く林道を歩き続けるだけだと、前方を照らしながら川乗橋を目指した。野犬の遠吠えが聞こえた時は背筋が寒くなったが、近づいてみると檻に入れられた犬が吠えていただけだったので胸をなで下ろした。そして日原街道の街灯が見えると「助かった!」と思わず声を上げ、お互いの労をねぎらい握手をかわした。緊張感が解けた瞬間である。奥多摩駅のベンチと青梅線の車内では他の乗客がいなかったので空腹に耐えかね夕食を摂った。タコ選手は自分の軽装を反省していたようだった。
過酷な一日を振り返りつつ、普段は全く意識しなかった街の明かりが、今夜だけは妙に温かく感じられるのだった。
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