行程・コース
天候
曇天
登山口へのアクセス
その他
その他:
自宅(23区内)からパスハンターで自走、途中にデポ、そして徒歩。
この登山記録の行程
首都高新宿線追分( 24:30 )・・・高尾駅( 2:30 )・・・小仏宿駅( 5:00 )・・・制札-大下バス停( 5:01 )・・・小仏金比羅山( 5:11 )・・・猪ノ鼻( 5:27 )・・・駒木野一里塚( 5:37 )・・・制札-駒木野橋( 5:42 )・・・古高尾山総門( 5:48 )・・・坂本( 6:00 )・・・清滝( 6:30 )・・・薬王院( 7:18 )・・・古中門( 7:35 )・・・城見台( 8:40 )・・・金比羅台( 8:47 )・・・尾根分岐( 8:51 )・・・中間尾根( 9:15 )・・・梅郷橋( 9:26 )・・・駒木野一里塚( 9:30 )・・・小名路( 9:50 )・・・首都高新宿線追分( 14:00 )
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
文化8年-寛政暦5月5日、太陽暦では6月25日の物語。その6月25日に伊能隊ルートを歩いてみました。
測量当日に近いコンディション体験が目的。今回、偶然にも、かなり近い天候であったと思われます。
一部区間に通行止めが、それでやむなく迂回。この件は、詳しくは画像にて。
先に紹介したルートと重複する部分は省略もしてるので、そこは以前UPした山行の内容を参照されたし。
甲州道中を実測。伊能測量との差は、主に甲州道中(都道516号線)の変貌によると思われますが、まあ目安です。
郷土史から制札の位置をもとめ(仮)、そこに伊能図の測線と「測量日記」にある距離を重ねて推察、ルートを特定(仮)。
この甲州道中-上椚田村-薬王院-荒井宿は甲州道中という、本筋の街道を外れて薬王院まで登った目的は、物見遊山もあってのことでしょう。
このルートの謎は二つ。まず、遠回りな上椚田村での入山理由、そして本参道から外れてマイナーな間道での下山理由。
上椚田村での入山理由は、下検分も兼ねた本参道での正式な登拝が目的と思われますが、いかがでしょうか。
下山の間道は当時としても超マイナー、あえて地図掲載の理由は不明。考えるほど不思議なルートファインディングなんです。
伊能隊はこの間道の存在を知らなかったはずで、なぜに先達を務める村人はこのエスケープルートをアドバイスしたのか?
おそらく本参道まるまるを測量したいが、日程の都合上、区切りのよい金比羅台で方向転換、最短距離でなおかつ境界も明確なルートでのエスケープでは?
(またはその逆、薬王院に興味があったのは確だと思われますが、その測量にはこだわりがなかったか?)
いずれにしても超マイナールートが測量された結果、超マイナー故に却って、踏み荒らされることもなく、江戸期の面影を留めたルートが現存するのでしょう。
寛政暦のトランスレートは「江戸近世暦(紀伊國屋書店)」を参照。距離と天候は「伊能忠敬測量日記(佐久間達夫校訂版)」を参照。
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パスハンターのトリップメーター、これで甲州道中を実測。理論的には最小5.75cmを測れる。たとえば山道で延々自転車を押して、乗れないのに!? と、疑問を抱かれるかもしれませんが、実は古道の実測データを取ってるんです。
深夜0時半ころ、甲州道中は首都高速新宿線との追分が仮のスタート地点。パスハンターで一路、小仏宿を目指す。当時、この時刻、小仏宿では天測が行なわれていた。陣幕で囲われた仮設の天測所には象限儀が設置、そこには恒星の動きを観察する伊能忠敬の姿が(仮定)。
深夜2時半、高尾駅。集合時間と憶測される六ツまでに到着すればいいので、のんびりペース。もしかして伊能隊はまだ天測中?
早朝4時前、明六ツの小仏宿。
早朝5時。およそ200年前のこの日、この時、ここ小仏宿駅に伊能測量隊および先達を努める村人が集う。その数、少なくともおよそ50名か? 昨日は難所とされる小仏峠を測量、宿に入った後はそのデータ集計、それを基に下図の作成、さらにこのエリアの概略図を基にしたミーティングが開かれた。おまけに昨夜は半徹、そして今朝も明六ツには起床していたであろう。
寝る間もないほどのハードスケジュールだが、それでも部下に慕われる人物としての魅力、リーダーとしての資質が伊能忠敬には備わっていた。それには忠敬の素地もあるのだろうが、商いを学ぶとともに身につけたintelligence故であろうか。さて、六ツ後出立の後発隊(隊長-伊能忠敬)まずはここ、小仏宿制札まで一丁二十七間(約158m、実測約160m)。
そして小仏の金比羅山で峠を越えて摺差にかかる。ここは都内に現存する甲州道中上で、唯一と言っていいい、幕末ママの道。時が停止してる場所。戦国期の名残-要害だが、ここを築いた北条勢、その領地を継いだ家康と、いずれも滅し、甲州道中の賑わいもすでに過去。
いわゆるホオナデ、蛇滝道分岐通過、荒井にかかる。この分岐を伊能忠敬はメモ帳に「高尾山細道」としたためる。これが蛇滝に通じる行ノ沢ルートの初出。つまり「測量日記」は、蛇滝ルートが初めて記録された文献でも。
荒井から駒木野にかかり、一里塚付近は「高尾山追分」に印を残す。ここは集落の境界でもあり、おそらく駒木野宿制札も存在。区間距離は二十四丁二十七間(約2.65km、実測約2.5km)。またこの付近、道中に接するかのように小仏川の流れが。そこには高尾山に通じる橋も存在したのだろう。で、この時、冒頭で説明の異変に気付く。復路の梅郷橋を確認したところ、なにやら看板が...!
駒木野関所、下村にかかる。制札はエノキ沢との出合、いわゆる駒木野橋の堀切、その袂。メモ帳には「御関所」と。そもそもここは東の要害、流通監視専門の関所ではない。それで堀切があるんで、ストレートな通過と思えない、なんらかの敷地内通路が存在か? 区間距離は五丁五十四間(約644m、実測約453m)。そして後発隊は、この後甲州道中を八王子宿まで測量。
もう一方、先発隊(副隊長-坂部貞兵衛)は小名路の角屋-古高尾山総門で入山。坂部貞兵衛率いる先発隊は難所測量のスペシャリストであり、その彼らが見事、誤差も少なく、高尾山の山道を測量。残念なのは、シーボルト事件により関係者の処分および資料が没収されたことで、詳細なメモが所在不明な点。
落合口留番所を通過、坂本にかかり、坊ヶ谷戸から本参道に。この、あえて遠回りな上椚田村経由の目的は、下検分も兼ねた正式な参拝か? ちなみに宿駅からここまで自転車は押しのコースタイム、そして高尾山口駅前でデポの算段-朝飯の小休憩。画像は坂本です。
昨日も難所の測量、そして半徹で残業、寝酒を試すも、夜明けと同時に起床。今朝も梅雨真っ盛りの曇天の下、およそ5kmのアプローチ。清滝での水垢離は、さぞ目が覚めただろう。いよいよ本参道に取り付く。昨夜のミーティングで段取りは決めてある、サポート隊の村人により整備もされている。
本参道を詰め、一町目から西側の石段を登り飯縄大権現社に。西側の石段の位置と飯縄大権現社は幕末ママ。これは実質、国家事業。その成就を願い、なんらかの祈祷が行なわれた?
薬王院古中門から測量スタート(現在の書院手前)。ちなみに坂部隊の構成は、内弟子3名、竿取1名、供侍と従者の人数は不明、それと何名かの村人も随行したであろう。
いわゆる百八段は男坂ルートを下る。幕末、女坂ルートは存在しないであろう(ただ、おそらく細道としては踏まれていたと思う)。
八王子城跡を望みつつ城見坂にかかり、浄土院前通過。このあたり、幕末、設待茶屋を除けば、薬王院の塔頭の一つとなる浄土院以外には特筆すべき建造物は存在しないと思われる。このあたりで北方の甲州道中を確認したのでは? 甲州道中を俯瞰し得る数少ないポイントなんで。
字旗竿は金比羅台にかかる。
金比羅台の展望。眼下には八王子宿、その遠方には江戸の姿が。昨日は小雨に煙る峠での測量、そして深夜の天測と連日のハードスケジュールでは十分な睡眠とは言い難い。この先を考えると、そろそろ限界。帰宅目前、無理は禁物。ここは慎重に最短下山ルートの杣道でエスケープ。はたして地図に載せる必要があるか疑問だが、ここで超マイナールートにわけ入る。
伊能尾根と中間尾根との分岐(いずれも名称は仮)。この先、ヤブ!ヤブ!ヤブ! 当時、事前の通達でヤブは払われてるが、梅雨時の低山マイナールートでの作業は… けっこう厳しいものが。
裏高尾、なんと大伐採中。尾根筋を俯瞰、現状の把握。ここで再度ルートファインディング。この先、本来進むべき伊能尾根(仮)区間の詳細は、以前UPの「伊能忠敬ルート(伊能図の高尾山)」を参照されたし。
真正面、通行止め看板の上、オレンジ色のトロリーに注目。山から街道までワイヤーを渡しての搬出作業真っ最中。トロリーの真下、長さ3mほどに切り出されたひと抱えはある丸太を束ねたものが、背丈ほどの高さを滑走中。その作業エリアが梅郷橋から東、ズバリ伊能尾根(仮)のアプローチ区間。伊能尾根(仮)そのものは下れるようだが、たとえ下っても、そこから先に進めない。無理!無理!無理! あー終わった!
梅郷橋は渡れる、となると、一里塚に継ぐには中間尾根(仮)しかない。中間尾根(仮)と伊能尾根(仮)とは双子のような関係で、幸い、距離、地形ともに似てる。ただヤブ尾根なのと、伊能尾根(仮)よりもあぶない感が(とにかく急)。だが、もう行くしかない、セルフビレイの用意もある。ええーい! もう、なるようになれ! そしてヤブ!ヤブ!ヤブ! この先、写真撮る余裕なし!
そして高尾山追分は小仏川にかかる橋を渡る。古い橋は消滅、梅郷橋で迂回。当時、下山の間道には、すでに用意されていたであろう測量用の杭が。それを基点に距離と角度を記録、要所要所でその誤差をチェック。それを補う簡単なスケッチと詳細なメモをしたためつつ進んだのでしょう。またおそらく昨晩のミーティングでは、尾根筋も明確との説明が。確かに両側崖の痩せ尾根で道はわかりやすいが、初めて訪れた伊能隊は... これ下るんかい! という感覚では?
甲州道中上の一里塚付近、後発隊の残した「印」につぐ。これで屋外作業は終了、今日の現場も辛かった。しかしまだ八王子宿までの道中が。そして宿ではデータ集計と下図の作成、明日の測量のミーティングも控えてる。もちろん明日も明六ツには起床。
14時、仮のスタート地点に戻る。行動時間-休息込みで約13時間。パスハンターでの自走と徒歩、距離トータル約100km強。と、ご苦労だが、彼らはこれを毎日延々(天測も考慮)、幾年もつづけてたわけで、それは驚愕の一言。ただ無測区間に関しては、幕臣昇格の伊能忠敬には専用の駕籠も、全で徒歩での移動というわけではないようです。
おまけ。追分町交差点から望む。真正面に薬王院、見切れないが、そのさらに先には富士山山頂。この追分-薬王院-富士山頂を結ぶ一直線が大久保長安ライン、富士信仰のメタファー。で「伊能図」の高尾山と甲州道中は相対的な位置がおかしい。4日は雨まじりの大曇天、5日は曇りで天気は下り坂、そして6日は大雨と、高尾-八王子エリアでの測量時は典型的な梅雨模様。それで誤差修正が思うようにはいかなかったか? もしも晴れなら、この大久保長安ラインを利用して、より正確な位置を確定できたかも。
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | スタッフバック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
タオル | 帽子 | グローブ | サングラス | 着替え | 地図 |
コンパス | ノート・筆記用具 | カメラ | 登山計画書(控え) | ナイフ | 修理用具 |
ツエルト | 健康保険証 | ホイッスル | 医療品 | 虫除け | ロールペーパー |
非常食 | 行動食 | テーピングテープ | トレッキングポール | ||
【その他】 スリング カラビナ パスハンター |
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