行程・コース
天候
新涼の晴天
登山口へのアクセス
バス
その他:
往)越生駅(東武越生線、JR八高線)8:01発、黒山行きバスにて、上大満バス停(8:15着)下車
復)休暇村奥武蔵で日帰り入浴後、送迎バスにて吾野駅へ
この登山記録の行程
上大満バス停(8:15着/8:20出発)-龍穏寺(8:48/9:15)-(補陀岩)-横吹峠(9:38)-越生駒ケ岳(蒔山)(10:00)-御嶽神社(10:10)-猿岩山(10:37)-林道交差(10:40)-伐採地(10:53/11:03)-林道交差(11:12)-武巌琴宮石碑(11:25)-(蟻の門渡り通過)-関八州見晴台(11:58/12:16)I-高山不動尊(12:35)-虚空蔵ルート分岐(12:40)-沢度橋(13:08)-大窪峠(13:30)-休暇村奥武蔵(13:40)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
越生の古刹、龍穏寺から四寸道と蟻の門渡りを辿って高山不動まで、二つのパワースポットを繋いで歩いてみました。 間近を車道が通っているのは奥武蔵ならではですが、コースでは誰に遭うことも無く、静かな古道の雰囲気を楽しめました。
≫〝四寸道″と〝蟻の門渡り″は長らく温存していた念願のバリエーションルートで、Web上の山行記録等を検索しながら興奮気味に越生に向かいます。 勿論、最初に訪ねるパワースポット、龍穏寺(りゅうおんじ)の事前調査も抜かりありません。
梅林で有名な越生町は太田道灌との所縁も深く、町の木は梅、町の花はヤマブキだそうです。乗客も疎らな黒山三滝行きのバスを上大満で途中下車すると、龍ヶ谷川沿いの道をトコトコ歩いて道灌所縁の龍穏寺に向かいます。
歴史上の人物に縁のある場所を訪ねるのは低山歩きの楽しみの一つですが、日本武尊や平将門の様に伝説化されたものとは違い、中世の武将太田道灌にまつわる史跡は各地に生々しく残されていて、大山詣の際に立ち寄った伊勢原の墓所(胴塚)や、道灌が攻め落としたという秩父の熊倉山の城山などを思い出します。道真、道灌父子の墓所がある龍穏寺は、関三刹の名残を伝える山門や経蔵の他、セッコクの森としても知られていて、パワースポットの威力は十分でした。
中世戦国の余韻に浸りながら横吹峠に進み、御嶽神社⇒の道標を見て四寸道に入ります。
この四寸道、2016年版の山と高原地図では破線ルートだったものが、2019年版では実線になっているのですが、成程、古来の参拝道の面影を残す道形は太くて明瞭です。
途中2回、舗装された猿岩林道と交差しますが、2度目の交差地点で正面の路肩から尾根に取り付き直すと、急登の先に〝武巌琴宮″と刻まれた石碑が現れ、その先がいよいよ蟻の門渡りです。
核心部は、恐竜の背の様なリッジ状の岩場をクライムダウンする格好となりますが、ホールドはしっかりしていますので、三点支持の基本さえ守れば危険は少なかろうと思います。石碑の手前から岩場の北側を巻いて通る踏み跡もありました。 思いの外あっけなく岩場を通過した後は、ひたすらの急登で関八州見晴台手前のアンテナ小屋の脇に飛び出します。
見晴台で一息つけば気分は既に温泉モードです。高山不動尊のお参りもそこそこに虚空蔵ルートを駆け下りると、休暇村奥武蔵の日帰り温泉の受付終了時間(14:30)前に余裕のドボーン!今や定番となった飯能北口の満洲で湯上りセットを頂いて、念願の古道バリエーション歩きもしっかり締まりました~。
本日の総歩数28,210歩、歩行距離19.0km、消費カロリー1,253kcal、脂肪燃焼量89g也。
フォトギャラリー:84枚
何度目かの越生駅。太田道灌ゆかりの町です。
駅前には道灌ゆかりの史跡案内が。
龍穏寺もしっかり紹介されています。
黒山行きのバスに揺られて15分、途中の上大満(かみだいま)バス停から歩き始めます。
越生は梅林で有名ですね。
道端は秋の花で溢れていました。
沿道のお宮にご挨拶。
クロアゲハが沢山飛んでいました。奇跡のワンショット。
車も殆ど通らず、気持ち良く歩けます。
美しい龍ヶ谷(たつがや)川の流れに沿って進みます。
今年の初曼珠沙華。来週はもうお彼岸ですね。
開放的な龍ヶ谷の集落。お散歩のおじさんにご挨拶。
下馬門跡。龍穏寺は徳川家康から関三刹の筆頭に任ぜられ、10万石の格式だったそうです。
当時はこの辺にも沢山の塔頭があったのでしょうか。
朱門の脇の石に禁軍酒の文字。武器と酒は無用、という事なのでしょう。
立派な山門は、町の指定文化財だそうです。
山門の軒から、獅子が睨みを効かせています。
山門を潜ると、左手に熊野神社が鎮座しています。
背中が苔むした狛犬。年代不明です。
太田道灌の銅像。
道灌に因んで、江戸城外堀の石が寄贈されていたりもします。
一瞬コンクリート造りにも見える経蔵。天保年間に建てられた土蔵造りの文化財です
本堂。
本堂の西の階段の上に、太田道真、道灌父子のお墓があります。
道真(父)、道灌(子)のお墓。道灌の墓所は伊勢原市にもあって、こちらは分骨されたものと言います。
歴代住職の墓所。
傍らに、前日ウィキペディアで知った戦国武将山口重信の墓石も見つけました。
お寺のワンコ。愛想無し。
龍穏寺はセッコク(ラン科の着生植物)の森としても有名だそうですが、どれのことなのか良く分かりません、、、。
梵鐘の代替わり?
トンボ。
お寺の前の龍ヶ谷川のモミジ。紅葉の季節も良いでしょう。
補陀岩の印塔。
少し戻って、横吹峠に向かいます。
この峠道は、越生ハイキングコースになっているようです。
峠の手前は尾根が台地状に広がる不思議な地形になっています。
御嶽山、御嶽神社⇒の道標が四寸道の入口です。
倒木で電柱が倒れ、地元の方が片づけに来られていました。通行に支障はありません。
その先は、道が崩れてトラロープが張ってありますが、慎重に通れば問題ありません。
巻道から少し折り返して、越生駒ケ岳(蒔山、369m)の小ピークを踏みます。
次は御嶽神社へ。
御嶽神社。御嶽信仰が盛んだった明治時代に、地元の御嶽講によって分祀されたそうです。
北を向いた社殿正面の眺め。
北の方角に見えるのは、弓立山でしょうか?
四寸道は続きます。
途中、紛らわしい作業道が交差します。
日当たりの良い猿岩山の山頂付近。刺のある下草が密集していて難儀します。
猿岩山(461m)のピークには、山名標の代りにサルのぬいぐるみが。
一旦、猿岩林道と交差します。ここは車道を右に進みます。
車道を暫く進むと、尾根腹に幅のある道が切ってあって、四寸道に戻れます。
樹林越しに空が見えて、暗さを感じません。
展望の良い伐採地がありました。
頃合いの切り株で小休止。
あれは越上山かな~?良く分かりません。
再び林道と交差し、今後は正面から尾根に取付き直します。
路肩に積まれた、胸の高さ程の石垣を越えて尾根に入ります。
暫く進むと、いよいよ岩場が出て来ました。
武巌琴宮と刻まれた石碑の先が、蟻の門渡りです。
木に囲まれて高度感は余り感じませんが、念の為トレッキングポールをザックに仕舞います。
ここが核心部です。蟻の門渡りの名前がぴったりですが、距離はほんの数mです。
大きさが判り難いので、蟻の門渡りを跨ぐ格好で、足を撮ってみました。このまま岩を下ります。
下から岩を振り返るとこんな感じです。見た目ほど傾斜はきつくなく、ホールドもしっかりしています。
岩場を過ぎると、後は延々の急登が待っています。
最後は、関八州見晴台の北にあるアンテナ小屋の前に飛び出しました。
登って来たルートの入口には小さな赤テープがありましたが、籔っぽくて判然としません。
関八州見晴らし台で、暫し休憩。高山不動奥の院があります。
関東平野が一望できます。
天気が良ければ、この方向に富士山が見えるのですが、、、。
本日2つ目のパワースポット、高山不動。いつもながら堂宇の大きさに圧倒されます。
虚空蔵ルートで下山しましょう。
途中から「あじさい館→」の案内標が出て来て一安心、あじさい館は休暇村奥多摩の旧名です。
「←志田近道」の道標に従います。
「柿の木坂の家」の脇を通過。
沢渡橋。道標に従って(旧)あじさい館を目指します。
人の気配の無い、山間集落を進みます。
大きな岩を御神体とする小さな神社に下山のお参り。
拝殿の中に、囲炉裏が切ってありました。
山間のお宮で良く見かける、塩ビパイプ製の鳥居ですね。
一旦林道に出て、民家の庭先を通って大窪(大久保)峠に向かいます。
大窪峠の切り通し。
峠を越えると、R299を挟んで休暇村奥武蔵が見えてきます。
R299からの登山口。
休暇村奥武蔵。立派な施設です。
お風呂で汗を流したら、送迎バスで吾野駅へ。
最後は今や定番となった満洲のギョーザで、しっかり締まりました~♪
装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア |
登山靴 | バックパック | スタッフバック | スパッツ・ゲイター | 水筒・テルモス | ヘッドランプ |
傘 | タオル | 帽子 | グローブ | 着替え | 地図 |
コンパス | ノート・筆記用具 | カメラ | ナイフ | 修理用具 | 健康保険証 |
ホイッスル | 医療品 | 虫除け | ロールペーパー | 行動食 | テーピングテープ |
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