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東京裏町アルプス拾遺11(足立区とか葛飾区とか下町の外れの登り残し)

御殿山(葛飾城趾)、川端諏訪神社、上平井天祖神社の富士講碑、鬼塚、葛西No.23遺跡、奥戸天祖神社、大関山、柴又八幡神社古墳、水元公園の築山、大曽根八幡神社の富士講碑、大鷲神社、瀬崎浅間神社の富士塚、入谷古墳、舎人公園の築山(あさひの丘広場)( 関東)

パーティ: 1人 (目黒駅は品川区 さん )

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行程・コース

天候

快晴

登山口へのアクセス

電車
その他: 往路:武蔵小山→東急目黒線→目黒→山手線→日暮里→京成線→お花茶屋

復路:舎人公園→舎人ライナー→日暮里→山手線→目黒→東急目黒線→武蔵小山

この登山記録の行程

お花茶屋駅6:19→御殿山(葛西城趾)6:40~49→川端諏訪神社7:28→上平井天祖神社の富士講碑7:41→鬼塚8:01→奥戸天祖神社8:21~28→葛西No.23古墳8:33→横綱山(善養寺)10:07→小岩駅南口バス停10:33→バス→柴又帝釈天バス停10:50→柴又八幡神社古墳10:53→柴又帝釈天11:02→江戸川11:08→水元公園11:38→中央広場(水元公園最高地点7.6m)12:06→大場川バス停12:25→バス→八潮駅12:45→山田うどん食堂八潮店13:03~20→大曽根八幡神社の富士講碑13:28→花畑大鷲神社13:50→花又富士14:10→瀬崎浅間神社の富士塚14:28→谷塚駅14:38→竜泉寺の湯草加谷塚店(入る時間無し)14:58→見沼代親水公園駅15:18→入谷古墳(入谷氷川神社)15:30→舎人公園15:51→あさひの広場(舎人公園最高地点16m)15:58→舎人公園駅16:14

合計8時間51分(バス移動と山田うどん除く)

コース

総距離
約40.8km
累積標高差
上り約29m
下り約26m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

12月28日(土)は、葛飾区と足立区の登り残しの山というか塚というかそういったものを、効率的に残っている訳でも無いので一部バスを使って回って来ました。

でも距離が長すぎるのと迷ったりした結果、温泉の前まで行って、入る時間が取れなかった…。

まあそれでも、昔一面田んぼだった八潮とか草加のあたりが産廃処理場だらけになってるのとか、低湿地帯では、山の手だったらどうでもちょっとした塚が聖地として崇められているのとかを発見できたので、そるなりに収穫はありました!

スタートは京成線のお花茶屋駅です。足立区のお花畑といい下町の人はこういうネーミングが好きだなと思いつつも、夜明け前、予想通り特に何もない駅に降り立ち、まずは「葛西城趾」に向かいます。

葛西城趾は別名「御殿山」とも言い、多少は塚や土塁のような起伏が残っていることを期待して行ったのですが、真ん中を環七で分断された平たい公園でした。遺跡が発掘されたそうですが、城跡のようなものはいっさい残っていません。

続いて青砥駅を経由して、「川端諏訪神社」に向かいます。ここには三峯神社と出羽三山神社が末社として祀られているはずだったんですが、調べた住所が川の氾濫で流された旧社地だったため、記念の小さな石祠があるだけで三峯神社も出羽三山神社も発見出来ませんでした。

でもまあ、山の手では大規模再開発計画とかない限りは、神社はずっと同じ場所にあるものだけど、下町は人と一緒に神様や仏様も簡単に流されるんだと知れただけでも良かったかも。神々も流転するっていうか。

気を取り直して中川を渡って「上平井天祖神社の富士講碑」を見に行きます。ここは富士塚はありませんが、社殿の右奥に浅間神社と三峯神社を合祀したかなり立派な末社があり、その奥に富士山と刻まれた石碑があります。

続いて「鬼塚」に向かいます。ここは小さな古墳の塚なのですが、川に囲まれたこのエリアで塚が流されたり壊されたりせずに残っていることはかなり貴重なことらしく、区によってきちんと保存措置がなされています。

次に向かう「葛飾区No.23遺跡」は、アッと驚くような大きな畑の中央の片隅のわかりにくい場所にあって、近所の人に聞いても知らないし、結局最初は見つからず、先に「奥戸天祖神社」へ行きました。

奥戸天祖神社はさっき行き損なった川端諏訪神社をさらにバージョンアップした感じの神社で、出羽三山神社と浅間神社と御嶽神社に加え雨風神社と大六天神社と諏訪神社を末社として祀っています。下手な鉄炮数撃てばあたるじゃないとは思うんですが、みんな小さな富士塚みたいになっているのが壮観です。

再び戻って、駐車場のワゴン車の陰にようやく葛飾区No.23遺跡らしき小祠を発見。中に男根石が納められているらしいのですが、残念ながら外からはそれを見ることが出来ませんでした。

次は新中川を渡り、江戸川区にある「横綱山」に向かいます。この山は横綱を呼んで行われたジュニア相撲大会の土俵の土を集めて山にしたもので、結構しょうもない物のような気もするんですが、善養寺という寺の境内にあります。ところがテンション低すぎて、寺の住所が東小岩2-24なのを検索した時に2-14と打ち間違えて、寺が見つからずアチコチウロウロして、またもタイムロスをしてしまいました。

現地で検索し直して、ようやく見つけた横綱山は溶岩じゃない普通の石を使って作った富士塚のようなものでした。当然上にも登れて、山頂にはベンチがあります。

横綱山の次は柴又八幡神社に向かうのですが、距離が多少あるので、小岩から金町行のバスに乗り、柴又帝釈天バス停で降ります。このバスは10分に1本あるので時間を調べる必要はありません。

「柴又八幡神社」は有名な帝釈天がある柴又駅近くにある神社で、社殿の裏に寅さん似のハニワが発見されたという古墳があります。古墳は保存状態が元々あまり良くなかったのが、今は石で覆われた形になっています。

柴又に来たのでついでに帝釈天にお参りし、江戸川の土手に上がります。この日は空気のすんだ快晴で土手の上からは富士山が見えました!

しばらく江戸川べりを進み、「水元親水公園」に向かいます。ここは東京23区の東北の果てにある広大な親水公園で、冬には道を間違えた白鳥が飛来することもあるという非常に風光明媚なところなんですが、金町からさらにバスという交通の便があまり良くない場所にあるため、近所の下町の人しか知らないちょっと残念な穴場スポットです。

ここの中央広場に、もしかしたら葛飾区の最高地点かもしれない標高約7.6mの限りなく平地に近い丘のような物があって、これは人工的に土盛りして造るならもう少しメリハリのある物を造るだろうから、多少整形してあるものの自然の地形を生かした物なんじゃないかと思うのですが、ともかく今日は東京23区最果ての山としてそこに登ってみようとやって来ました!

登ってみた感じは、ただっ広い芝生の広場の真ん中なんですが、意外と高さがあって爽快です。山も美ヶ原とか八幡平みたいなところもあるわけで、その一種だと考えれば良いかも。

水元公園を出たら、また時短のために大場川バス停から八潮駅までバスを使います。このバスは毎時28分と58分しか無く、その他は車庫止まりなので要注意です。

八潮駅はもろつくばエクスプレスといった感じの、終点のつくば駅を小さくしたような駅で、京成や東武なら絶対こうはならんだろうなと思ってちょっと笑ってしまいました。駅って地域特性より鉄道会社の個性が出ますよね。

しかも駅をちょっと離れると何もなくなるのもやっぱりつくばエクスプレスで、その何もない中、でも産廃処理場だけはやたらたくさんある中をひたすら進むと、埼玉県のオアシス「山田うどん」の案山子の看板が突如として目の前に出現!

時間が遅れぎみなので、ここで昼飯にすれば早いだろうと入ると予想外の満員大盛況で、注文した「ダブル埼玉セット」がいつまでたっても来ない!ちなみにダブル埼玉セットとは、スタカレー丼というカレーの入ってない辛いあんかけ丼とパンチうどんというもつ煮の乗ったうどんのセットで780円です。

ようやく来た埼玉セットを急いでかっこみ、店を出て向かう先は「大曽根八幡神社」です。ここは自然堤防の上に造られた神社で、富士講碑があります。遺跡も出たらしいです。でも行ってみたらわずかに盛り上がっているだけで、自然堤防だとは言われないと気づかないほど。でもこの微妙な盛り上がりを低地の人たちは聖地として崇めていたんだなと思うと、それはそれで感慨ひとしおです。

さて次は毛長川を渡って東京に戻って「花畑大鷲神社」に向かいます。ここは酉の市発祥の地と言われている神社で、今行った大曽根八幡神社より立派な自然堤防的盛り上がりの上にあります。さっき水元公園のところで迷い白鳥が飛来してくることもあると書きましたが、この辺りもまだ田んぼのど真ん中だった頃は白鳥が頻繁に飛来する場所だったのかも知れません。日本武尊は死んで白鳥の王子様になったのですから。

大鷲神社からしばらく毛長川沿いを進み、前に行った「花又富士」に寄って行きます。花又富士は東京と埼玉の境の公営団地の片隅に立つなかなか立派な富士塚です。

ちなみに毛長川ですが、名前の由来は東京と埼玉の道ならぬ恋に、一旦は婚約を勝ち取るも、その後疫病が蔓延したのはお前のせいだとかイチャモンをつけられ、絶望した埼玉のロン毛の美女が川に身投げしたことからつけられた名前だそうです。今日は行きませんが近所に毛長神社というその美女を祀った抜け毛に効きそうな神社もあります。

花又富士の次は再び埼玉県に入り、「瀬崎浅間神社」に向かいます。ここは谷塚駅すぐ側にあって、4~5mあるなかなか立派な富士塚があります。それで行ってみたら、富士塚だけではなく神社も、形状からすると自然堤防ではなく古墳のような小高い塚の上に建てられている、なかなか立派な神社でした。ただこれが足立区内なら有名になるんだろうけど、惜しむらくは埼玉県だということ。残念!

さっきの八潮駅とはうって変わって120パーセント東武線の駅な感じの谷塚駅の横を通り、一応「竜泉寺のの湯草加谷塚店」に向かいます。ここは高尾山手前の京王片倉にあるのと同じ、広い高濃度炭酸泉風呂が自慢の竜泉寺の湯の1つで、料金が750円と安いので今回是非とも寄りたかったんですが、時間がもう15時で、ここで風呂に入ったら最後の舎人公園に着く頃は真っ暗になって写真が撮れなくなるので、泣く泣く諦めました。

そして再び毛長川を渡って、舎人ライナーの終点である見沼代親水公園駅を通って、「入谷古墳」に向かいます。ここは入谷氷川神社の社殿が古墳のような塚の上に乗っていることから古墳じゃないかと言われているもので、今行ってきた瀬崎浅間神社の塚を一回り小さくしたようなものです。川が氾濫したらこのぐらいの高さじゃ水没してしまうと思うんですが、それでもわずかな希望を込めて神社を建てる人々の悲哀のようなものを感じます。

そしてついに最終目的地の「舎人公園」です。ここには足立区最高峰約16mとして知られる「あさひの丘」という築山があります。あさひの丘はゆうひの丘から続く長い築山の東端に、もう一段高い形で築かれており、山頂の展望は360度で丹沢・富士山・奥多摩・奥武蔵・日光連山・筑波山・東京スカイツリーなとが一望出来ます。

そういった東京23区の北の端にそびえる知る人ぞ知る名峰なのですが、ここになぜこのような細長い築山があるかというと、要するにあれですよ。「人類は洪水に勝~つ!」。川の水が溢れた時の避難所です。入谷氷川神社や大鷲神社は流されてもこれだけ高くすれば流されることなないだろうということ。江戸川区の葛西にある江戸川富士も同じような物ですし、篠崎の公園にも避難用の城跡みたいな城壁に囲まれた高台がありました。

思えば、今日は土塁も堀割も何も残っていない葛西城趾から始まり、流された神社の跡地とか、人類の水との闘いの歴史でありました。

夕日を見ながらそんなことを考えて、下の池に降ります。そしてそのまま舎人公園駅へ。なんとか暗くなる前にたどり着けた。温泉や銭湯は西新井辺りで途中下車すればないことはないんだけれど、暗くなってから東武線まで歩くのも面倒なので今日は無し。

水元公園|公園へ行こう!
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index041.html

舎人公園|公園へ行こう!
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index024.html

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