行程・コース
天候
晴れのち薄曇り
登山口へのアクセス
バス
その他:
往)本八幡駅南口バス停より徒歩
復)徒歩にて帰宅
この登山記録の行程
(7:10自宅発、行徳街道を散歩しながら行徳四丁目バス停7:58発の本八幡駅行きのバスに乗車)
本八幡駅南口(8:15)-葛飾八幡宮(8:26/8:40)-京成線市川真間駅(9:07)-(真間稲荷神社、手児奈霊神堂)-真間山弘法寺(9:29/9:40)-(市川市木内ギャラリー、市川市スポーツセンター)-里見公園(10:17/10:50)-市川橋東詰(11:20)-小岩不動尊善養寺・影向の松(11:36/11:46)-浅間神社(12:05/12:10)-行徳橋西詰(12:40)-(豊受神社)-行徳駅北、富士見屋(13:10)(レコトレース終了)
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
山に出掛けるのを差し控えて地元の江戸川周辺を散策してきました。巨樹と名木、歩ける範囲に国の天然記念物が2つもあるとは、考えようによっては恵まれているのかもしれません。
≫「東京には来ないで頂きたい」という都知事さんの発言に日本のコロナ対策の非合理性を感じつつ、地元の散策でストレスを発散しようとバスで本八幡駅に向かいました。土曜の朝のバスはガラガラで先ずは一安心です。
最初のお目当ての葛飾八幡の千年公孫樹は推定樹齢1,200年で国指定の天然記念物です。前回の緊急事態宣言の時は冬枯れの姿でしたので、秋にまた来たいと思っていたのですが、まさかこんなに早く再訪することになろうとは思ってもいませんでした。・・・とは言え鮮やかな青葉の立ち姿も圧巻で、秋の黄葉が益々楽しみです。
八幡宮を後にすると、電車に手が届いてしまいそうな京成線の線路沿いを歩いて里見公園に向かいます。途中、母の日に因んで駅名を変えた市川真間駅や、万葉集に詠われたという手児奈の逸話などの小さな発見が街中散歩のちょっとしたアクセントになります。
江戸川左岸の高台の一画を占める里見公園は且つての国府台城跡です。太田道灌が仮陣を築いたのが城の始まりといわれ、後に小弓公方や里見氏が西から攻め寄せる北条の軍勢と壮絶な合戦を繰り広げた舞台であったと知れば何やら感慨が湧いてきます。道灌や北条氏が拠点とした武蔵、相模の山並みが雲に隠れて見えなかったのが残念です。
足元の小さな花々を写真に収めながら江戸川の堤防を下って影向の松を目指します。土手を渡る風が心地良く、河川敷は野球やサッカーの試合で盛り上がっていて一瞬コロナの事を忘れてしまうところでした。
善養寺の影向の松は樹齢600年、枝渡りの面積800㎡という黒松で、且つて香川県真覚寺の岡野マツと日本一を争っていたのを立行司の木村庄之助の名裁きによって引き分けで解決したという逸話は読んでいて気持ちの良いものです。☟
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%B1%E5%90%91%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%84
樹勢が衰えていたのを地元の方々の10年越しの努力で持ち直し、晴れて国の天然記念物に指定された名木ですが、数年前に見た時よりも明らかに葉の色の精彩が欠けていたのは気になるところです。
5時間近く歩いた後は当然ビールで〆たいところですが、お酒の提供自粛要請の中ではそんな気分にもなれません。行徳駅北口の富士屋のお団子をお土産に買って、大人しく家に戻りました。。。
本日の総歩数34,469歩、歩行距離27.6km、消費カロリー1,512kcal、脂肪燃焼量108g也。
フォトギャラリー:69枚
行徳街道を散歩しながら本八幡駅行きのバスに乗ってみました。土曜日の朝なのでガラガラです。
先ずは、葛飾八幡宮の千本公孫樹(イチョウ)を訪ねます。
推定樹齢1,200年、樹高22m、目通り幹周10.8m。国指定の天然記念物です。
且つて落雷で地上6m程の高さで幹が折れた後に多くのひこばえが伸びて今の姿になったそうです。
2月の緊急事態宣言の際に散歩で訪れた時は冬枯れの姿でしたので、葉が伸びると全く印象が異なります。
境内には富士塚があって浅間神社が鎮座しています。
何故か江戸城の石垣も。何か所縁があるのでしょう。
門の外から遥拝する地元の方。残念ながらワンちゃんは中に入れません。
下町感溢れる京成線の線路沿いを北上します。
京成菅野駅前。・・・それにしても下町感(?!)あり過ぎでは。。。
市川真間駅。道からホームが丸見えです。駅名板をよく見ると、、、市川ママ!?
後で知りましたが、5月9日の母の日に因んで、期間限定で駅名を変えちゃったそうです!!。
「歴史の散歩道」と記された雰囲気のある路地に入ってみました。
昔はこの真間の辺りが江戸川の河口だったようで、その様子が万葉集にも詠われているようです。
山部赤人が下総を訪れた際に詠った万葉和歌に登場する「手児奈」という美女に纏わる逸話が紹介されています。
その手児奈さんの霊を祀った手児奈霊堂。
手児奈霊堂の先の石段を登ると、、、
真間山弘法寺という古刹です。
弘法寺裏手の千葉商科大学。この一帯は国府台(こうのだい)と呼ばれる高台で、且つては下総の国府が置かれていたそうです。
ムラサキツユクサ。
こちらは指名手配中。5~60cmの高さで群生していました。
イモカタバミ。沢山咲いていました。
ユウゲショウ(夕化粧)、南アメリカ原産の帰化種だそうですが、名前は如何にも日本っぽいですね。
アカカタバミ(赤片喰)。よく見ると可愛らしい。
コバンソウ(別名:タワラムギ)、ヨーロッパの帰化植物。今までにあまり見た印象がありません。。。
市川市木内ギャラリー。開館時間は10時からでしたが、ほんの10分が待ち切れず、先を急ぎます。
国府台の東縁。河岸段丘にしては面白い地形です。
市川市スポーツセンターを抜けて、里見公園に向かいます。
里見公園。高台の西側の一画を占めています。
公園から見下ろす江戸川(昔は太日川(おおいがわ)と呼ばれていたそうです)。対岸は武蔵國です。
天気が良ければ、丹沢と富士山が見える筈でした。因みにスカイツリーは後付けで合成されています(笑)。
公園はかつての国府台城の面影を残しています。
スダジイ(右)とタブノキ(左)が合体して相生している珍しい姿。
後ろから見るとこんな感じ。因みに併せた幹周は4.1mだそうです。
2つの石棺が露出した明戸古墳。太田道灌がここに仮陣を築いた際に盛土が取り除かれて発見されものと伝わります。
公園は桜やバラ園でも有名だそうです。
この石垣は、恐らく後世にあしらわれたものかと思われます。
石垣の台地に、第二次国府台合戦で討たれた里見広次とその他の将士を弔う石碑がありました。
遊び心?。ふと見上げた木の枝に、藁で出来たケムシがいました。
トキワツユクサ。昭和初期に南アメリカから観賞用として渡来して帰化したものだそうです。
ツルニチニチソウ(蔓日々草)。良く見かけますね。
ノイバラ(野茨)。ややこしいですが、ノバラ(野薔薇)とも呼ばれるそうです。
可愛い忘れもの。
気持ち良さそう~、、、でもよく考えると、膝と腰に悪そう、、、。
コメツブツメクサ(米粒詰草)。ヨーロッパからの帰化植物だそうです。
ムラサキツメクサ(アカツメクサ)。これもヨーロッパからの帰化植物。
ヒルザキツキミソウ(昼咲月見草)。小さな花々に混じって、ひと際艶やかでした。
南アメリカ原産、イモカタバミ。
ニワゼキショウ(庭石菖)。とても小さな花ですが、アヤメ科だというのには驚きです。
ヘラオオバコ (箆大葉子)。 そういえば、昔は何処でも見かけたオオバコ、最近見たかな。。。
指名手配中。周りは既に枯れているものが多かったです。
クサフジ(在来種)かと思いましたが、よく見るとナヨクサフジ(弱草藤)の様で、帰化植物でした。
こうして見ると、目についた花は帰化植物ばかりでした、、、。
市川橋を渡ると東京都(江戸川区)です。小池都知事さん、ちょっとお邪魔します。
河川敷のグラウンドは満員御礼でした。
シロツメクサとアカツメクサのお花畑。
川べりの江戸川病院を過ぎたところに影向の松の看板があります。
善養寺の山門を潜ると、、、
影向(ようごう)の松です。
日本一と云われる枝張りは、東西約28m、南北約31mで繁茂面積は800㎡以上、テニスコートの3倍以上の面積になります。
枝の下の渡り桟橋を歩くことが出来ます。
推定樹齢600年以上、幹周4.5mの黒松で、2011年に国の天然記念物に指定されています。
香川県真覚寺の岡野マツと日本一を争っていたのを木村庄之助の名裁きによって引き分けで解決したという逸話があります。
名裁きに纏わる「日本名松番付 横綱に推挙する。春日野清隆」の碑文もありました。
途中にあった浅間神社にお参り。
河川敷に戻ってきました。
江戸川水門が近づいて来ました。水門で旧江戸川を渡ると市川市行徳です。
中台神輿の店舗。行徳は古くから神輿作りの街としても知られています。
何時も行列が出来ている行徳駅北口の富士屋さん。ビールは諦めてお団子を買って帰りました。。。
装備・携行品
アンダーウェア | ダウン・化繊綿ウェア | ロングパンツ | 靴下 | タオル | 帽子 |
ノート・筆記用具 | 健康保険証 | 行動食 |
みんなのコメント