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山中の素掘り隧道・白崩:荒谷回遊コース

白崩(白崩山)[那賀町]( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 国道195号で高知県香美市から徳島県那賀町に入り、平谷で平谷2号トンネルを抜け、国道が大きく左カーブを描く地点にある峯田製材手前の右手広場隅に駐車させて貰う。

この登山記録の行程

駐車場所11:19・・・木馬道に合流11:29・・・素掘りトンネル前で休止11:43~12:19・・・平谷街道の倒木箇所から上の道へ12:39・・・山頂で休止13:14~13:51・・・御堂峠でカメラの状態を確認14:06~14:12・・・荒谷に下りた地点で休止14:36~14:39・・・つづら峠で休止15:38~16:07・・・荒谷トンネル口周辺で数分写真撮影・・・駐車場所16:47

コース

総距離
約7.6km
累積標高差
上り約631m
下り約633m

高低図

GPX ダウンロード KML ダウンロード

登山記録

行動記録・感想・メモ

[ネット初公開コースでは滝の天辺を渡渉]
徳島県の大河・那賀川沿い周辺の中部山渓は、県下でも最も無名峰・マイナー山が多い地域の一つ。その一座に長安口貯水池西方に屹立する白崩(しろざれ:734m・登山界では「白崩山」と呼称される)がある。山名の由来は山頂から西に300m以上の距離に亘って斜面が大崩壊して、山肌が白く見える様による。そのため山頂は断崖絶壁となっており、那賀川や周辺の山々の絶景が広がる。

この山の登山コースとして利用されているのが、昭和初期まで幹線として利用されていた平谷街道。谷口から古屋久保、高磯山南の峠、荒谷、御堂峠、休場峠を経由して平谷まで生活物資等を運んでいた往還である。平谷八幡神社からその街道を通り、御堂峠から尾根伝いに白崩に登頂し、帰路は御堂峠から宮ケ谷沿いを下って八幡に下りて来る回遊コースを辿る登山者が多い。

しかしそのコースだと、山中の見所、手掘りの素掘り隧道を見逃す恐れがある。その隧道は平谷街道が通る尾根を南北に貫通しており、山中で伐採された木々を木馬道で運搬し、登山口の峯田製材のある箇所まで下していた切出し作業のために掘られたもの。幅と高さ、約2m、全長15m弱の規模。記録はなく、登山口に居住する峯田氏も他所から移ってこられているので、造成時期は不明だが、明治後期から昭和初期位に掘られたものではないだろうか。

私が選んだコースは、木馬道を隧道まで登り、そこから平山街道を辿り、途中から尾根を直登して山頂へ上がり、下山は御堂峠から途中まで平山街道を辿った後、造林歩道を荒谷まで下り、谷沿いをつづら峠まで行って国道に下り立ち、駐車場所へと戻るという、比較的長い距離の回遊コース。
往路の尾根の直登は急登箇所があるが、復路の荒谷沿いの道はこれからの季節、涼を求めるには良く、また、途中には森林鉄道や鉱山鉄道廃線跡を彷彿させるような巨岩の掘割切通しや、落差20m以上の滝の天辺を渡渉する箇所がある等、変化に富んだ山行を楽しむことができる。

[コース]
峯田製材敷地を通る車道は当然私道なので、車で走行することはできない。製材社から登山口までは徒歩2~3分ほど。一応私は峯田社長の両親と思しき二人に、これから通行する旨、声かけてから通った。わざわざ家を訪ねて通行許可を貰う登山者はいないが、敷地内で会うと挨拶するのが礼儀だろう。

歩道に変わってからも造林作業等で歩かれているせいか、藪は全くない。
道は白崩南西の尾根の合流点へと切れ込む涸れ沢を渡っており、かなり先で急カーブを描いた後、この沢の上流を渡り直していることが想像された。そこで涸れ沢沿いを登ってショートカットすることにした。森林基本図ではこのルートに道が記載されているが、廃道化して久しい。
最初は沢の左岸(南岸)を登り、藪っぽくなってきたら右岸に渡り、植林帯を登った。

しばらく上って木馬道に合流するとすぐまた涸れ沢を渡り直し、左岸を登る。この辺りは微かに踏み跡が残っている。
踏み跡はほどなく三叉路跡のようなガレ場に達した。木馬道の上を石ころが覆っているため、最初の内、踏み跡は不明瞭だが、ここからコースは右折し、ザレた斜面を一直線にトラバースしている。無名峰登山に慣れている登山者なら、コースは大体分かるだろう。
ガレ場を越えるとはっきりした木馬道が再び姿を現す。地質がもろいせいか、この斜面に植林はなく、雑木帯になっている。

顕著な支尾根を二つ乗越した先に遂に隧道が姿を現す。写真で見るより実際は小さいが、内部は風の通り道となっており、北口は絶壁となっている。内部は手掘り故、荒々しい掘り方だが、近代のものなら全てが手掘りではなく、当然爆薬も使用されたことだろう。
木馬道は隧道を南に抜けると左に曲がり、尾根の南下を並行して走っているが、少々先のY字路を左折し、尾根上の平谷街道へと上がる。
尾根上の街道を少し進んだ先、道は二又になっているが、右の方が街道で赤テープが付けられている。尾根沿いは殆どが植林。

475mピークは北側を巻いて再び尾根に乗る。そのピークの手前だったか、再度尾根に乗ってからだったか忘れたが、街道の左手にここで行き倒れになった修行者・一法道貫の自然石の墓石が建っている。
その先、山頂部を望める箇所があるが、すぐまた植林帯に突入し、ほどなく、街道は尾根と分かれ、尾根直下を並行するようになる。ここで尾根道を登っても良かったが、もう少し歴史ある街道を歩いてみようと思い、道上に斜めに倒れた倒木のある箇所まで行った。
倒木を除けて左上に上がると、尾根道と街道との間にもう一本、道があった。それを辿ると左にカーブした先で終わっていた。そこでここから再び尾根に乗り、山頂南西の尾根の合流地まで直登することにした。

最初は尾根の形が明瞭な植林尾根だったが、その内尾根幅が広がって行き、遂には尾根の形がなくなって、ただの急勾配の斜面のようになる。かなり身体に堪える傾斜だが、長時間、この上りが続く訳ではないので、辛抱して登る。
尾根の合流地点付近は石灰岩が露出し、明るくなっていた。そのままの進路でその石灰岩帯を登っても良かったが、少し右手に回りこんで御堂峠からのコースに合流してから登った。この辺り、踏み跡は不明瞭だが、藪はないので適当に登れば良い。

小ピークを越え、再度上りになり、樹林帯を抜けると目の前に山頂からの崩落跡斜面が見える。眼下には絵具を溶かし込んだような碧色の那賀川が望見できる。
山頂も同様の絶景。那賀川の上流方向には、川を挟んで北側に日明山、南に984m峰、その成瀬川を挟んだ更に南には高峠山が大きな山体を横たえている他、遠景の木頭の山々も一望できる、メジャー峰並の眺望が広がっている。

帰路は御堂峠向けて植林帯の尾根を下って行くが、思っていたより、尾根幅の広い箇所が多い。
御堂峠上は崖状になっており、木々に掴まりながら峠に下り立った。
峠の北側斜面上には、明治17年建立の光明真言塔があり、南側の平地には峠名の由来になった仏堂が佇んでいる。堂宇は昭和59年に建て直されている。中には南北朝時代に建立された二基の板碑と地蔵が祭られているようだが、扉に鍵がかかっており、内部を拝むことはできなかった。

峠から荒谷側に下る平谷街道の道筋はなぜかネットには公開されておらず、県内で刊行された登山や峠のガイドブックにも紹介されたことが殆どない(平成期のものでは)。
峠から北東に下る街道はすぐ三叉路になる。そのまま直進する道が本道のように見えるが、街道は右後方に折り返す道の方である。この道は植林帯の中、山襞に沿って緩やかにくねくねと下りている。この下りは地図で見るよりも、何倍も長く感じられる。
少々先で街道は東の谷に下りるはずだが、一向にその気配がない。「これは可笑しい」と途中で後ろを振り返ると、東方向に路盤に石積みが築かれた小径が分かれているのが見えた。しかし本道は飽くまで今、歩いているこの道で、その道は支道である。それに造林作業場や炭焼き窯跡へ続く道で、行き止まりになっている可能性もある。それにもまして、今歩いているこの道が、どこに繋がっているかを見届けたかった。故にそのまま直進を続けた。

高度的にもうそろそろ荒谷に下りても可笑しくないはず、と思っていると、急に踏み跡が不明瞭になった。そこでそこから前方左に下ってみた。するとそれが道跡で、すぐ荒谷に下り立った。そこは谷沿いの歩道の終点になっていた。
この谷沿いの道はしっかりしており、路盤に石積や石垣が築かれている箇所もある。
しばらく進むと、左後方に折り返す、路盤に石積みが築かれた支道が分岐していた。ここが平谷街道分岐かも知れない。だとしたら、この少々手前に渡渉地があり、平谷街道は高磯山南のコルに向かって上がっているはずである。しかしもう引き返して確認する気力はなかった。

この荒谷沿いの道は、徐々に谷のかなり上部を走るようになり、十数メートル以上の深さの岩盤の掘割箇所や谷本流の渡渉地に石積みの橋台が残る等、まるで森林鉄道廃線跡を彷彿させる。機関車は走らなかったとしても、手押しトロッコ位は走っていたのではないかとさえ思われる。
そんなことを思いながら歩いていると、滑らかな岩盤をせせらぎが流れる支流の沢の渡渉箇所があった。そこを渡って道がやや右にカーブを描いた地点でふと振り返ってみると、その渡渉地の下には落差20m以上の滝が懸かっていた。滝の天辺を渡渉したことになる。

もうそろそろ休止中(地元の反対運動により)の荒谷トンネルに達するはず、と思っていたら分岐があり、右下に何かの碑がある。そこに行ってみると「つずら峠」(「つづら峠」の誤りだろう)の立て看板があり、その碑は明治25年に起きた高磯山の大崩壊による災害の記念碑だった。
国道沿いの荒谷トンネルに出るとばかり思っていたため、焦る。その周辺からは木の間越しに国道も見下ろせたので、ズームレンズで国道の標識等を確認してみると、ここはどうやら荒谷トンネル上を走る尾根のコルである模様。手持ちの地図が間違っていたのである。国土地理院の地図でも時折間違いがある位なので、民間の地図会社が作成した地図なら間違いがあっても珍しくない。

つづら峠から国道までの区間は、長安口ダムが出来て峠道の大半が水没して以降、歩く者が激減したため、踏み跡も消えかかっているが、トンネル横の擁壁を目指して下れば良い。擁壁上からは階段が南に下りており、すぐ国道に立つことができる。
後は駐車場所まで国道を引き返すのみだが、路側帯がないため、通行は慎重に。特に複数あるトンネル内では幅員が狭まるため、走って通り抜けた。

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