行程・コース
天候
晴れ時々曇り
登山口へのアクセス
電車
その他:
近鉄南大阪線二上山駅下車
この登山記録の行程
二上山駅(20数分)新池(50分ほど)二上山雄岳(20分ほど)二上山雌岳(10分ほど)岩屋(20分弱)雄岳と雌岳とのコル(50分ほど)屯鶴峰休憩所(20数分)近鉄大阪線関屋駅
※当時の文献や地図の大半は廃棄しているため、雌岳の南側と屯鶴峰周辺の作図や写真の図示が若干間違っているかも知れない。
高低図
登山記録
行動記録・感想・メモ
大阪府太子町と奈良県当麻町との境界周辺に広がる二上山火山群。この主峰が雄岳(517.2m)と雌岳(474.2m)からなる二上山で、雄岳山頂には宮内庁が管理する悲劇の皇子・大津皇子の陵墓がある。
皇子の姉・大伯皇女(おおくのひめみこ)はその悲しみを万葉集に詠んだが、他の何人もの歌人にも二上山は詠まれ、親しまれてきた。
雌岳山頂部は形状的にも自然の展望台で眺望が優れているが、山頂周囲には桜が植えられているため、4月上旬から中旬はピンクに包まれる。
また、二上山はサヌカイト等も産出するため、古代より石器や古墳の石棺を造る目的等で石材が切出されていたが、かの明日香村の高松塚古墳の石棺の石材切出し場跡も残っている。
この二上山の噴火による火砕流が堆積、凝灰岩となり、地殻変動によって地層が傾斜、長い年月によって浸食された1600ヘクタールに及ぶ奇岩地形が屯鶴峰(どんづるぼう)である。コースは二上山から火砕流のルートに沿って屯鶴峰へと到る。
[コース]
二上山駅を出るとすぐ左に曲がり、踏切を渡る。住宅街を直進して行き、道標のある三叉路を右折。
集落を過ぎてほどなく春日神社が現れる。境内に神武天皇関連の碑が建っていたが、記録してなかったため、碑文の記憶もない。東征時の伝承だったかも知れない。
神社から先もいくつも分岐があるが、皆、道標が立っているので心配いらない。
二上山登山口側に上ノ池があり、更に登ると新池が現れる。新池は上ノ池より小さいものの、木立に囲まれた池面はそよ風にさざ波立ち、なかなか趣がある。
道の下を流れる小川沿いを進み、キャンプ場を見送ると、銀峰(396m)経由の雄岳コースとの分岐に到るが、そのコースは藪化が進行しているので、左の谷沿いの道を進む。
266.4m峰南のコル向けての上りになると急登になるが、傾斜が緩くなるとやがて二上山神社口分岐に達する。ここからの幅員は狭く、勾配も再び急になる。その傾斜が再度緩くなると、間もなく雄岳山頂。山頂には式内社である葛木二上神社や大津皇子陵、稲荷大神碑等があるが、入山料200円が必要。故に小銭を用意しておきたい。
山岳信仰による二上神社の創始に関する記録はないが、貞観元年(859)、従五位下から従五位上に昇叙されたことが「三代実録」に見られる。また、嘉永元年(1848)の「西国名所図会」には、「例年3月23日、薩洲より修験者来たり。當麻寺の僧侶とともに護摩供を修法す。」とある。
天武天皇の皇子である大津皇子は、持統天皇を母に持つ草壁皇子との皇位継承争いに敗れて叛逆の罪を着せられ、処刑された。
万葉集に収録されている姉の大伯皇女の歌が悲しみを誘う。
「うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を弟(いろせ)と我(あ)が見む」
「磯の上に生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに」
雄岳からは南のコルに向けて急勾配の道を下るが、進路上に恰も人工の展望台のように見える、富士山形の雌岳が望見でき、山頂に集う行楽客やハイカーの姿も捉えることができる。河内平野が開け、天気が良ければ大阪湾から六甲山系も遠望することができる。
雌岳山頂部は三角点の周囲から外側が整地されており、その整地部分には石造の日時計が設置されている。
山上の端に植樹されている桜の木の下にはそれぞれ、石造ベンチも置かれているため、車で上部まで上がって来た行楽客等が花見を楽しんでいた。
展望は抜群で河内平野が一望できる。
雌岳からは府県界線の西に並行して南にジグザグに下る道を取り、岩屋へと向かう。
岩屋は奈良時代に築造された二基の岩窟で、大きい方の岩窟入口付近には、高さ3mの凝灰岩製多層塔が建立されている。
岩窟にはかつて木造の覆屋があったと考えられており、そこで中将姫が当麻寺所蔵の当麻曼陀羅を織ったという伝説がある。
この周辺にも桜が咲いている。
桜の奥には巨木の「岩屋千年杉」がそそり立っている。幹周5.8m、樹高28m、樹齢は約一千年と言われているが、弘安9年(1286)に芽吹いた記録がある。
尚、この杉は現在、台風で倒れ、その下をくぐって通り抜けるようになっている。
岩屋からは反対側の道を進むが、鹿谷寺跡へ下る道が交差する四差路に、二基の道しるべがあったかも知れない。向かって右のものには、「右 此上いわや 中将姫」という刻字が読み取れ、左の標柱型のものには「左 二上山道」と刻まれている。
鹿谷寺跡への道を横断して行った先には古代の石切り場跡がある。見上げるほどの巨岩から切出していたようだが、ここから明日香村の高松塚へ運ぶには、想像を絶する労苦があったものと推察される。
石切場跡からは来た道を四差路まで引き返したのか、それとは反対側の道を行って鹿谷寺跡への道に出てから四差路に引き返したのか、記憶にないが、四差路からは雌岳の西斜面を巻く道を、雄岳と雌岳とのコルまで引き返す。
その途中から雌岳西下の円形展望台へ分岐する道があったようだが、展望台自体の記憶はない。
コルからは二上谷沿いの道を下って行く。
杉林を過ぎ、幅員が4m以上の車道になると、間もなく全国一の金剛砂の産出量を誇った金剛砂採掘場跡に出るが、ここの記憶もなく、写真も撮っていない。
近鉄南大阪線のガードを抜けた先の三差路が、全長45kmに及ぶダイヤモンド・トレール(金剛葛城長距離自然歩道)の起点。因みに45kmの内、35kmを縦走するイベントを毎年、朝日新聞社が主催しており、私は’90年、参加した。しかし公共交通機関の発達している関西では、有料イベントに参加しなくても、いつでも縦走できる。
その三叉路を左折するとすぐ右手に屯鶴峰の道標が現れるので、北に折れる。
屯鶴峰はその景観から人気が高く、大体休日には大勢のハイカーの姿が見かけられる。浸食された深い谷、土柱、奇岩等々、見る者を飽きさせない。
白い凝灰岩が木々の間に散在して見え、その様が、鶴が群がっているような光景に見えることから山名が名付けられた。
峰の北端には展望休憩所があるため、この日の山行最後の休止を取りたい。
奇峰を心ゆくまで堪能すると、南の三差路まで引き返し、東に下る。
国道195号に出たら北に折れ、少し歩いてから東方の香芝総合公園への道に入り、公園を過ぎて最初の分岐を左に進み、樟蔭女子短期大学の看板のある分岐も左折。
大きく右カーブを描いて近鉄大阪線に接近して行き、踏切を渡ると関屋駅である。
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装備・携行品
シャツ | アンダーウェア | ロングパンツ | 靴下 | レインウェア | 登山靴 |
バックパック | 水筒・テルモス | ヘッドランプ | 帽子 | グローブ | 地図 |
コンパス | ノート・筆記用具 | 腕時計 | カメラ | 非常食 |
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