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柏尾山塹壕とクロカンコース

柏尾山南尾根(高知市)( 中国・四国)

パーティ: 1人 (マローズ さん )

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行程・コース

天候

晴れ

登山口へのアクセス

マイカー
その他: 自宅から県道37号を北上、県立春野総合運動公園・長谷入口分岐を東に折れ、公園内道路を上がり、第10駐車場に駐車。公園開門時間は6~22時(季節によって変動するかも)。

この登山記録の行程

第10駐車場16:14・・・展望台で写真撮影16:28から数分間・・・立入禁止看板(尾根取付き地点)16:40・・・塹壕群付近の斜面を探索16:57から十数分以上・・・送電鉄塔17:16・・・竪穴壕付近を探索17:23~17:32位・・・塹壕のコル17:45・・・第10駐車場18:44
※上記タイムはカメラの画像データで、部分的に休止や探索時間も含む。

コース

総距離
約4.1km
累積標高差
上り約328m
下り約328m

高低図

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登山記録

行動記録・感想・メモ

高知県立春野総合運動公園は高知県最大の総合運動公園で、園内を一周する、芝生や木道のクロスカントリー・コース(全長3.4km)が整備されている。県内のトレラン・ファンにはコースの存在があまり知られてないかも知れないが、コース北部は「高知市の屋根」(当方が勝手に呼称)南嶺の柏尾山(323m)の山裾を通っているため、樫類やヤマモモの木等の自然林も多く、コース沿いには展望台もある。

この日私は、足のリハビリと気分転換(足を負傷して一ヶ月間、登山ができていないため)のため、クロカン・コースを一周しようと思っていたが、コース途中で柏尾山尾根取付き部を発見。そのルートは登ったことがないので、尾根を辿って行くと上部で陸軍の塹壕や臼砲壕のような竪穴壕らしきものを見つけた。

前も述べたように、昭和20年、高知県の絶対防衛ラインが南嶺から浦戸湾を挟んだ大森山系の稜線に定められたこともあり、それらの山系には多くの塹壕(烏帽子山から宇津野山にかけての塹壕は以前の登山記録で触れた)等の壕や壕跡が残っている。
時間の関係上、柏尾山の稜線には登れなかったが、塹壕を往復した後、後半のクロカン・コースを辿って運動公園を一周した。

[コース]
第10駐車場の東端に駐車し、その東の三叉路横にある車止めから北にクロスカントリー・コースを上がる。アーチェリー場横の第14駐車場に向かう車道に沿って芝生道が整備されており、公園を見下ろすこともでき、気持ちがいい。この公園ができた当初(昭和54年)はクロカンがまだ一般的ではなかったため、何年か後に造成されたものだろう。

第14駐車場からは展望台に向けて二つのルートがある。一つは車椅子や高齢者でも登れそうな遠回りのアスファルト道路。もう一つはその道路分岐三叉路から西に直登する急坂の丸木階段コース。リハビリのため、後者コースを上がる。
展望台は86m独標点南西の80mピークに設置されているが、北側は神戸市のビーナス・ブリッジのような形状の高架になっている。但し、ループ橋ではない。
南側に突き出すように設置された展望台からの眺望は良く、公園を一望できる他、雀ケ森城跡から戸原海岸まで見通すことができる。

展望台からは来た道を引き返し、アーチェリー場南から射撃場南を通り、補助陸上競技場上に来ると左カーブを描き、階段が断続的に続く木道になり、樹林帯に入って柏尾山の支尾根の山際を北上する。
これがクロカン・コースではなく、ただのハイキングコースであれば、山肌を削平してコースを造ればいいのだが、対向者とすれ違うことができるようにするためには、このように斜面に木道橋を建てるしかないのだろう。自然保護(踏圧による地面へのダメージに対する)を兼ねているのかも知れない。

木道が北東から南東に変わる地点には立入禁止看板がある。てっきり、私有地のための措置だと思って説明書きを読んでみると、理由は急坂で危険なため。足の接地面が平らな場所ばかり歩いていたら、山登りを再開するためのリハビリにならないため、その斜面を登ることにした。
当日は地図を持参していなかったため、現在地や周囲の山との位置関係が分からなかったが、帰宅後、地形図(高知)を確認すると、ここは柏尾山から南に派生する主尾根に繋がる支尾根の取付き部だった。主尾根の突端は前述の86m独標点の東の尾根である。

最初は踏み跡があったが、主尾根が近づくと尾根幅が広がり、踏み跡も不明瞭になる。が、よく山中を見ると、林業関係者か国土調査員が付けたと思しきピンクのテープがある。
主尾根に上がると一旦尾根の形が明瞭になるものの、標高120m位で再び尾根幅が広がる。但し、藪は刈られているせいか、全くない。周囲は雑木。
地図を持参してなかったため、正確な場所は分からないが、標高200mの尾根が細長くなった箇所の北寄りに柏尾山城の堀切のようなコルがあったと思う。そして尾根の両側には陸軍の塹壕があった。東側の塹壕は、主たるものは北東方向に掘られており、いくつか分岐した短い脇塹壕がある。内部は土砂のため、深さは数十センチ以下と浅くなっている。

西側の塹壕は、その西の登山道(鉄塔巡視路だったかも)に連結させる歩道と兼用として掘ったように見受けられ、見た目にもただの踏み跡のように見える。塹壕らしい場所は一ヶ所のみで、その部分はなぜかカンタロウ(シーボルトミミズ)の墓場になっている。
その先に少し進むと、右手斜面には竪堀壕がある。その竪堀内の上下二ヶ所に横穴壕があったような造りになっているが、どちらもほぼ埋まっている。
周辺にも横穴壕がないかと鉄塔巡視路沿いや斜面を探ってみたが、見つからなかった。

標高220mピークを越えた先で送電鉄塔に出る。ここからは鉄塔巡視路となるが、後で地図を確認すると、この鉄塔から柏尾山山頂までのルートは拙著で紹介していた。更にその途中から東進して芳原の大芝集落北部に下りる巡視路は、’90年代半ば、柏尾山から白土峠回遊時に歩いたことがある。
尾根に戻り、しばらく登ると鉄塔巡視路は主尾根を逸れて北東の斜面をトラバースするようになる。尚、この部分は作図を失敗している可能性があるが、部分修正ができないので、そのままにしている。尾根を逸れる箇所はもう少し南である可能性あり。

道が左カーブを描く箇所の右下を見ると、竪穴が見えた。足を気にしながらそこへ下って行くと、炭焼き窯跡なのか砲台の竪穴壕なのか見分けがつきにくい竪穴があった。炭焼き窯を造るには、少々斜面が急過ぎる気がする。竪穴の外の山際を深く竪に掘っている点も、あまり炭焼き窯では見られない。山砲等の砲台壕や尾根を貫通する素掘り隧道、横穴壕の場合は、このように深く斜面を掘りこむことが多い。
ここでも近辺を探ってみたが、他に壕は見当たらなかった。もう17時半を回っていたので、引き返すしかない。

クロカン・コースに引き返すと、南東へと下りて行き、補助陸上競技場の北東部に出た。トイレの南の分岐から東には陸橋があり、多目的広場に繋がっているが、陸橋と多目的広場は、高知南ニュータウンからのアクセスと利便性を考慮して、造られたものだろう。
補助陸上競技場からは広い道路を南に下り、メインの陸上競技場に突き当たると左折する。陸上競技場の外側にも屋根付のレーンがあるが、ここなら一般の者が雨天時でも練習できる。そのレーンの外側をクロカン・コースが走る。

園内の主要道路に出ると西へ進む。道路を挟んだ南西にはレストランのあるホテル「ホテルSP(スポーツパレス)春野」があるので、そこで食事をしてもいい。宿泊は朝食付でシングル4,000円少々。
主要道路沿いのコースは舗装道で面白くないが、体育館南で北西に折れる。尚、実際はそこより南のいこいの広場周辺も見て回ったので、コースタイムはよけいにかかっている。

体育館沿いの道には今の時期、青色の紫陽花が咲き乱れているが、紫陽花は旧春野町の町花だった。
体育館の奥の駐車場上に来るとまた芝生道になり、右カーブを描いて上り坂になる。
やがて球技場西の道路に出ると北に折れ、第10駐車場へと戻る。球技場を過ぎた地点からは、展望台から柏尾山の山容を望むことができる。

今回の戦跡探索山行で、まだ足が登山できる状態にはほど遠いことが分かった。夏が終わるまでには治し、登山を再開したいのだが・・・。

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