甲斐駒・仙丈ヶ岳 | 北沢峠 こもれび山荘

仙丈ヶ岳方面は5合目からは完全に雪の上を歩きます。 アイゼン、ピッケル等雪山の装備をお持ちください

(2018.05.21 北沢峠 こもれび山荘)
(2018.05.21 北沢峠 こもれび山荘)
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天気・気温

05/18(金) 晴れ。朝7時の気温+14℃、12時の気温+20.8℃。寒い日の朝は3℃くらい。
甲府市の天気予報
明日
晴のち曇
30℃
14℃
明後日
曇のち雨
24℃
16℃
日本気象協会提供 2024年4月25日 0:00発表
松本市の天気予報
明日
晴のち曇
29℃
8℃
明後日
曇一時雨
23℃
14℃
日本気象協会提供 2024年4月25日 0:00発表
※ご利用上の注意

山と周辺の状況

林道に大崩落があり、6月15日まで林道バスが運行しません。
マイカーの場合は戸台まで、公共交通機関では仙流荘までとなり、
そこからは徒歩でのアプローチになります。
戸台からは5時間半以上かかります。

登山道の状況

甲斐駒方面、仙丈ヶ岳方面とも雪山です。
仙丈ヶ岳方面は、3合目と4合目の間から雪があり、5合目からは完全に雪の上を歩きます。
アイゼン、ピッケル等雪山の装備をお持ちください。
朝夕は固く、アイゼンが必要で、午後は緩んで踏み抜きが多くなります。
雪の状況に注意を払って歩いてください。

またアプローチでは、戸台のところで渡渉があります。
雨が少ないと飛び石でいけますが、通常は膝くらいまで浸水します。
雨のあとなどは腰くらいまで水に浸かります。

登山道情報は、予約時に必ず確認してください。

登山装備

雪山の装備をお持ちください。
アイゼン、ピッケルは必ずお持ちください。
山荘までのアスファルトは、歩きやすいアプローチシューズがあるとよいでしょう。
防寒対策を忘れずに。
防寒用の帽子、手袋に加え、好天時のサングラスなどもお忘れなく。

注意点

特に気温の上がる下山時には踏み抜きに注意が必要です。
荷揚げはすべて人力(歩荷)になりますので、夕食のみの提供とさせていただきます。
朝食はご自身で用意いただくか、売店でパンなどの軽食を買っていただくことになります。

お知らせ

北沢峠こもれび山荘は、4月27日から11月上旬まで営業します。

宿泊者も少ないため、ゆったり過ごせます。
宿泊を希望される方は、必ず前日までに連絡してください。
(小屋直通 衛星携帯電話080-8760-4367)

北沢峠 こもれび山荘周辺の過去の様子

  • 甲斐駒ケ岳(ジロパパさんの登山記録から)
  • 仙丈ヶ岳の様子(山旅人hiroさんの登山記録から)
  • 6月15日からバスの運行が再開。山荘周辺は緑に覆われています
  • 山荘外観
  • 仙丈ヶ岳山頂
  • 仙丈ヶ岳山頂
  • ミヤマキンバイ
  • コイワカガミ
  • キバナシャクナゲ
  • 大仙丈ヶ岳

北沢峠 こもれび山荘

電話番号:
080-8760-4367
連絡先住所:
396-8617  長野県伊那市下新田3050番地 伊那市役所 商工観光部 観光課

地図で見る
https://www.facebook.com/komorebisansou.southernalps/

施設の詳細を見る

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山梨県 / 赤石山脈北部

甲斐駒ヶ岳 標高 2,966m

 全国に駒ヶ岳を名のる山は20座を超えているという。その中で最も高いのが甲斐駒ヶ岳である。作家の宇野浩二は、『山恋ひ』の中で、「山の団十郎」と絶賛した。ふもとから仰いだその山姿は、正にその名に価する高貴な山容をもって迫ってくる。  太古、武御雷命(たけみかずちのみこと)が生んだ天津速駒(あまつはやこま)という白馬がいた。羽があって空中を飛んでおり、夜になると、甲斐駒ヶ岳の頂上で眠ったとのこと。これが命名の由来といわれている。  また、天平3年(731)には、甲斐国から朝廷に、身が黒色、尾が白い馬が献じられた。その馬に乗って聖徳太子が甲斐駒ヶ岳を往復したとか。ふもとを巡る川は、それにちなんで尾白(おじら)川と呼ぶ、などの伝説も残っている。  それはともかく、かつては駒ヶ岳講の名において、白装束の講中登山の山であった。開山したのは、信州・諏訪の小尾権三郎(弘幡行者)で、文化13年(1816)6月15日、20歳のときであった。しかし、文化11年編『甲斐国志』には、すでに「山頂巌窟ノ中ニ駒形権現ヲ安置セル所アリ」と記しているので、その真偽のほどは分からない。  登拝路のメインルートであった黒戸尾根上に残る、おびただしい信仰のモニュメントの数々を目にすると、そんな歴史上の小さな矛盾は消し飛んでいくような気がする。  かつては、白崩山の異称さえあった、真っ白な花崗岩とハイマツの緑に覆われた山頂からの眺めは、さすがに一等三角点の本点だけのことはある。この三角点のやぐら(覘標(てんびよう))は明治24年7月10日に建てられ、同年7月14日に標石を埋めた。同年9月12日から25日まで観測が行われている。南アルプス三大急登の1つに数えられる黒戸尾根を、重さ90kgもある標石を担ぎ上げた先人の苦労には頭が下がる。  甲斐駒ヶ岳は、伊那の人たちは東駒ヶ岳と呼んでいる。目と鼻の先に見える山に、他国の名を冠するほど人間はお人好しではない。  さて、甲斐駒ヶ岳を巡ってたくさんの花崗岩の岩壁がある。この一帯に集中的に挑みルートを開拓していったのは、主として東京白稜会のメンバーであった。1949年から1970年にかけてのパイオニア・ワークは、一頭地抜きん出ている。この会の代表であった、恩田善雄氏の「甲斐駒ヶ岳―わたしの覚書き」は、甲斐駒周辺の地誌、登攀記録、山名の由来、伝説などを網羅したものである(未刊行)。  登山コースは尾白川渓谷から黒戸尾根経由で山頂まで9時間。南西の北沢峠からは双児山、駒津峰を越えて約4時間の登りで山頂へ。

山梨県 長野県 / 赤石山脈北部

鋸岳 標高 2,685m

 名は体を表わすというが、正にそのとおり鋸歯状の荒々しい山姿を見せるのが鋸岳である。甲州側から見ると、甲斐駒ヶ岳の西に、三ツ頭、熊穴沢ノ頭、中ノ川乗越、第二高点、大ギャップ、中岳、鹿窓、小ギャップ、第一高点(鋸岳)、角兵衛沢のコル、角兵衛沢ノ頭、三角点ピーク、大崩れノ頭、横岳峠、横岳へと続く。南アルプスの中では特異な山で、不安定な岩稜歩きのため一般登山者の姿を見ることは少ない。  この山が登山史に現れるのは、明治36年8月、ウエストンが甲斐駒ヶ岳を経て試登。同44年7月、辻本満丸、星忠良が鞍掛山から入山、第二高点に立った。翌年、小島烏水、岡野金次郎が横岳峠から第一高点に登った。頂上直下に、すでに野営の跡があったというのだから、もう先蹤者がいたわけである。それが誰だったのかは、今もって分かっていない。

山梨県 / 赤石山脈北部

アサヨ峰 標高 2,799m

 南アルプスの展望台、早川尾根の盟主である。この頂からは南に北岳、仙丈ヶ岳、西に甲斐駒ヶ岳、北に八ヶ岳、金峰山、東に鳳凰三山や富士山と、実に眺めがいい。  漢字で浅夜峰、朝与峰などと書かれたこともあるが、最近はアサヨ峰と書く。江戸時代に、野呂川流域に伐採に入った人たちが朝日峰と呼び、書いていた。ところが、何かの拍手に「日」の第一画が落ちて朝ヨ峰となり、アサヨ峰と書くようになったのではないだろうか。  広河原まで車で入り、西広河原沢のルートを北に広河原峠に上がる。早川尾根を西に縦走して登頂、栗沢ノ頭を経て北沢峠へ。ここから村営バスで広河原に戻るのが一番容易なコース設定である。  所要時間は、広河原から広河原峠経由6時間で山頂へ。北沢峠への下りは3時間ほど。

ユーザーの登山記録から

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