甲斐駒・仙丈ヶ岳 | 北沢峠 こもれび山荘

5/27~6/3まで山荘改修工事のため休業です。仙丈ヶ岳方面は5合目からは完全に雪の上、要 アイゼン、ピッケル。

(2018.05.21 北沢峠 こもれび山荘)
(2018.05.21 北沢峠 こもれび山荘)
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天気・気温

05/22(火) --
甲府市の天気予報
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日本気象協会提供 2024年3月28日 16:00発表
松本市の天気予報
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日本気象協会提供 2024年3月28日 16:00発表
※ご利用上の注意

山と周辺の状況

林道に大崩落があり、6月15日まで林道バスが運行しません。マイカーの場合は戸台まで、公共交通機関では仙流荘までとなり、そこからは徒歩でのアプローチになります。
戸台からは5時間半以上かかります。

★こもれび山荘より重要なお知らせ
5/27~6/3まで山荘改修工事のため休業させて頂きます。この期間、山荘は完全に閉鎖となるのでご注意ください。また、周辺の小屋も休業中ですのでよろしくお願い致します。
勝手な都合ながらご迷惑おかけしますがよろしくお願い致します。

登山道の状況

甲斐駒方面、仙丈ヶ岳方面とも雪山です。仙丈ヶ岳方面は、3合目と4合目の間から雪があり、5合目からは完全に雪の上を歩きます。アイゼン、ピッケル等雪山の装備をお持ちください。
朝夕は固く、アイゼンが必要で、午後は緩んで踏み抜きが多くなります。雪の状況に注意を払って歩いてください。

またアプローチでは、戸台のところで渡渉があります。雨が少ないと飛び石でいけますが、通常は膝くらいまで浸水します。雨のあとなどは腰くらいまで水に浸かります。

登山道情報は、予約時に必ず確認してください。

登山装備

雪山の装備をお持ちください。アイゼン、ピッケルは必ずお持ちください。山荘までのアスファルトは、歩きやすいアプローチシューズがあるとよいでしょう。防寒対策を忘れずに。
防寒用の帽子、手袋に加え、好天時のサングラスなどもお忘れなく。

注意点

特に気温の上がる下山時には踏み抜きに注意が必要です。
荷揚げはすべて人力(歩荷)になりますので、夕食のみの提供とさせていただきます。
朝食はご自身で用意いただくか、売店でパンなどの軽食を買っていただくことになります。

お知らせ

北沢峠こもれび山荘は、4月27日から11月上旬まで営業します。

宿泊者も少ないため、ゆったり過ごせます。
宿泊を希望される方は、必ず前日までに連絡してください。
(小屋直通 衛星携帯電話080-8760-4367)

北沢峠 こもれび山荘周辺の過去の様子

  • 甲斐駒ケ岳(ジロパパさんの登山記録から)
  • 仙丈ヶ岳の様子(山旅人hiroさんの登山記録から)
  • 6月15日からバスの運行が再開。山荘周辺は緑に覆われています
  • 山荘外観
  • 仙丈ヶ岳山頂
  • 仙丈ヶ岳山頂
  • ミヤマキンバイ
  • コイワカガミ
  • キバナシャクナゲ
  • 大仙丈ヶ岳

北沢峠 こもれび山荘

電話番号:
080-8760-4367
連絡先住所:
396-8617  長野県伊那市下新田3050番地 伊那市役所 商工観光部 観光課

地図で見る
https://www.facebook.com/komorebisansou.southernalps/

施設の詳細を見る

関連する山

山梨県 / 赤石山脈北部

甲斐駒ヶ岳 標高 2,966m

 全国に駒ヶ岳を名のる山は20座を超えているという。その中で最も高いのが甲斐駒ヶ岳である。作家の宇野浩二は、『山恋ひ』の中で、「山の団十郎」と絶賛した。ふもとから仰いだその山姿は、正にその名に価する高貴な山容をもって迫ってくる。  太古、武御雷命(たけみかずちのみこと)が生んだ天津速駒(あまつはやこま)という白馬がいた。羽があって空中を飛んでおり、夜になると、甲斐駒ヶ岳の頂上で眠ったとのこと。これが命名の由来といわれている。  また、天平3年(731)には、甲斐国から朝廷に、身が黒色、尾が白い馬が献じられた。その馬に乗って聖徳太子が甲斐駒ヶ岳を往復したとか。ふもとを巡る川は、それにちなんで尾白(おじら)川と呼ぶ、などの伝説も残っている。  それはともかく、かつては駒ヶ岳講の名において、白装束の講中登山の山であった。開山したのは、信州・諏訪の小尾権三郎(弘幡行者)で、文化13年(1816)6月15日、20歳のときであった。しかし、文化11年編『甲斐国志』には、すでに「山頂巌窟ノ中ニ駒形権現ヲ安置セル所アリ」と記しているので、その真偽のほどは分からない。  登拝路のメインルートであった黒戸尾根上に残る、おびただしい信仰のモニュメントの数々を目にすると、そんな歴史上の小さな矛盾は消し飛んでいくような気がする。  かつては、白崩山の異称さえあった、真っ白な花崗岩とハイマツの緑に覆われた山頂からの眺めは、さすがに一等三角点の本点だけのことはある。この三角点のやぐら(覘標(てんびよう))は明治24年7月10日に建てられ、同年7月14日に標石を埋めた。同年9月12日から25日まで観測が行われている。南アルプス三大急登の1つに数えられる黒戸尾根を、重さ90kgもある標石を担ぎ上げた先人の苦労には頭が下がる。  甲斐駒ヶ岳は、伊那の人たちは東駒ヶ岳と呼んでいる。目と鼻の先に見える山に、他国の名を冠するほど人間はお人好しではない。  さて、甲斐駒ヶ岳を巡ってたくさんの花崗岩の岩壁がある。この一帯に集中的に挑みルートを開拓していったのは、主として東京白稜会のメンバーであった。1949年から1970年にかけてのパイオニア・ワークは、一頭地抜きん出ている。この会の代表であった、恩田善雄氏の「甲斐駒ヶ岳―わたしの覚書き」は、甲斐駒周辺の地誌、登攀記録、山名の由来、伝説などを網羅したものである(未刊行)。  登山コースは尾白川渓谷から黒戸尾根経由で山頂まで9時間。南西の北沢峠からは双児山、駒津峰を越えて約4時間の登りで山頂へ。

山梨県 長野県 / 赤石山脈北部

鋸岳 標高 2,685m

 名は体を表わすというが、正にそのとおり鋸歯状の荒々しい山姿を見せるのが鋸岳である。甲州側から見ると、甲斐駒ヶ岳の西に、三ツ頭、熊穴沢ノ頭、中ノ川乗越、第二高点、大ギャップ、中岳、鹿窓、小ギャップ、第一高点(鋸岳)、角兵衛沢のコル、角兵衛沢ノ頭、三角点ピーク、大崩れノ頭、横岳峠、横岳へと続く。南アルプスの中では特異な山で、不安定な岩稜歩きのため一般登山者の姿を見ることは少ない。  この山が登山史に現れるのは、明治36年8月、ウエストンが甲斐駒ヶ岳を経て試登。同44年7月、辻本満丸、星忠良が鞍掛山から入山、第二高点に立った。翌年、小島烏水、岡野金次郎が横岳峠から第一高点に登った。頂上直下に、すでに野営の跡があったというのだから、もう先蹤者がいたわけである。それが誰だったのかは、今もって分かっていない。

山梨県 / 赤石山脈北部

アサヨ峰 標高 2,799m

 南アルプスの展望台、早川尾根の盟主である。この頂からは南に北岳、仙丈ヶ岳、西に甲斐駒ヶ岳、北に八ヶ岳、金峰山、東に鳳凰三山や富士山と、実に眺めがいい。  漢字で浅夜峰、朝与峰などと書かれたこともあるが、最近はアサヨ峰と書く。江戸時代に、野呂川流域に伐採に入った人たちが朝日峰と呼び、書いていた。ところが、何かの拍手に「日」の第一画が落ちて朝ヨ峰となり、アサヨ峰と書くようになったのではないだろうか。  広河原まで車で入り、西広河原沢のルートを北に広河原峠に上がる。早川尾根を西に縦走して登頂、栗沢ノ頭を経て北沢峠へ。ここから村営バスで広河原に戻るのが一番容易なコース設定である。  所要時間は、広河原から広河原峠経由6時間で山頂へ。北沢峠への下りは3時間ほど。

ユーザーの登山記録から

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