積雪を待って再開した人力旅! 大きなポイントとなっていた冬の飯豊山についに登頂! 田中陽希さん旅先インタビュー
「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さん。積雪量を期待して、1月下旬に自宅に帰り、2月中旬から再び旅をスタートした。荒海山、男鹿岳と道のない山を登り、那須連山を経て、冬の飯豊山にチャレンジした。2月から3月末までのチャレンジを振り返る。
- 積雪を期待し2月中旬から旅を再開。栃木・福島県境の登山道のない2座から
- 人生初の打ちっぱなしゴルフを体験! アスリート魂に火がついて・・・
- 3ヶ月半待って登ることができた飯豊山。福島県の旅を終え、次なる山へ
旅を再開! 栃木・福島県境の登山道のない2座を登る
251座目の荒海山は、台風によって6年前から福島県側の登山道は閉鎖されています。1ヶ月待ちましたが、雪の量が少ないままで、ヤブと雪が混在する、登りにくい状態でした。1泊2日の予定を、詰めて日帰りに変更しました。
急斜面の直登に緊張感が高まりました。スノーシューからアイゼンに装着し直して、ピッケルを手にして慎重にルンゼ下まで移動。ルンゼから主稜線へ。予定より1時間遅くなりました。主稜線に出てから、雪庇の稜線を慎重に進み、さらにそこから山頂まで1時間かかりました。
再開後の最初の山が、冬、登山道のないバリエーションルートで、登山の記録や情報もほとんどなく、緊張した分、登頂の瞬間は感動と達成感がこみ上げてきました。登りは4時間でしたが、1時間で下山できました。
3日の停滞を挟んで、次は、登山道のない男鹿岳にチャレンジしました。
男鹿岳も栃木県側からのアプローチです。どこまで行けるかはわからなかったのですが、テント泊2日の計画で入山し、装備が重くなりました。荒海山と同じように谷を詰めて登ろうと思ったのですが、暖冬で谷筋に水が流れるほどの雪の少なさで、尾根に登り返しました。
夏はヤブ山ですが、雪で平坦になっていたので、山頂付近の雪上にテントを張りました。しっかり雪のブロックで囲いを作りました。到着してすぐテントに入るのではなく、1時間くらいかけて雪の囲いを作ったりしていると、身体が暖まって、ウェアが乾いてきますので、僕はいつもそうしています。
夜は満点の星空だったのですが、2日目の朝は曇ってしまいました。それでも、テントの入り口からは次の那須連山を望むことができました。下山はヒップそりであっという間に下山できました。
3月1日。那須連山への移動の途中、那須高原あたりを走っていたら、ゴルフの打ちっぱなしの練習場がありました。これまでいくつもの打ちっぱなし練習場を通り過ぎて、何度か覗いてみたことがあったのですが、まったくの素人が入ってよいのかと遠慮していました。
そこにいたおじさんに声をかけたら、初心者でも打てるというので、よい機会だと思って人生初の打ちっぱなしゴルフを体験しました。アイアンから始めてみて、ドライバーにも挑戦し、220ヤード(約200m)飛ばすことができました。
翌3月2日、那須岳に下見登山で入山しました。風が強いことで有名な那須連山ですので、西から東へ風を避けるように登りましたが、この日は比較的風が穏やかで、山頂まで行けたら行こう、という感じで登っていきました。
茶臼岳のお鉢に出るとすごい風でした。風の通り道という「峰の茶屋」あたりはもっとすごそうだ、と感じながらも、茶臼岳には「登れちゃった」という感じで登頂しました。
その後、天候不順で、2日間、那須湯本温泉で停滞になるのですが、ゴルフ熱が上がっていました。3km先の打ちっぱなしゴルフ場へ走っていき、3時間で350球、打ちました。この日は250ヤード飛ばすことに成功しました。
翌日も停滞でしたが、ゴルフ熱が冷めず、再び3km先のゴルフ場に走っていき、150球打ちました。三百名山の旅なので、めざせ300ヤード、と目標を定めました。
3月7日にようやく天候が回復し、再び那須連山へ向かいました。主峰の茶臼岳には登頂したので、今回は峰の茶屋から朝日岳と三本槍岳を目指します。那須連山・最高峰の三本槍岳へは百名山のときに登りましたが、朝日岳へは初めて登りました。
尖っている山容によって、茶臼より朝日のほうが人気があるとも聞きました。茶臼岳の姿もよく見えました。朝日岳から縦走して、6年ぶりに那須連山・三本槍岳へ登頂しました。
日照時間は少しずつ延びてきたものの、冬山の厳しさは変わりありませんでした。今回は、那須連山を北へ縦走する計画でしたので、稜線から少し下りた旭岳直下の避難小屋で泊まりました。
翌日の縦走後半は、朝から濃霧と小雨となり、甲子山を経由して、大白森山、二杯山、一杯山、小白森山と進み、降雪の中を6時間かけて二岐温泉へ下山しました。百名山のときにはできなかった、主脈縦走を6年越しに実現でき、しっかり那須連山味わうことができました。
翌3月9日は、三百名山の二岐山に向かいました。名前の通り、男岳(西岳)・女岳(東岳)の2つのピークがあります。快晴の中、御鍋神社登山口から登りました。
ブナ平から丸い男岳が見えました。標高はそれほど高くないのですが、山容と違って、実際は急登でした。
山頂に記念樹がある女岳にも登頂したあと下山しました。そこからロードを北東に進み、2ヶ月半ぶりに下郷町の湯野上温泉に着きました。
湯野上温泉から会津若松へ向かう途中、12月にも立ち寄ったとんかつの「むらい」へ。今回は走ることなく、お昼ごはんに間に合いました。3月頃また来るかもしれないと言ってあったので、お店の方が再会を喜んでくださいました。
翌日は、さらに喜多方市を抜けて、飯豊山の麓まで進みました。東日本大震災から9年、3月11日を福島県で迎えました
3ヶ月半待って、再び飯豊山へ。3日の計画を2日に詰めてようやく登頂!
その後、数日間は、天候不順で、飯豊山の計画が立てられずにいました。12月から延長して3月になっても、冬の山、天候の難しさは変わっていませんでした。最低でも2日は天気の安定がほしいのですが、週間天気予報を見るとそれがなく、計画を建てることができません。12月と同じように、思ったように登れないことでストレスを感じ、頭を抱えるしかなかったのです。
宿でヤキモキしているのも嫌だったので、山に向かいました。その日は晴れてはいたのですが、心と体がバラバラのままで、標高1300mの横峰山まで登って下山しました。
自分自身、何に納得したかは分からなかったのですが、こんなあやふやな心境では、これ以上、山にいてはいけない気がして下山しました。山に対しての謙虚な気持ちが無く、反省しながら下山したのでした。
3月14日、ようやく飯豊山へ入山するチャンスができました。
計画では、(1)川入から三国岳避難小屋または切合小屋 (2)本峰・飯豊山へ登頂し往復 (3)いいでの湯へ下る、の3日間。20kgのバックパックで、夜明け後すぐに歩き出しました。
三国岳避難小屋までの途中、剣ヶ峰という難所があります。東西に延びる稜線では雪庇が南北に張り出し、どこが稜線でどこが雪庇なのか判別しにくいため、地元の方からもここが一番難しいと聞いていました。
ホワイトアウトしてしまい、高度感は感じないのですが、緊張感もあり精神的にも疲れる難所でした。結局、三国岳避難小屋で泊まることになりました。
2日目、この先の天候悪化で、しだいに風が強くなるという予報が出ていたので、この日のうちに下山したほうがよいと判断しました。飯豊山に登ったら折り返し、さらに山麓まで下山する行程です。
まず、三国岳避難小屋から飯豊山へ。視界が悪く緊張を強いられる場面もありましたが、ようやく登頂することができました。
11月ごろから大きなポイントとなっていた飯豊山は、天気が3日と安定しない冬の登山が難しく、一度は、帰宅して、時期を変更しました。
縦走はかないませんでしたが、やっと登れたということと、これで「登り残し」がなくなって、前に進んで行ける、という気持ちになれました。山頂で30分待ったら、青空になり、もう一度、記念撮影しました。
避難小屋に戻り、すべての荷物をパッキングし直して、下山しました。スノーシューも持っていきましたが、雪がしっかり固まっていたり、一部、雪の少ないところがあったりしたので、ほとんどアイゼンで歩きました。
険しい剣ヶ峰も青空の中、通過しました。前日と違い視界もよかったので、サクサク進めました。歩いて歩いて、日没後の18時に宿に着きました。
翌日、予報通り天候は崩れましたが、喜多方市から山形県に向かって移動しました。飯豊山を1泊2日で登った疲れもあって、その上、雨の中でしたが、「先に進める」という喜びで、雨も気になりませんでした。
3月17日、大峠トンネルを通って山形県へ入りました。2019年1月の大滝根山以来、出たり入ったりしていた福島県の旅が終わり、米沢市内へと進みました。
3月19日、上山(かみのやま)市内で、ゴルフ練習場へ立ち寄りました。ここは、自分でボールをセットする仕組みではなく、自動でボールが出てくる仕組みで、あと打ち放題ということもあって、たくさん打てました。
3時間で、アイアン300球、ドライバー400球、計700球打ちました! だんだんフォームが固まってきて、力がいい具合に抜けて、1球だけ、前回目標に定めた300ヤードを超えることができました!
6年ぶりの蔵王連峰は、山スキーで縦走
山形に入ってから、いつも行動食やフリーズドライ中心になってしまう山の食事を充実させたいと思って、ホットサンドメーカーをインターネットで注文しました。山形の食材を持って、蔵王に登ろうと考えたのです。上山市内で買い出しをして坊平高原まで進みました。
3月22日は、山スキーのトレーニングと下見を兼ねて、御田神高原の宮城県境まで登りました。雪はかなり少なく、スノーモンスターはもう去っていました。
翌日も天候悪く停滞となり、山麓のクロカン常設コースでトレーニングすることにしました。3.5kmのコースを1時間半くらいかけて3周しました。
次の日も、風速20mの風予報で停滞となり、再び下見登山にしました。スキー場では晴天でしたが、避難小屋まで行くと厚い雲に覆われてしまいました。
3月26日、6日目でようやく穏やかな朝を迎え、蔵王連峰のスキー縦走に出発しました。
ペンションから御田神湿原、刈田岳と進むと、風でカリカリに凍っていました。スプーンカットされたような風紋が見られました。
256座目となる、蔵王山・最高峰の熊野岳に、6年ぶりに登頂しました。風は穏やかで、じっくり山を楽しめる天候でした。
蔵王北縦走路へ進むと、スキーでは進みにくい雪のところも出てきました。八方平避難小屋に泊まりました。蔵王連峰がよく見え、大きくきれいで過ごしやすい避難小屋でしたが、周囲にきれいな雪が少なく、水を作るのに苦労しました。
翌朝は、準備してきた山形食材を使ったチーズとベーコンでホットサンドを作り、さらにオムレツも添えて豪華な朝食を食べました。
さらに北へ向けて進み、鋭鋒の南雁戸山、雁戸山と縦走しました。ナイフリッジのような箇所もあり、灌木も出てしまっていて、スキーつけたり脱いだりで、気温も暖かく、後半は修行のような山行になりました。
蔵王連峰の縦走は、本来は南蔵王からの縦走を考えていましたが、雪が少ないため、坊平高原から入って、北へ抜ける縦走になりました。北縦走路のスキー縦走の記録や情報は少なく、苦労しました。次は違う季節に縦走してみたいです。
仙台市民の山、三百名山の泉ヶ岳と、二百名山の船形山を一日2座で
この頃になると、新型コロナウイルスの影響が、東北の各県にも及んできていました。
大都市・仙台に立ち寄るのか、ためらいながら移動し、仙台市では、伊達政宗公の像、仙台城址公園、TNF+ エスパル仙台店と立ち寄りました。仙台には、カッパCLUBで一緒に働く友人の実家があるので、久しぶりに友人家族と再会しました。
3月30日、三百名山の泉ヶ岳へ登りました。泉ヶ岳は仙台市内からよく見える山で、市内の学校の校歌にも出てくる仙台市民の山です。いろいろなコースがあり、最高点は北泉ヶ岳にあります。カッパCLUBの同期入社の友人と一緒に、表コースから、1時間半かけていろいろ話しながら登りました。
この友人とは、百名山のときは蔵王で、二百名山のときは船形山から東根市の間を一緒に歩いています。春霞みで仙台市内は少ししか見えませんでしたが、平日でも多くの登山者がいて、市民の山、県を代表するような山なんだと感じました。
最高峰の北泉ヶ岳で友人と別れて、船形山へ縦走しました。
二百名山の船形山ですが、船形山というのは宮城県側の名称で、山形県では「御所山」と呼ばれています。二百名山のときは、山形県側から往復したのでわからなかったのですが、今回、泉ヶ岳から縦走する途中に山容が見えたので、「船形山」の名の由来を感じることができました。
珍しいことに、山頂に避難小屋があり、そこで泊まれたので、夕日も朝日も見ることができました。前回と違う季節に登れたのもよかったです。
下山後は、東根市まで18km移動しました。山上は雪で、スノーシューを使っていたのに、下山後の道端には、春の花が咲いていました。
本来、仙台の周辺では、震災の時にみなかみ町のアウトドアガイドの有志でボランティアに行った石巻や、名所の松島、日本一標高の低いという日和山などにも立ち寄りたかったのです。また、サポートしてもらっているTHE NORTH FACEの直営店で、交流会をすることも計画していたのですが、新型コロナウイルスの影響で断念したのが、心残りでした。
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新型コロナウイルスの感染拡大によって、全国に非常事態宣言が出され、宿泊施設を使いながら人力旅を続ける「3百名山ひと筆書きのチャレンジ」は、中断を余儀なくされた。
県をまたいでの移動を自粛することから、自宅に帰ることもできなくなった田中陽希さんだが、4月中旬以降は、空き家を借りられることができた山形県内で自炊生活を続け、自身が感染しないよう、また感染拡大をしないよう気を配りながら、トレーニングで体力を維持しつつ、旅が再開できる時を待っている。
取材日:2020年4月28日
取材協力=グレートトラバース事務局
関連リンク
「日本3百名山ひと筆書き」に挑戦中の田中陽希さんを応援しよう!
もっと知りたいという方は、ウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
http://www.greattraverse.com/
今回のレポートで登った山のまとめ
荒海山 [2月24日]
男鹿岳 [2月28日]
二岐山 [3月9日]
飯豊山 [3月15日]
蔵王山(熊野岳) [3月26日]
プロフィール
田中 陽希
1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。
田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー
2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!