2012年5月28日の尾瀬の落雷事故の教訓――、「SSI」を活用して雷を予測しよう! 上空寒気の解説・第4回

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山での落雷事故は防ぐのが難しいように思えるが、雷の発生をいち早く知れば、そのリスクは回避できる可能性が高い。そこで今回は、2012年5月の尾瀬ヶ原で起きた落雷事故を事例に、SSI(ショワルター安定指数)という有効な落雷リスクの診断ツールについて解説する。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。これから夏にかけて気温が上がってくると、山で遭遇すると恐いのは雷。上空寒気の連載第4回目は、上空寒気による不安定な天気によって発生した2012年5月28日の尾瀬ヶ原での落雷事故の気象状況について解説いたします。


そして、大気の安定度を直接知ることのできるSSI(ショワルター安定指数)という、非常に有効な落雷リスクの診断ツールを是非ともご活用いただくために、SSIの10日先の予想図を公開しているGPV気象予報というインターネットサイトをご紹介したいと思います。

写真1:2018年8月27日の東京での落雷(Facebook友人の柳田文華さんご提供)

 

2012年5月28日に尾瀬ヶ原で発生した落雷遭難事故の概要

まずは尾瀬ヶ原の落雷遭難事故の概要について説明します。2012年5月28日は西日本から東北にかけての広い範囲で大気の状態が非常に不安定となり、各地で落雷や激しい雨が降りました。

この日の群馬県・尾瀬ヶ原では、10時半頃に龍宮小屋から西に150mぐらいの場所で大きな音とともに落雷が発生し、雷に打たれた男性1名が死亡、一緒に歩いていた女性1名が軽傷を負うという落雷遭難事故が起きています。

みなさんもご存じの通り、尾瀬ヶ原は湿原が広がっていて、周囲には高い樹木が生えていない場所です。雷は地面から突き出た物に落ちやすいので、このように自分の頭が周囲よりも一番高くなってしまう場合は、一刻も早く小屋の中に避難、あるいは最初から入山しないなどのリスク回避が必要です。

図1:尾瀬付近の地形と落雷事故現場の位置


1967年8月1日に西穂高岳の独標付近で11名の松本深志高校の生徒が亡くなった登山史上最悪の落雷事故も、逃げ場がなく自分の頭が一番高くなってしまう両側が切れ落ちた稜線上で発生しています。尾瀬ヶ原での落雷事故の場合は、図1のとおり、小屋までほんの目と鼻の先の場所で発生しており、本当に残念なことと心が痛みます。

 

2012年5月28日の尾瀬ヶ原の落雷事故も強い上空寒気が原因

山岳での落雷事故は、多くの場合、上空寒気によって不安定な天気になったことが原因です。この尾瀬ヶ原での落雷事故の時にも、日本海には上空寒気の存在を教えてくれる「前線の無い低気圧」があります。その上空500hPa(約5700m)には、この時期としては強い-18℃以下の上空寒気が入っています(図2、図3)。

図2:2012年5月28日9時の天気図(出典:気象庁) 

図3:同時刻の500hPa高度・気温・風(大矢にて解析)


この日は群馬県全域で雷注意報が発表されていました。ちなみに5月の終わり頃は-18℃以下の上空寒気が不安定な天気になる目安ですが、夏になると気温が高くなるため-6℃以下が目安となります(詳細は次回のコラム記事で解説いたします)。

 

気象庁は、前日夕方の全般気象情報で雷に対して注意喚起をしていた!

ちなみに、この落雷事故の前日の夕方には、第19回目のコラム記事でご紹介しました気象庁の全般気象情報で、「強い上空寒気によって大気の状態が非常に不安定になるため、落雷、竜巻などの激しい突風、局地的な激しい雨の恐れがある」として注意を呼び掛けていました(図4)。

図4:尾瀬ヶ原での落雷事故の前日に発表された全般気象情報(2012年7月の全豊田山岳連盟講習会の大矢資料)


このような重要な防災情報が登山に生かされていないことは、大変残念なことに思います。山で遭難に遭わないためには、自ら情報を取りに行くように心掛けていただきたいと思います。

 

雨が降っていなくても落雷は発生――、2012年5月28日はどんな状況で雷が落ちたのか

続いて、当時の実況を気象庁の気象レーダーによる雷ナウキャストと降水ナウキャストで見てみましょう。注目は雷雲の活動が活発な場所と強い雨が降っている場所とのズレです。

強い雨が降っていなくても、雷雲の活動が活発な場所があることがお分かりいただけると思います(図5、図6)。そして、尾瀬ヶ原では東電小屋付近で強い雨が降っていますが、落石事故現場の龍宮小屋付近では弱い雨、または雨が降っていないことが確認できます。

これが雷の恐いところです。冒頭の写真1は、積乱雲の真下でなくても落雷するという事例の決定的瞬間をとらえた貴重な写真です。

図5:2012年5月28日11時の雷ナウキャスト(気象庁) 

図6:同時刻の降水ナウキャスト(気象庁)

 

雷リスクをビジュアルに訴えてくれるSSIという診断ツール

「上空寒気と言われてもよく分からない」という方も多いのではと思います。そのような方にもお勧めなのが、SSI(ショワルター安定指数)という診断ツールです。

SSIは気象予報士試験のための必須項目でもありますが、詳細を説明すると少し難しいので、大気の安定度をダイレクトに表している数字ととらえて下さい。数字が小さいほど大気の状態が不安定で、通常はゼロ以下で落雷リスクがあるとしています(気象庁などによる判断基準)。しかし、山岳や尾瀬ヶ原のような山沿いでは谷風によって上昇気流が起きるため雷雲が発生しやすいので、SSIが3以下から警戒した方が良いと思います。

今回の尾瀬ヶ原での落雷事故の時の9時の時点でのSSIの解析図を図7に示します。尾瀬ヶ原を含む、かなり広い範囲でSSIがゼロ以下になっていることが分かります。

図7:2012年5月28日9時のSSI(気象庁データにより大矢にて解析)


後述のGPV気象予報の図を参考にして、視覚的に「雷」をイメージしやすいように黄色系のカラー配色にしてあります。ただし山岳での落雷の解析のため、配色はSSIが少し大きい側で黄色になるようにしました。このような気象状況でしたので、やはりだだっ広い尾瀬ヶ原での行動は控えるべきだったと思います。山は逃げません、海外の山ならまだしも尾瀬ヶ原ならいつでも行けるのですから。

2012年当時ではSSIを公開しているインターネットサイトはありませんでしたが、現在ではGPV気象予報というサイトで10日先までのSSIの予想図を公開しています。例として今年2020年の5月19日のSSIの予想図を図8に示します。

図8:GPV気象予報によるSSIの予想図(2020年5/17の21時データによる5/19の12時の予想図の例)


さすがに1週間以上先の予想は外れることもよくあるのですが、かなり前から落雷リスクを知ることが可能です。誰でも利用できる無料サイトですので、落雷事故を防ぐために是非ともご活用いただけますと幸いです。

過去の遭難事例が生かされないために、同じような山岳遭難事故は繰り返されます。1年もたてば忘れ去られる過去の遭難事例を、改めて詳細に研究を行っている人はあまり聞かないので、岐阜大学の研究室を拠点として私自身で道を切り開いていくことができたらと思います。そして、少しでも山岳遭難事故をなくせればと願っております。

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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