ウイルスとの共存で、植物は新しい価値をつくり出した

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『花は自分を誰ともくらべない』の著者であり、植物学者の稲垣栄洋さんが、身近な花の生きざまを紹介する連載。最終回となる第7回は、はるか昔から、植物もウイルスと戦い、共に生きてきたというお話です。

チューリップの品種には、花びらに斑点やツートンカラーの複雑な模様が入ったものがあります。これらの品種は「斑入り」や「ブロークン」と呼ばれて、珍重されています。
かつて17世紀のオランダでは、チューリップの球根でバブル景気が引き起こされました。そして、球根1個に、一般市民の年収の十倍もの価格がつけられたり、家一軒と取り引きされたりしたのです。このチューリップバブルの中でも特に高値で取引されたものが、「斑入り」や「ブロークン」です。
ところが現在では、この複雑な模様は、ウイルスによって引き起こされる症状であることが知られています。ウイルスは植物に感染すると、部分的に色素体に異常が生じて、モザイク状のまだら模様が生じます。このモザイク模様が、複雑で美しいチューリップの花を作っているのです。

それにしても、ウイルスに感染したチューリップは、ウイルスによって枯れてしまうことはないのでしょうか。
植物にとっても、ウイルスが病気を引き起こす恐ろしい存在であることに代わりはありません。
ウイルスに感染した植物は、モザイク症状とともに、植物体全体が萎縮したり、奇形になったりします。そして、正常な花や実をつけることができず、症状がひどければ枯れてしまいます。そして、ウイルスは植物から植物へと次々に感染し、蔓延していくのです。
植物のウイルスは、アブラムシなどの昆虫によって媒介されます。植物は逃げたり隠れたりすることができませんから、ウイルスの感染から身を守ることは大変です。

羊山公園のチューリップ/ガバオさんの登山記録より

植物はウイルスが来ると「過敏感細胞死」という防御策を行います。それはウイルスに感染した細胞がウイルスを中に閉じ込めたまま、自ら死んでいきます。こうして、他の細胞にウイルスが汚染するのを防ぐのです。
植物は、常にウイルスの猛威に襲われていました。そして、ウイルスとの戦いに敗れ去った植物は、進化のドラマの中で滅んでいったのです。

不思議な現象があります。
イチゴやサツマイモなど、株分けしたり芋で増やすような植物の、茎の先端の成長点と呼ばれる細胞だけを取り出して、培養した苗を作ると、生育が良くなったり、収量が増えたりするとされているのです。
成長点だけを取り出して作った苗は、「ウイルスフリー苗」と呼ばれています。これは、ウイルスを取り除いてやったことによって、植物は重りを外してもらったかのように、旺盛に生育するのです。それにしても、ウイルスを取り除いたということは、イチゴやサツマイモの株には、もともとウイルスが潜んでいたということになります。

種子で世代を交代する場合、親から子へとウイルスは感染しません。ところが、イチゴやサツマイモのように植物の一部を分けていく「栄養繁殖」の場合は、親植物がウイルスを持っていると、そこから取った苗もウイルスを持っていることになります。そのため、イチゴやサツマイモの株の多くには、もともとウイルスが同居しているのです。
しかし、不思議なことに、ウイルスフリーではないイチゴやサツマイモを見ても、ウイルスに感染しているような症状は見られません。じつは植物は、ウイルスを体内に閉じ込めながら、ウイルスと共存をしているのです。

ウイルスは恐ろしい存在です。ウイルスに感染すれば、植物は深刻な症状を引き起こし、枯れてしまいます。とはいえ、ウイルスを完全に防御することは簡単ではありません。そこで植物は、長い長いウイルスとの戦いの中で、ウイルスを体内に取り込んでも枯れないという戦略を発達させました。
そして、「ウイルスと共に生きる」という進化を遂げたのです。
「ウイルスと共に生きる」という戦略は、植物がウイルスと戦い続けることで獲得したものです。ウイルスの立場に立ってみると、感染した植物が枯れてしまうと、ウイルス自身もまた死んでしまうことになります。そのため、ウイルスは植物を殺しながら次々に感染していかなければならなくなるのです。
植物がウイルスの蔓延を防いでいれば、毒性の強いウイルスは感染することができずに死滅していきます。こうしてウイルスと戦い続ける中で、ついには、植物の体内で封じ込めができる程度の、弱いウイルスのみが生き残ることになるのです。
そして植物は、影響の少ないウイルスと、共に生きる道を探り当てたのです。

チューリップと武甲山/西東京猛虎会さんの登山記録より

美しく気高い斑入りのチューリップの花色は、ウイルスと植物との長い戦いの末に作り出されたものです。ウイルスと共存する道を選んだことによって、チューリップはそれまでにない新しい色を作り出しました。そして、新しい価値を作り出したのです。
私たち人類も、長い歴史の中で常に感染病やウイルスと戦い続けてきました。そして、21世紀に生きる私たちも、今、ウイルスとの戦いのさなかにあります。
植物は、進化の答えとして「ウイルスと共に生きる」戦略を選びました。
私たちはどうでしょうか。
私たちは、どのような答えを出すのでしょうか。そして、チューリップのように新しい世界を作ることはできるのでしょうか。

 

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【著者略歴】
稲垣栄洋(いながき・ひでひろ)
1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

プロフィール

稲垣栄洋

1968年生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士、植物学者。農林水産省、静岡県農林技術研究所を経て、現職。著書に『身近な雑草の愉快な生き方』(ちくま文庫)、『散歩が楽しくなる雑草手帳』(東京書籍)、『面白くて眠れなくなる植物学』(PHPエディターズ・グループ)、『生き物の死にざま』(草思社)など多数。

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