萩原編集長、ヒマラヤ未踏峰で危機一髪! 今だから話せる遭難未遂と教訓、18の危機体験談

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皆さま、たいへんご無沙汰しております。山と溪谷社の萩原浩司です

このたびヤマケイ新書『萩原編集長 危機一髪! 今だから話せる遭難未遂と教訓』を上梓いたしましたのでお知らせします。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されているなか、不要不急の外出を避けて不眠不休で書き上げた1冊です。

萩原編集長 危機一髪!
今だから話せる遭難未遂と教訓

『山と溪谷』やクライミング専門誌『ROCK&SNOW』の編集長をつとめ、NHKの登山番組「実践! にっぽん百名山」で「萩原編集長」の愛称でレギュラー解説者をつとめた筆者が、50年の登山歴のなかから「あれは本当にヤバかった」という経験をピックアップ。
「命を落としかけたシリアスな体験」から「笑い話で済んだささやかな失敗談」まで、17の危機体験談を教訓ともに紹介。

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本書は、私の過去50年間にわたる登山経験のなかから、危機的状況に陥った18の話を展開し、そこで得た教訓を導き出して紹介する内容になっています。落石や雪崩、落雷などの危機一髪体験を紹介するなかで、アウトライアー東峰初登頂の話が出てきますので、それに関連した話として当時のブログを復刻してここに掲載させていただきます。

本書ではブログ(現場からのライブ配信)に書ききれなかった登頂の様子や、下降時のアクシデントなどについても詳しく描かれています。逆に、本書でも当ブログでも書き残せなかった「危機一髪!」な体験などについては、このコーナーで随時、発表していく予定なのでご期待ください。

山と溪谷社 萩原浩司

 

アウトライヤー7053m 萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記

※以下ブログの内容は2013年8月29日から書かれた当時の内容を、修正・加筆などを行うことなく、そのまま転載しています。

  1. ヒマラヤ未踏峰「アウトライヤー」挑戦記 ヒマラヤ未踏峰を目指すことになった理由

  2.  編集長が会社を40日間留守にするには、仕事を前倒しにする必要があるわけで・・・

  3.  出発日迫る! 慌ただしく荷物・装備を準備、高度順応トレーニングも進める

  4.  最終出社日の最後の仕事は、「会社内の自分の席の確保」

  5.  ネパール・カトマンズに到着! 登山許可を取って、マウンテンフライトで現地へ

  6.  高度順応を図るために周囲をトレッキング。そして標高4095mのカンバチェンへ

  7.  ベースキャンプへの長いキャラバン。樹林の中の道から草原の放牧地、最後は荒れ果てた氷河を登る

  8.  登山を支えるフリーズドライ食品と、疲労軽減のための「新・三種の神器」

  9.  頂上アタックは約1週間後。準備は当初の計画通りに着々と進む

  10.  登山活動もいよいよ本格的な局面へ。アウトライアー南西壁を仰ぎ見た第一印象とは?

  11.  天候が悪く停滞の日々。最後は「晴れ男」パワーに期待!?

  12.  ついにアウトライアー東峰の山頂へ! 頂上から見えた光景とは?

  13.  登頂後も豪雪に阻まれ停滞。帰りはメンバー全員で4日間のキャラバン

  14.  遠征を終えて。帰国後に待ち受けるのは「空白の43日間を埋める作業」

 

プロフィール

萩原浩司(はぎわら・ひろし)

1960年栃木県生まれ。青山学院法学部・山岳部 卒。
大学卒業と同時に山と溪谷社に入社。『skier』副編集長などを経て、月刊誌『山と溪谷』、クライミング専門誌『ROCK&SNOW』編集長を務めた。
2013年、自身が隊長を務めた青山学院大学山岳部登山隊で、ネパール・ヒマラヤの未踏峰「アウトライアー(現地名:ジャナク・チュリ/標高7,090m)」東峰に初登頂。2010年より日本山岳会「山の日」制定プロジェクトの一員として「山の日」制定に尽力。
著書に『萩原編集長危機一髪! 今だから話せる遭難未遂と教訓』、『萩原編集長の山塾 写真で読む山の名著』、『萩原編集長の山塾 実践! 登山入門』など。共著に『日本のクラシックルート』『萩原編集長の山塾 秒速!山ごはん』などがある。

アウトライヤー 萩原編集長のヒマラヤ未踏峰挑戦記

NHKの「実践! にっぽん百名山」の解説などでおなじみ、萩原編集長こと萩原浩司氏は、2013年秋、ネパール・ヒマラヤ未踏峰、「アウトライアー(現地名=ジャナク・チュリ)」を目指した。 母校である青山学院大学の山岳部のOB会長も務める萩原氏は、自ら総隊長としてこの遠征隊に参加、その準備から登頂、そして帰国までを萩原氏の目を通しながら伝えていく。

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