自然環境のことも考え、「山を畏れ敬う」心が自分を謙虚にしてくれる

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前回はコロナ禍で山に出かけらなかった時に、遠くから山々を眺めて思いを募らせつつ、落ち着いた気持ちで「山に向かう心」を顧みる機会も、事故への備えという意味では大切なのではないだろうかといったことを書きました。今回は山の自然環境のことも含めて、その恩恵に感謝することが、間接的にはリスク軽減につながるのではないかという視点から記します。

 

少し前の6月19日、ある方から届いたメールを開いた瞬間、うれしさが込み上げて来ました。それは長野県の霧ヶ峰で起きていた大規模ソーラー発電施設の計画への反対活動を続けてきた人からのものでした。

「かねてよりご報告していました霧ヶ峰メガソーラー計画ですが、事業者側の撤退表明で、計画中止となりました。」という文とともに、詳細が報じられた地方紙Web版のURLが添えられています。

記事は「太陽光発電所の設置管理や電力小売事業を手掛ける会社が、18日夜、建設を計画する大規模太陽光発電所「諏訪市四賀ソーラー事業(仮称)」の地元説明会を同市内で開き、事業から撤退する方針を表明した」という旨を報じていました。

計画地だった場所のすぐ上が、国定公園内でもある踊り場湿原だ。奥に見えるのが蓼科山


私たち登山者にも馴染み深い霧ヶ峰の山麓で起こったこの問題について、強く関心を持つようになったのは半年前のことでした。『山と溪谷』2020年2月号を見ていて、ヤマケイジャーナルという情報コーナーに載っていた記事に目を引き付けられたのです。

「急増する山岳メガソーラー、霧ヶ峰にも建設計画。自然環境や災害への懸念も」という見出しの1ページの記事で、事業計画予定地を空から映した写真のキャプションには、米沢地区LoooPソーラー対策協議会の名称がありました。

文の末尾は「今、再び霧の子孫たちが自然を守るために声をあげている」という印象深い言葉で結ばれています。その記事を書いた人が、今回メールをくれた地元、諏訪市在住の内野かおりさんでした。

例えとなった霧の子孫たちとは、新田次郎の『霧の子孫たち』という小説(1970年文藝春秋刊)のことで、霧ヶ峰高原での有料道路建設計画反対に立ち上がった地域の人たちの実話を基にした作品のことです。私にとっては、山に憧れる心を満たしてくれると同時に、自然保護の大切さにも気付かせてくれた本でした。

また、霧ヶ峰や車山高原は、スキー雑誌の編集部で働いていた頃に、催しで毎冬お世話になっていた場所でしたし、早逝した編集部の先輩と二人で当時普及し始めた人工降雪機のテストを企画したのも懐かしい思い出です。夏にはこの地で開かれるロゲイニングの大会に参加させてもらったこともあります。四季を通じてのこの高原の爽やかな自然景観や、ひんやりと心地よい風、心温かい人たちとの交流のシーンが忘れられません。

計画の詳細や地域の方々による動きは、米沢地区Looopソーラー対策協議会のFacebookページからご覧いただけますが、具体的にはこのような問題でした――。国定公園にも隣接した面積196.5haという広大なエリアで、88.6ha もの大規模な森林を伐採し、約31 万枚もの膨大な数の太陽光パネルを設置するという国内最大級規模の計画に、エリア下流に位置する茅野市や、諏訪市の人たちから不安の声が上がり、反対活動が繰り広げられていたのです。

市民が利用する「大清水湧水」。計画地下流には生活や農業用水として欠かせない水源がある(左)
建設予定地にはこんな湿地もあり、春にはサクラソウが美しく咲く。ここにも調整池が造られる計画であった(右)


再生可能エネルギーの推進という流れのなかで、具体的にはこの計画のどうした点が問題だったのでしょうか。計画地の下流域は過去に甚大な水害を被ったこともあり、土石流危険区域などに指定されています。広範囲な伐採による大量流水も懸念され、対策のために三か所の調整池が造られる計画でしたが、生息する魚類への影響も指摘され、生活用水や農業用水としても欠かせない湧水への影響も心配されていました。また、諏訪市は酒どころとしても知られますが、蔵元の人たちからも反対の声があがっていました。

そんな時、対策協議会の方々から直接、状況をお聞きできたり、現地をご案内いただく機会も得たりしましたが、私が開発予定地を見学させてもらって感じたことは、「机上での計画や事業進行のみがありきで、開発予定地の地形や自然環境はもちろん、住民の方々の暮らしや生業のことなどには思い至っていないのではないだろうか」という点でした。

「景観的にも湿地という生態系の面でも貴重なこんな場所に、どうして新たな開発が必要なのだろうか」という思いも湧いてきました。管理を続けることができなくなってしまった森林の活用という意味では、何かしらのメリットもあるのかも知れませんが、例え充分に手が入れられない場所であっても、皆伐してしまうよりは森林が森林として存在し続けるほうが、はるかに高い価値があるのではないでしょうか。

活用されない森林は本当に不要なのか。森林が森林としてあり続けることに意味があるのではないだろうか


今回、地域の方々の熱心な活動が実を結び計画は中止となりましたが、こうした前例が、この後も各地で起こるかも知れない山岳地域での開発を熟考したり、自然環境や景観への影響が大き過ぎる場合などに、歯止めをかけたりすることにつながればと思います。自然を護るには地域住民の方々のパワーこそが必要であることも改めて感じました。

内野さんのメール文はこう続いていました。

「ひとまず安堵しています。一方で、この計画の背景にあったもの、・・・計画地を管理する地権者の窮状や、その周辺の農家の行く末、観光地霧ヶ峰のこれからの在り方など・・・突き付けられた課題も多くありました。子供のころから当たり前であった里山の景色を、今後は守る意識で対峙していかないと、と痛感しています」

  山を楽しませてもらっている私たち登山者にできることは何なのでしょうか。今年も8月の「山の日」が近づいて来ました。これまでとは少し異なる登山スタイルで「山」と接し、自然や環境のことまで考慮しつつ、広い視野から「山」を見つめ、その恩恵にも感謝することが、登山中のリスク軽減にもつながるような気がしています。

 

プロフィール

久保田 賢次

元『山と溪谷』編集長、ヤマケイ登山総合研究所所長。山と渓谷社在職中は雑誌、書籍、登山教室、登山白書など、さまざまな業務に従事。
現在は筑波大学山岳科学学位プログラム終了。日本山岳救助機構研究主幹、AUTHENTIC JAPAN(ココヘリ)アドバイザー、全国山の日協議会理事なども務め、各方面で安全確実登山の啓発や、登山の魅力を伝える活動を行っている。

どうしたら山で事故に遭うリスクを軽減できるか――

山岳遭難事故の発生件数は減る様子を見せない。「どうしたら事故に遭うリスクを軽減できるか」、さまざまな角度から安全登山を見てきた久保田賢次氏は、自身の反省、山で出会った危なげな人やエピソード、登山界の世相やトピックを題材に、遭難防止について呼びかける。

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