ヒグマ、そして自然との共生 『ヒグマ学への招待―自然と文化で考える』

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評者=阿部幹雄(写真家、ビデオジャーナリスト)

ヒグマ学への招待―自然と文化で考える

編著:増田隆一
発行:北海道大学出版会
価格:3600円+税

「ヒグマは時に恐ろしく、時に愛らしく、時に畏敬の念を持って扱われる不思議な物。それがヒグマだ」という言葉で本書は幕を開ける。

私はビデオジャーナリスト。ヒグマとヒグマに関わる人間のことを伝えてきた。学生時代からおよそ45年、北海道の山々を登ってきたのでヒグマに遭遇する機会が多かったのだが、「ヒグマは人を見たらすぐに襲ってくる危険な生き物」と長く誤解していた。読者には、これから北海道の山を登る方が多いと思う。『ヒグマ学への招待』を読んでから、北海道に来てほしい。この本はヒグマのすべてを教えてくれ、「あ、そうだったのか」と驚くことばかりだ。ヒグマによる人身事故を防ぐには、ヒグマのことを知るのが最善の道なのだ。

編者と著者は、自然科学と社会科学の研究者16名。この本で取りあげている領域は幅広く、2003年から始まった北海道大学の全学部の1年生を対象とした講義「ヒグマ学」の教科書でもある。

本書は序章と15の章、終章に分かれている。序章と1章「ヒグマの生態」を最初に読めば、あとは興味が湧く章を読んでいけばいい。序章で編者の増田隆一が、「ヒグマ学とはヒグマという動物を通して、自然環境とヒトの文化や社会を見つめ直し、私たちが自然とどのように向き合い、未来の社会をどのように築いていくかを改めて考える機会である」と言う。

ヒグマに関する基礎知識を得るのが、1章、山中正実の「ヒグマの生態」だ。著者は北大クマ研を経て斜里町職員になり、知床のヒグマの管理、研究を行なってきた。野生のヒグマと向き合う著者が語る生態は、驚きの連続だ。

登山者が必ず読むべきは11章、間野勉の「現代社会におけるヒグマ」だ。北海道ヒグマ管理計画策定の中心人物である著者が、“事件”から解き明かすヒトとヒグマの関わりの歴史。「ヒグマは人間の敵、文化の敵」とされた時代を経て「共存」の時代となったヒグマ管理の進むべき道が示されている。

いくつかの章を紹介しよう。2章は平田大祐の「世界のヒグマと移動の歴史」。遺伝学に基づいてヒグマが語られる。イエティ(雪男)はヒマラヤヒグマであり、アイスマン(アルプスで発見された5300年前のミイラ)が被っていたのはヒグマの帽子だった。

4章は竹中健の「北海道におけるシマフクロウとヒグマ」。「絶滅の恐れがあったシマフクロウの保護は、自然下で生息する個体に人間が少しだけ補助の手を入れることで絶滅を踏みとどまらせることができた貴重の事例」であることを紹介し、「人間が手を出さずとも自然状態で安定的に個体群が維持できる状態にもっていくことである。それは彼らが生息できる環境を改善、再構築していくことにほかならない」とヒグマ保護の方向性を示している。

7章は佐藤孝雄の「『熊送り』の動物考古学」。「飼羆送り(イオマンテ)」と「猟羆送り(オプニレ)」の考古学研究から、ヒグマの食性が200年間で肉食傾向から草食傾向に変化したことが解き明かされる。

13章は前田菜穂子の「ヒグマの生活史」。のぼりべつクマ牧場での研究「繁殖の記録」「野外で冬ごもりの実験」「ヒグマの成長と体測定値」など極めて貴重な研究成果が初公表されている。

本書で学ぶことができないのが、自然のなかでヒグマと向き合うときの人間の心理だ。唯一、12章で伊藤健次が、「柵などどこにもない広大な原野に、無造作に立っている。ただそれだけなのに胸を鷲掴みされたような強烈な存在感があった」と体験を書いている。

読み終えたら北海道に来て、山でヒグマに出合ってほしいと思う。

評者=阿部幹雄

1953年生まれ、札幌市在住。写真家、ビデオジャーナリスト、雪崩事故防止研究会代表、日本雪氷学会北海道支部雪氷災害調査チーム前代表。北海道テレビ放送の「MIKIOジャーナル」では、自然と人のかかわりやヒグマとの共存について、取材をしてきた。​​​

山と溪谷2020年7月号より転載)

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