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「聖職の碑」の教訓を風化させてはいけない!! 台風と低体温症の恐ろしさ

山岳防災気象予報士・大矢康裕が教える山の天気のイロハ
登山技術 基礎知識 2020年08月07日

山岳小説の金字塔「聖職の碑」の中で起きる山岳遭難は、今の時代に照らし合わせても、気象遭難の教訓として大いに参考になる。古い文献を掘り起こして当時の気象状況を探ると、「台風による低体温症」という様子が見えてくる。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。 今回は、かなり古い話――、1913年(大正2年)8月26日から27日にかけて東日本に接近・通過した台風によって、木曽駒ヶ岳に登山中の多くの教員や生徒が亡くなったという、大変悲惨な遭難事故について取り上げたいと思います。

この遭難事故は「聖職の碑」として、新田次郎によって小説化され、鶴田浩二主演の映画にもなっています。「聖職の碑」と聞けば、年配の方なら特にご存じの方が多いはずです。もしご存じなければ、小説・映画のどちらでも是非ご覧になられると良いでしょう。

聖職の碑

新田次郎 著(講談社文庫)

文庫版  映画(DVD)


大正時代の昔の遭難事故ですが、山岳遭難を防ぐための教訓となることは多く、決して風化させてはならないと思います。山に登る人すべてが過去の事故の教訓を知り、「自分だったらどうしただろうか」と、他人事ではなく我が身にも起こりえることとして謙虚に振り返ることは非常に大切です。

そのような基本的なことができてないために、何度でも同じような遭難事故が繰り繰り返されてしまうと考えています。そこで今回は、山岳防災に焦点を当てて、この遭難事故について解説いたします。

図1:木曽駒ヶ岳付近の地形と登山ルート

 

大正2年、「聖職の碑」遭難事故の概要

小説を読んだり映画を見たりして、遭難の概要をご存知の方でも、記憶があいまいになっている方も多いと思いますので、ざっと概要をまとめます。

中箕輪高等小学校(現在の箕輪中学校)では毎年恒例となりつつあった木曽駒ヶ岳登山に、8月26日に生徒25名、引率教師3名(赤羽校長を含む)、地元の青年会員9名の計37名で出発。

計画は綿密に練られており、地元の飯田測候所にも最新の天気を問い合わせるなどしたが、予算の関係で前年まで同行していた地元のガイドを雇うことができなかった。

稜線に出る頃には暴風雨になったが、何とか午後6時に伊那小屋(図1参照、現在の天狗荘付近)にたどり着いた。学校を出発して12時間以上の強行軍であったが、そこにあるはずの伊那小屋は焼失して高さ1mの石垣が残されているのみであった。あとは推して知るべしの悲惨な状況となり、赤羽校長を含む11名の尊い命が失われた。

将棊頭山の山頂直下にある遭難碑 (撮影/大矢康裕)

 

文献から読み解く遭難事故の日の気象状況

当時はまだ、現在のようなスーパーコンピュータによる予報もなく、台風の予報技術もない時代でした。しかし、学校側としては出発直前まで地元の飯田測候所に何度も最新の気象情報を問い合わせるなど、当時できる対策は行ってます。

当時の中央気象台(現在の気象庁の前身)による、事故当時の26日の天気予報は以下の通りになっていて、悪天の予報ではありませんでした。

「前略、東海・東山(甲信地方のこと)・北陸・東北は北東の風、曇り少雨、後略(※読みやすいように現代文に翻訳)」。


しかし、これは山の天気の予報ではなく、あくまで平地の天気の予報です。そして27日の気象実況は次の通りです。

「小笠原諸島の北方にあった第1の台風は北東に通過し去り、第2の台風は紀州沖を経て、今朝、伊豆半島の南端に接近(同様に翻訳)」


要するに日本の南に2つの台風があって、このうちの一つが関東に接近して「聖職の碑」遭難事故をもたらしています。中央気象台は台風の存在自体は把握していましたが、当時の観測体制や予報技術では台風の進路予報は無理な状況でした。

図2の左上にある天気図は、26日14時の段階を示しています。すでに関東甲信は雨が降っている所が多く、紀伊半島先端にある潮岬では非常に強い風が吹いていることが確認できます。等圧線の間隔も狭くなっていす。この天気図からは、胸突八丁を登って樹林帯から稜線に出た途端に、生徒たちは強風に見舞われたと思われます。

図2:1913年8月27日の中央気象台による天気図、天気予報、天気概況(出典:デジタル台風)

 

赤羽校長と生徒たちの命を奪った「低体温症」の恐ろしさ

たとえ夏山であっても致命傷となる「低体温症」の恐ろしさは、2009年7月16日に発生したトムラウシ山遭難事故で一躍有名になりました。また、最近の令和2年7月豪雨でも氾濫した水に漬かり続け、低体温症で亡くなられた方もいたことも記憶に新しいです。

低体温症については、日本山岳ガイド協会が公開しているトムラウシ山遭難事故調査報告書(PDF)に詳しく書かれています。この報告書の中のP49~P55の「低体温症について」の部分は非常に分かりやすく書かれていますので、一読をお勧めいたします。

低体温症は体温が35℃以下に下がると症状が出始めます。低体温症の恐いところは、低体温症が進行すると通常は36℃台に維持されている体温維持のシステムが破綻をきたして、山ではどうすることもできないまま死に至るということです。しかも、低体温症の症状が出始めると、安全登山に不可欠な判断力が鈍ります。

稜線に出てからは強風を受け、途中から降ってきた雨にもさらされながら12時間以上も歩いた教員や生徒たちは、伊那小屋の残骸に辿り着いた頃には、すでに低体温症の症状が出ていた人が少なからずいたとしても不思議はありません。図3は同報告書から抜粋・編集したものですが、報告書でも記載しているように水温20℃でも低体温症によって死に至ります。

図3:冷水中での生存曲線(トムラウシ山遭難事故調査報告書を参照/ウィルカースン、低体温症と凍傷、1989)

 

超えてはなくない「生死の分岐点」を踏み越えないことが遭難事故を防ぐ

遭難事故には、必ずどこかに生死を分ける分岐点があります。「聖職の碑」遭難事故の場合は、

  • ①胸突八丁を登り切って稜線に出た所
  • ②濃ヶ池付近

の2つであると考えています。

まず稜線に出た所で先に進むべきかの判断をしなければなりません。これは冬山に登られる方には常識ではと思います。そして稜線を先に進んでしまうと、次は濃ヶ池付近となるでしょう。トラバース道は比較的風が弱く、濃ヶ池は東側に高台もありますので東からの風も遮ります。したがって、濃ヶ池付近が進退の判断をする最後の分岐点でした。

ここで観天望気をして上空の雲の流れを見れば、稜線の風が非常に強まってきたことは分かったと思われます(第7回目のコラム記事参照)。雨の降り始めてきたことも考慮して、ここで冷静に判断して引き返していれば・・・。実際に稜線から胸突八丁に降りて樹林帯に辿り着くことができた生徒たちは助かっています。

濃ヶ池付近は東側(写真の左端)の高台と西側の稜線に挟まれて比較的風をしのげる(撮影/大矢康裕)


私が現在、研究生として所属する岐阜大学大学院の吉野純先生の研究室は、全国の大学でも唯一、気象庁から予報業務の認可を受けています。その中で、どのような山岳防災情報を発信できるのか模索中です。

そして、過去の山岳遭難事例の再解析は非常に重要です。過去の遭難の教訓が生かされなければ、同じような事故は何度でも繰り返されると思います。そのような活動を通じて、少しでも遭難事故をなくせるように努めてまいりたいと考えております。

 

危機管理 遭難・事件
教えてくれた人

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、気象防災NPOウェザーフロンティア東海(WFT)山岳部会の一員として山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
現在、岐阜大学大学院工学研究科の研究生として山岳気象の解析手法の研究も行っている。

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

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