台風が季節外れの強い寒気を呼び込んだ――、1989年10月8日の立山中高年大量遭難事故

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1989年10月初旬、北アルプス・立山連峰。10人のパーティが強まる吹雪の中で次々に身動きが取れなくなってしまった。まだ10月初旬だというのに、なぜ大量遭難を起こすような吹雪となったのか? 気象庁のJRA-55(気象庁55年長期再解析データ)を使って、当時の様子を確認する。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。9月に入ると山では麓よりも早く秋へと移り始め、時として冬山の様相を見せ始めます。9月の積雪は北海道の山ではごく普通にありますし、北アルプスでも珍しいことではありません。この時期は春山と同様に麓と山との天候のギャップが大きいため、麓の天気によって判断してしまうことによる遭難事故が多くなる時期でもあります。

今回は、2009年7月のトムラウシ遭難事故と同様の大量遭難事故であり、中高年登山のあり方と低体温症の恐ろしさについて世の中に警鐘を鳴らした1989年の立山中高年大量遭難事故について解説したいと思います。

別山から望む真砂岳と立山(ヤマケイオンラインより)

 

1989年10月8日に発生した立山中高年大量遭難事故の概要

まずは、この遭難事故の概要について確認してみましょう。

1989年10月8日に、京都や滋賀の税理士を中心とした10人のパーティーが、室堂から一ノ越に登って、立山(大汝山)、真砂岳、剱岳を往復、そして室堂に下山という計画で入山した。

室堂を8時45分頃に出発してから天気が悪化し始めて、一ノ越山荘に着いた頃には吹雪になっていた。さらに吹雪が強まる中を進むが、体調を崩すメンバーも出始めて、雄山に着くまでには標準コースタイムの倍近い時間が掛かっていた。

ここで撤退の判断を下すべきだったが、そのまま登山を続行し、真砂岳の南にある大走り分岐付近で低体温症が悪化して行動不能になったメンバーが出たことにより、ようやく救助要請を出すことに決定。しかし、時すでに遅く、8人が低体温症で亡くなるという最悪の事態となった。

図1.立山室堂から真砂岳周辺の地形図の様子 

 

この遭難事故の詳細は、「ドキュメント気象遭難」(著者:羽根田治、ヤマケイ文庫)に掲載されていますので、興味がある方はぜひお読みください。

この本では、この立山遭難事故は「秋・太平洋沿岸低気圧 立山-凍死」と表題がついていますが、実際には日本の東を離れて通過した台風25号が、季節外れの強い寒気を呼び込んだことによる遭難事故です。

そして、様々なメディアで「冬型気圧配置による遭難事故」とこれまで解説されていますが、このコラム記事で以下に述べているように、実際には地上天気図では強い寒気が入るような典型的な冬型気圧配置にはなっていないことは先に記しておきます。

 

地上天気図では予想できなかった強い寒気

今回の遭難事例の最大の焦点は、「なぜこのような悪天候になったのか」に尽きると思います。確かに遭難事故当日は悪天予想が出ていたようですが、早朝は晴れていたそうです。これがまず油断に繋がったことは間違いないと思います。

さらに、当日にどのような気象状況になっていたのかを、気象庁のJRA-55(気象庁55年長期再解析データ)を使って解析してみることにしました。JRA-55は、気象解析技術がまだ不十分だった1958年から55年間の高層を含む気象状況を、現在の解析技術によって再現したものです。過去の山岳遭難事故の解析に使用するのは、おそらく今回の私が初めてではないかと思われます。

まず、地上天気図です。第6回目に取り上げた2006年10月7日の白馬岳遭難事故の時の地上天気図と比較すると、違いは一目瞭然です。

比較すると、2006年の白馬岳遭難事故では、九州から関東を横切る等圧線が6本あるのに対して、1989年の立山遭難事故では半分の3本しかありません。

図2.1989年10月8日9時の地上天気図(気象庁のJRA-55データに基づき大矢解析)
 

図3.白馬岳遭難事故時の2006年10月7日15時の地上天気図


『台風や南岸低気圧が太平洋側を北上する時、日本海側の山は寒気が入って荒れる』ということは、知る人ぞ知る常識なのですが、この地上天気図だけでは強い寒気が南下してくることを読み取るのは困難です。

そして、立山遭難事故に「冬型気圧配置による遭難」とのレッテルを貼ってしまうと、地上天気図だけ見て「等圧線の間隔が広いから大丈夫」、「台風が離れつつあるから大丈夫」と考える人が出てくるのではないかと心配しています。

 

では立山の真砂岳付近の気象状況はどうだったのか

次にJRA-55データに基づいて、700hPa(上空約3000m)の気象状況について解析したものが図4です。北からの寒気の南下が明瞭で、真砂岳付近では10月8日15時の時点で気温:-6℃、西北西の風15m/sです。

風速1m/sにつき体感温度は1℃低下しますので、真砂岳付近では体感温度:-21℃(=-6℃-15℃)となり、備えの無い軽装登山ではひとたまりもなかったと思われます。ちなみに助かった2人は防寒などの備えがあり、これが生死を分けています。

図4.700hPa(3000m)の気温と風(JRA-55に基づき大矢解析)


さらに注目は、図5に示した真砂岳付近での気温の時間推移です。900hPa(上空約1000m)、800hPa(2000m)と比べて、真砂岳付近の標高に相当する700hPaでは前夜から15時にかけて気温が一気に10℃以上も急低下しています。麓の富山地方気象台による10月8日15時の観測データでは、気温:13.2℃、南の風1.9m/s、曇りとなっていて、真砂岳付近では麓の天気では想像ができないような厳しい気象状況になっていたようです。

図5.真砂岳付近の900hPa(1000m/青)、800hPa(2000m/赤)、700hPa(3000m/緑)の気温の推移(JRA-55に基づき大矢解析)

 

なぜこのような季節外れの強い寒気が入ったのか?

ここで解析を止めしまっては、真因をつかむことができません。さらにJRA-55データによる解析を進めてみました。図6は500hPa(上空約5500m)の等高度線(地上天気図の等圧線に相当)、気温、風の10月8日15時の広域での解析図になります。

図6.500hPaの等高度線・気温・風。偏西風の蛇行が大きいのが確認できる(JRA-55に基づき大矢解析)


日本の東には太平洋高気圧があって、台風は太平洋高気圧の北への張り出しを強めた→その結果、日本付近での偏西風の蛇行が大きくなって、北からの季節外れの強い寒気が南下した・・・というシナリオがこの500hPa天気図から読み取れます。

私は、このようなスケールの大きな現象が起きたことが、立山中高年大量遭難事故の真因だったと考えております。したがって、今後、似たような気圧配置が予想される時は要注意と思います。

このような過去の遭難事故の真因を突き止めていくことによって、同じような遭難事故の繰り返しを少しでも減らすことに繋がっていくことを願っております。岐阜大学の吉野純先生の研究室で、今後も研究活動を継続して参りたいと思っています。

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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