118年前の山岳遭難事故その謎に迫る 『囚われの山』

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評者=伊藤 薫(自衛官)

囚われの山

著:伊東 潤
発行:中央公論新社
価格:1800円+税

 

読みやすくておもしろい、これが本書を読んだ感想である。そして最後は、あっと驚く展開に唸ってしまう。

本作品の内容を簡単にいえば、八甲田雪中行軍遭難事件の謎を解明していくものとなっている。

歴史雑誌編集者の男が企画会議で八甲田雪中行軍遭難事件を調査することになる。その事件は、今から百十八年前の明治三十五(一九〇二)年一月に起きていた。青森に駐屯する歩兵第五連隊第二大隊の将兵二百十人が、一泊の行軍で八甲田山北麓の田代(新湯)をめざしたものの、山中で遭難してしまう。死者は百九十九人に上り、未曽有の大惨事となってしまったのである。

青森で事件の調査を進めているうちに、男に一つの疑問が浮かぶ。遭難死した兵士の人数が合わない……。男が再び事件の調査を始めたのは一月下旬で、遭難事件の時期と重なる。八甲田山に呼ばれるかのように、白い闇に消えた一人の兵士を追っていくが……。

この事件を題材にした小説に、新田次郎氏の『八甲田山死の彷徨』があるが、それとは全く異なる新たな視点から描かれた作品となっている。その一つに、ミステリー仕立てになっていること。その二つに、現代の歴史雑誌の編集者たちが八甲田雪中行軍遭難事件の謎を暴いていくという現代の区域と、事件当時の状況を表わす過去の区域の双方が順に組み入れられていることである。現代と過去、フィクションとノンフィクションの間を行き来することで過去の事件が身近に感じられるようになっており、次第に謎が明らかになっていく。

著者はこれまで幕末・明治維新以前の歴史小説を中心に書いてきたが、最近は近現代小説も手掛けるようになったという。その理由を、20年5月の早見俊との対談で次のように話している。

「近現代史を小説として書くということは、失われつつある日本人の足跡を残していくことにもつながります。『それなら研究本やノンフィクションを読めばよい』と思われるかもしれません。しかし、どれほどの方が近現代史の研究本を読まれるのか。中には興味があっても、きっかけがないので手が出せないという方もいるでしょう。だからこそ小説という入りやすい媒体を通じて大枠を知ってもらいたい、さらに知りたければ、参考文献に手を伸ばしてもらうというパスを作りたいのです」

と、現状を打開すべく挑戦する。そしてこう続ける。「歴史を学ぶ大切さを知ってもらうためにも小説を媒体にしてもらいたい」

近現代作品を描くにあたって、著者がまず考えたのは「様々な事実が明白」「人物のイメージを変えにくい」「あまりに複雑」といったハンデだとする。こうしたハンデをどう克服し、読みやすくておもしろい近現代小説を書くかが勝負どころだと思ったという。そこでミステリー仕立てにすることにし、特徴としてはフィクションとノンフィクションの間を行き来するような作風を確立しようと思ったと明かす。

本書の帯に、「それは、軍の人体実験だったのか」とある。この説を最初に唱えたのは先に示した新田氏である。その点について、本書ではどのように処理したのか注目されることになるだろう。

とにかく本作品はテンポよく読み進むことができるので、おそらく一気に読み終えてしまうこととなるに違いない。そして、ミステリーの醍醐味でもある予想もつかない大どんでん返しにあい、しばし茫然とし、確認のために読み返すことになるだろう。そうした点でこの作品は読者の期待を裏切らないものと思われる。

 

評者=伊藤 薫

1958年生まれ。元自衛官。2012年10月、3等陸佐で定年退官。5連隊で八甲田演習を10回ほど経験したことがきっかけで歩兵第五連隊の遭難事故を調べ始める。著書に『八甲田山 消された真実』(山と溪谷社)がある。趣味・特技はスキー。 ​​​

山と溪谷2020年9月号より転載)

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