1959年10月、南岸を通過した台風18号による大量遭難。生死を分けたのは「濡れた衣服を着替えたかどうか」
1959年10月10日、台風の影響で、大学山岳部や社会人山岳会の数パーティーのうち8名が低体温症によって亡くなった――。当時、「台風崩れの南岸低気圧が引き込んだ寒気」とされたこの山岳遭難事故、今の技術で分析してみると、他の部分にも原因が見えてきた。
ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。 今年(2020年)は7月までわずか2個の台風しか発生していませんが、8月以降は台風ラッシュとなっています。
今回は台風ラッシュとなった1959年の話です。1959年は台風15号ベラ、またの名を「伊勢湾台風」が死者・行方不明者5,000人以上を超える、明治以降の台風災害史上最悪の被害をもたせた年です。このほかにも、1951年以降の気象庁の統計史上8番目に低い中心気圧885hPaを記録した台風9号、そして沖縄県に死者46人・全半壊家屋1,258戸の被害を与えた台風18号など、合計23個の台風が発生しています。
今回、取り上げるのはこの台風18号です。台風18号は沖縄県に被害を与えた後、本州南岸を通過して穂高連峰、八ヶ岳、奥秩父などで多数の遭難者を出しています。その中でも、北アルプスの滝谷で発生した遭難事故に焦点を当てて解説したいと思います。
台風18号による北アルプスの滝谷での遭難事故の概要
1959年10月10日にフィリピンの東で発生した台風18号は、シャーロット台風とも呼ばれていて、13日にはルソン島の東で中心気圧905hPaまで発達しています。
そして16日から17日にかけて沖縄地方に接近して大きな被害を与えた後、18日には本州南岸に進んで(図1)、19日21時には関東の東で温帯低気圧に変わっています。この南岸を進んだ台風による急激な天候の悪化によって、北アルプスの滝谷で登攀をしていた大学山岳部や社会人山岳会の数パーティーのうち8名の方が低体温症によって亡くなったのです。
そのうちの大学山岳部3名と社会人山岳会2名の2パーティーについての行動の詳細が、当時の大学山岳部の追悼誌に基づいて「山岳遭難と衣服(PDF)」という論文(1985 武庫川女子大学 安田武(教授) 日本山岳会会員 (いずれも当時))において、2つ目の事例として掲載されています。
この論文はアラスカのデナリ(旧称マッキンリー)で行方不明となった植村直己さんの遭難事故も含めて4つの事例について、山岳遭難と衣服に関する考察がまとめられており、現在でも非常に参考になりますので一読をお勧めいたします。今回の滝谷の遭難事故の概要は以下の通りです。
10月18日の北アルプスの滝谷は朝から雪で、昼頃から風雪が強まってきたため、2パーティーともに途中で撤退。そして引き返す途中で雪崩が発生、偶然にも滝谷の同じ岩穴の中に避難した。
大学山岳部の3名は濡れた木綿の下着を脱いで毛のセーターを直に着たのに対して、社会人山岳会の2名は着替えずに重ね着をしたのみだった。結果は、絵に描いたように衣服が生死を分けて、大学山岳部の3名は生還、社会人山岳会の2名は低体温症で亡くなった。
1985年の古い論文ですが、その中にある次の教訓は、現在にも通じる貴重なものと思います。2009年7月に発生したトムラウシ山遭難事故でも、前日に濡れた衣服を着替えたかどうかが生死を分ける要因の一つとなっています。
『それにしても、ぬれた木綿の肌着を身につけるのと、毛のものを肌につけるのとで、かくも生死が分かれるとは誰も予想しにくいのではないだろうか。また、凍死が簡単に起こることをこの遭難は教えてくれる。ぬれた肌着は着替えること。毛のものを肌につけること。これは、登山者の守るべき基本である』
遭難時の気象状況(国立登山研修所 登山研修テキストから)
この遭難事故の気象状況の概要については、日本スポーツ振興センター傘下の国立登山研修所による登山研修テキストの登山研修vol-22(2007)の9ページに、秋山での気象遭難事故の実例の一つとしてまとめられていますので引用いたします。
なお、当時の登山研修所は文部科学省の傘下にありました。
『10月18日には台風18号が日本列島の南海上にあって北上中であったが、翌19日には勢力をやや弱めながら温帯低気圧となって北東進した。このため西日本から東日本にかけての広い山域では悪天候となり、穂高連峰をはじめ各地の山域で遭難事故を起こした。この台風崩れの低気圧は発達しているため大陸方面からの寒気を引き込む型となって冬型に近い気圧配置となった。このため標高の高い山では暴風雨から暴風雪の天気に変わり真冬並みの様相を呈した』
引き込まれた寒気が原因ではなく、台風そのものによる天候の悪化が原因?
では、今回の遭難事故が発生した北アルプスの滝谷周辺での気象状況はいったいどのようなものだったのでしょうか。それを検証するため、気象庁のJRA-55(気象庁55年長期再解析)データを使って気象状況を解析してみました。
図2は18日15時の地上天気図です。台風18号が四国の南まで進んできて、北日本の東にある移動性高気圧との間で、西日本から東日本は等圧線の間隔が狭くなっていて、気圧の傾きが大きくなったことによって風が強まったであろうということがこの天気図から読み取れます。このように、台風や低気圧だけでなく、その先にある高気圧も強風の原因となることはよくありますので注意が必要です。
次に、図3に18日の15時から18時の1時間降水量の平均を示します。山岳地形の影響によって北アルプス付近で降水が強まっている様子が分かります。北アルプス付近の1時間降水量は約15mmですので、3時間降れば約45mmの降水量となります。それがそのまま雪となれば、約10倍の体積の45cmの降雪量となりますので、滝谷で季節外れの雪崩が起きても何ら不思議はありません。
そして、図4に18日21時の700hPa(高度約3000m)の解析図、図5に10月18日9時から20日9時までの各高度での気温推移の解析図を示します。18日21時の時点で北アルプスの3000m稜線では風速10m/sの強風で吹雪でした。そして、2名が低体温症で亡くなった18日夜の時点では、まだその後の強い寒気は入っていませんでした。
したがって、滝谷での遭難事故に関しては登山研修所のテキストに書かれている、台風崩れの南岸低気圧が引き込んだ寒気が原因ではなく、台風18号そのものによる天候の悪化が原因であろうと推定しております。
このように、過去の遭難事故の気象状況を改めて振り返ることによって、教訓として得られることは多くあります。今後も岐阜大学の吉野純先生の研究室を拠点として、山岳防災のための研究を進めてまいりたいと思います。

大矢康裕
気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、気象防災NPOウェザーフロンティア東海(WFT)山岳部会の一員として山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
現在、岐阜大学大学院工学研究科の研究生として山岳気象の解析手法の研究も行っている。







