慧海ルートから寄り道。地図では探せないローマンタンの洞窟とゴンパを訪ねる

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100年前にチベットを旅した僧侶・河口慧海の足跡をたどっている稲葉香さん。2016年の旅は、慧海の足跡から少し外れて、秘境ローマンタンへ。標高3700mにある城郭都市の奥にある、ガイドブックにも載っていない、現地の案内人もなかなか行くことがないという洞窟群へと足を踏み入れた。

 

慧海の足跡をたどるの旅をライフワークとして続けている。2016年の旅の途中、友人も一緒だったので、秘境の城郭都市ローマンタンまで足を伸ばした。慧海はツァーランから北には行っていないのだが。

私にとってローマンタンは2回目だったので、せっかくだから2014年に行けなかった場所に行きたいと思っていた。地図を見て考えていたのが、洞窟群とチョゾンゴンパだった。ガイドブックのようなものはないので、洞窟群は地図を手がかりにして、あとは現場で探すことになった。

私たちが訪れたローマンタン周辺の見どころの中から、ハイライトで紹介していこう。

 

ローマンタンの奥にある洞窟群を訪ねて

周囲1㎞ほどを、高さ10mを越える壁で覆った城郭都市であるローマンタンには、城壁内部にゴンパ(お寺)が数カ所ある。これついては、『ムスタン曼荼羅の旅』(奥山直司著/2001年、中央公論新社刊)に詳しいので、興味のある方は、ぜひ参照いただきたい。

アッパームスタンの洞窟群の中で、一番印象的だったものは、「コンチョリング(Koncholing)」という洞窟だ。カトマンズで買ってきた新しいムスタンの地図をよく見ると、以前にはなかった洞窟のポイントが数カ所、増えていた。今回行く予定の洞窟群も示されており、それらは、ローマンタンから北東方面に位置していた。意外と近くにこんなに洞窟群があるのか、まだまだ未調査の洞窟群がいっぱいありそうだと思った。

『ムスタン曼荼羅の旅』によると、カグベニから東へ伸びているゾンチュ(川)では洞窟群に対する考古学的調査が行われていて、土器などの生活遺物が発掘されている。放射性炭素による年代測定から、その洞窟群は、今からおよそ2000年前に住居として使われはじめ、西暦1200年から1500年頃までは村だったと、大まかな結果が出ている。その後、一部の洞窟に仏教の行者が住みついた。チベット仏教では、ニンマ派とカギュ派を中心に洞窟での瞑想修行が盛んだから、使われなくなった穴居が、瞑想修行目的で使用されていても不思議ではないとのこと。

ローマンタンで出会った地元の人は「昔の高位の僧侶はすごいパワーを持っていて念力で山を一つ吹っ飛ばすことができた」という。ということは、登っていたのではなくて、飛んでいたかも!? ムスタンに長い間滞在していると、そんな話に妙に納得してしまうのが不思議である。

宿で馬と馬方を手配し、洞窟群への案内人は、途中の村から合流した。

私は日本では乗馬の経験がなかったが、2007年の初めてのドルポで、馬旅をしたおかげで慣れていた。あの時は、驚くような山道を馬で登ったり下ったり、川の渡渉や滑り落ちそうな山肌のトラバースもあって、2回、落馬した。

ローマンタンの道は、道幅があったため、アップダウンもとても快適だった。さらに、来てくれた馬方が大当たりで馬のあしらいがすごく上手かった。鼻歌を歌いながら誘導してくれて、馬も気持ち良さそうに進んでくれる。2時間半の歩みは快適だった。

途中に、昔の村人たちの住まいなのか、家のような洞窟がいくつもあった。次第に、山肌が赤っぽくなっていく。独特な雰囲気の山容であるダークマーの山群と同じように、青白い岩壁と赤い水平に走る断層、そして侵食した縦皺がかっこいい。平らな場所に馬をデポして、30分ほどの登りで展望がよいところに立つ。360度、「ムスタンカラー」というような、独特な赤茶、グレー、白、ベージュの土の色の山々で埋め尽くされていて圧巻だった。

よく見ると、木のドアのようなものがある。私にはそれが結界のように見えた。そこから、一度谷の底まで下って、また登る。どんどん登っていくと、明らかに道があり、ここにかつて人が住んでいたことが想像できた。ここはいったい何? 何からか逃げてきたのか、瞑想地だったのか、一瞬にして様々なことが思い浮かんだ。

そこからさらに案内人の後を付いていくと、ここを下るの? というような、危なっかしいところを下っていく。一応、ロープがあったが、いかにも切れそうなうえ、支点そのものがグラグラしていた。なので、ロープにはあまり頼らず、転げ落ちそうなところを下って行った。

するとたくさんのタルチョがなびいている洞窟があった。柵がしてあったが、中に入れた。入ってみると壁画がたくさんあり、それは僧侶が描くような仏画ではなく、古代の壁画のように感じた。

洞窟は、自然侵食によって被害を受けていた。壁画の年代は、13世紀または14世紀であると考えられている、とのことだった。

 

案内人が付いて、初めて行くことができた「チュゾンゴンパ」

2014年に初めてローマンタンに来た時に行けなかった場所が「チュゾンゴンパ」だ。その時は、年に一度行なわれるティジ大祭(チベット暦4月7日~3日間、大タンカ〔チベット仏教の仏画の掛け軸〕が開帳され、僧侶によるチャム〔仮面舞踏〕が奉納され、英雄神が悪魔を退治して大地に水を取り戻す物語が舞のテーマとなる)を見るのが訪問の目的だった。

大祭の時だったから案内人やゴンパの鍵を持っている人がいないと言われ、さらに自分の雇っていたガイドにも、遠いからという理由で反対された。

私は、外から見るだけでもいい、遠いなら馬でも行くつもりだった。行く気満々だったため、反対されたことがとても残念だった。当時のガイドは、一番付き合いが長くて安心な人、私の冒険的な動きを冷静に判断してくれる人でもある。

そんなことがあったため、私はさらに調べ尽くしてきていた。私が訪れたい地域の多くは、ほぼ無人地帯で、ガイドブックなどの情報はない。それらの場所に行く時は、自分でしっかり読図をし、情報をできるだけ集めて、ガイドを説得できるまでにならなければならない。自分自身で距離、時間、高度など、全てを把握することが必須である。

ムスタン、ドルポに限らず、バリエーションルートで道がわからなくなっているガイド、ポーターたちを今までに何度も見てきた。しかし、逆に地図ばかり見ていると、地図にとらわれているようにも感じる。

彼らのように山と一体化して歩くのは真似できない世界で、憧れの世界でもある。大地と共に生きる人々の歩き方を私も身につけたいと思っている。

行ってみると、2014年には必要なかった入域料、15000ルピーが必要だった。これは人数でシェアできるそうだった。馬一頭は3000ルピーだ。馬と人はこの時はセットだったが、人数が多くなると変わるので交渉は気を付けたい。

ここでは、ゴンパに泥棒が入るので外国人への入域料の制度ができたという。

入域許可は、カトマンズで取得するのではなく、現地でのルールだった。また、必ず村人を連れて行かなければならないとのこと。案の定、2014年のときと同様に「簡単には行けない」と言われた。諦めきれず、粘りに粘って行く手段を得た。

なぜ簡単には行けないのかというと、雨季の終わりで川の状態が分からないから、とのこと。乾季だったらまだしも、雨季が明けていない。川の流れが激しかったら、日本人は馬を乗りこなして渡渉することができない、しかも女3人では、という。

私は、馬がダメなら歩くけど、川がダメなら高巻きすればいい、地図を見ていたら行けると踏んでいた。尾根をつたって時間をかけてキャンプしながらいけばいいのではと思っていて、そのための装備も持ってきていた。

女性はダメだと聞かされたけど、以前に来た、故・大西保氏の隊のメンバーには女性もいた。行く前にはその方にお会いして話も聞いていたので、それが後ろ盾となって、絶対に行くぞと決めて決行した。ラッキーなことに、馬方がベテランで、川の状態もよかった。川の渡渉は深くもなく、流れも激しくなかったおかげで、結果的にはローマンタンから日帰りで行くことができた。

チュゾンゴンパに行く途中にも、お城のような洞窟があった。時間がない場合は、ここ行くだけでもいいだろう。

チュゾンゴンパに行く手前にあるお城のような洞窟「マクチュン(Makhchung)」


チュゾンゴンパへは馬で片道4時間、渓谷を馬で渡渉しながら行くのは、時間をワープし、いつの時代かに戻るようだった。とても贅沢な馬でのトレッキングだった。両側に岩壁がそそりたち、その合間から、太陽の光が差して眩しい。

山肌から何か白いものが染み出しているところがあった。塩だ。ムスタンの道は、塩の道なのだ。

途中、馬から降りなければならないほどのアップダウンが続いた。やっぱり案内人がいてよかった。もし河原から登るポイントを間違えたり、見落としたりしていたら、時間のロスになり、日帰りでは無理だっただろう。

河原を馬でバシャバシャと渡渉しながら、どんどん進んでいく。ここは馬がいなかったら厳しかっただろう。

さらに、河原から山肌への登り口が分かりにくい、見落としてしまいそうなところを登っていき、徐々に道になっていることに気づく。

馬に乗りながら後ろを振り向くと、大きな渓谷となっていて驚いた。そして前を向き、良く見たら、かつては村か畑だったのか、手を入れているだろうと思わせるようなところに気づき、大きな仏塔が出てきた。仏塔が出てくるということは、村の入り口やお寺があるということだ。

仏塔まで登ると、そこからは、ゴンパがどこにあるのか見えなかったが、薄っすらと続く道が見えてきて、どんどん進むとマニ石があり、そこには馬方が先に到着していた。馬方達と一緒に休憩をして、いよいよチュゾンゴンパへと最後の案内をしてもらう。ドキドキワクワクした。道はないようである。日本の登山道のように整備は全くされていないので気を付けながら歩く。辿りつくまでの山肌にも朽ちている仏画がある。到着すると、無条件に気持ちよいヒマラヤの風を感じた。

お堂の中には、密会をしていて、今にも踊り出しそうな御本尊が祀られていた。秘蔵仏のように眠っていたのだ。

暗闇の中にある様は、後ずさりしてしまうほどの迫力があった。足元に人間を踏みつけている姿のものもあり(それは日本でも見られるものだが)、ものすごく恐ろしくも見えた。

チュゾンゴンパからの帰りの谷では、ユキヒョウかトラなのか分からないが、最近ついたばかりと思われる動物の足跡があった。

以前、ロー・ドルポで私たちのキャラバンの荷物を運ぶカッチャル(馬とロバの間の子)が、トラに襲われて死んだことがあった。静かな谷、あまり人が通らない無人地帯には、どこに何が潜んでいるか分からないと思った。ここは彼らのテリトリーで、どこか遠くから私たちを見ているかもしれないのだ。

最後に。

このチュゾンゴンパの場所は、私の持っているネパールの五万分の一の地図には示されていなかった。最初は、自分たちだけで行こうと思っていたが、地図だけを頼りにしていたらたどり着けなかっただろうと思った。馬方と案内人に感謝をし、その日は夕食を共にいただき、楽しんだ。

私たちはローマンタンで8月29日~9月2日までの4日間を過ごし、9月3日にローマンタンを出発した。帰りは、行きと少しルートを変えながら、ダークマー~シャンボチェ~チュクサン と進み、ジョムソンには9月6日に戻った。

いよいよドルポだ!

その前に少し休息を取り、これから始まるドルポでの1ヶ月の旅の荷造りをすることにした。

 

 

稲葉香さんが自費出版で2冊の本を出版

『Mustang and Dolpo Expedition 2016 河口慧海の足跡を追う。ムスタン&ドルポ500キロ踏破』

(46ページ・写真付き) 1500円(※完売)

2016年に河口慧海の足跡を忠実に辿り、慧海が越境したであろう峠クン・ラまで歩き、国境からは、アッパードルポからロードルポをできるだけ村を経由して横断し約60日間で500km以上を歩いた時の報告書を、編集したもの。

 

『未知踏進 稲葉香の道』

(14ページ・写真付き) 1000円

18歳でリウマチ発症、24歳で仕事を辞め、ベトナムの旅へ。ベトナム戦争の傷痕に衝撃を受け。28歳では植村直己に傾倒してアラスカへ。30歳で河口慧海を知り、河口慧海を追う旅が始まった。流れるように旅に生きる稲葉さんの記録。

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プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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