根雪になる頃|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第11回は、雪の季節を前にした複雑な心情について。

文・写真=星野秀樹

 

 

鉛色の雲が関田山脈を越えて行く。
雲の下は不気味な闇に沈んで、その様は、いかにも冬の到来を思わせる。
まるで、日本海から押し寄せる寒気の姿が目に見えるよう。
やがて雷。アラレ。叩きつけるような冷たい雨。そして雪。また雷。
そんな雷を伴う初冬の嵐を、雪国では「鰤起こし」や「雪起こし」という。
冬の到来を告げる嵐は、荒れた日本海が、ブリやタラを漁に引き寄せる恵みの嵐でもあるのだ。

「鍋倉山が三回白くなると里に雪が来る」
根雪の訪れを、地元ではそんな言い方をする。
11月になると、鍋倉山や、対岸の毛無山に雪が降る。時には家の周辺もすっかり雪景色になる日もあり、まだ終わらぬ冬支度にプレッシャーがかかる。
それでも晩秋の日差しが出れば里はもちろん、山に積もった雪もぐっと減り、そんな秋と冬のせめぎ合いが、本格的な冬を前に幾度も繰り返されるのだ。

この時期、みんないろんな方法で今年の雪を占う。
カマキリの卵が高い位置にあるから雪が多い、とか。
例年に比べてカメムシが多いから豪雪だ、とか。
毎年越冬のために家屋に侵入してくるカメムシは、冬を前にした雪国山間部の風物詩。晩秋の集会場で酒を飲みながら、今年はカメムシが多いとか少ないとか、だから雪が多いとか少ないとか、気まぐれな議論が毎年繰り返される。科学的根拠はないけれど、何かにつけて雪の多寡に結びつけてしまうのが、やはり冬を前にした雪国人の心情である。

 

 

雪が少ないほど生活は楽だけれど、スキー場や除雪の仕事が立ち行かなくなる。農業用の水だって心配。だから「雪とともにある暮らし」は、不安と覚悟、それに期待が混ぜ合わさって、なんとも不思議な感情が生まれる。雪国にとって雪は、多すぎても少なすぎても困るのだ。
時々、「今年は上手に降って欲しい」とか、「去年の冬は下手な降り方をしたね」という言い方をするのを聞く。冬に上手とか下手とかってあるのかな、って思うけれど、なんだか季節に人情味を感じて面白い。「上手」というのは、雪仕事が落ち着いて出来るような間隔で適宜積雪が増えること。「下手」というのは、何日間も降り続けたり、かと思えば全然降らなくなったり。
「上手な夏」なんていうのは聞いたことがないから、やはり冬は特別なんだと感じる。

「あんまりこんなこと言っちゃうと、ほらまたドカって降っちゃうかもしれないからね」
なんだか今年は雪が降らなそうだね、なんてちょっと軽口を叩いていると、急に小声になって、そんなふうに言うことがある。チラッと背後を振り返ったりしながら、少し怯えたように、ヒソヒソ声で。まさか山の神様や、雪の神様を信じているわけでもないだろうに、聞かれてはいけない「誰か」を意識して、「言ってはならいないことを言ってしまった」的な表情を浮かべるのだ。

かつてマタギや山仕事をする人たちは、山や自然を愚弄することを厳格に禁じていたという。それは、得体の知れぬ「自然の力」への畏怖、畏敬の念を絶えず抱いていたからに違いない。自然の「恐るべき力」を意識して、恐れ、だから敬う。そんな、自然とともに暮らしていた時代の片鱗を、この雪国では少なからず感じることがある。自然の存在や力が、すぐ身近にあることを意識させられるのだ。
それはきっと、この土地に、雪が降るからに違いない。

 

 

●次回は1月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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