2004年2月の大長山遭難事故――、暖冬シーズンの中で起きた豪雪からの14名全員の生還劇

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「強い冬型の気圧配置」は、続いても2~3日だが、上空の気圧配置が「鍋底型」となると、長く続くことになる。2004年2月の大長山での遭難事故は、まさにそんな気圧配置になったために起きたのだった。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨冬の大暖冬の反動からか、年末年始は最近にない厳しい寒さと、日本海側の山を中心として大雪となりました。1月は冬型気圧配置が強く、低温・多雪傾向の予報が出ていますので、気象情報にご注意ください。

100年単位の長い目で見ると温暖化の影響によって少しずつ暖かくなっていて、山岳での積雪は減っているものの、暖冬の後は冷夏または寒冬となって、私たちが住んでいる地球は気温のバランスを保とうとしています。そして平均すると暖冬のシーズンであっても、時には強い寒波が来ることがあります。

今回、取り上げる2004年2月の大長山(おおちょうやま 1671m)での遭難事故は、そんな暖冬のシーズンの中での豪雪によって起きた遭難事故でした。

石川県と福井県の県境にある大長山

石川県と福井県の県境にある大長山(写真=夏梅太地/ヤマケイオンラインより)

 

入山から7日間、厳冬期の豪雪地帯から14名全員が生還!

大長山は、石川県と福井県の県境の三角点がある山の中では、最も高い山になります。白山(2702m)を間近に望むことができる山として知られていましたが、2004年2月の豪雪による遭難事故によって一躍、全国的に有名な山となっています。白山の周辺は知る人ぞ知る豪雪地帯で、私も何度か積雪期に入山して豪雪ぶりに驚かされています。

これまで取り上げた遭難事故では残念ながら多くの方が亡くなられていますが、大長山遭難事故では幸いなことに関西学院大学ワンダーフォーゲル部の14名全員が生還しています。当時の報道や文部科学省による登山研修テキストvol.20(PDF)に基づいて遭難事故の概要をまとめると以下の通りで、豪雪によってテントが潰れ、まさに生きるか死ぬかの危機の中を冷静に判断して、メンバーで力を合わせて生還のために頑張った様子が鮮明に伝わってくるように感じます。

関西学院大学ワンダーフォーゲル部は、毎年、夏山合宿とは別に雪山合宿を4~5回実施しており、日頃のトレーニングも週3回のランニングなどを実施、リーダー層は文部科学省登山研修所や雪崩ネットワーク、日本赤十字の講習会に参加するなど、非常にしっかりとした活動を行っている部であった。

2004年の春山合宿でのスキーツアーに向けた練習山行の位置づけで、豪雪地帯でのラッセル訓練を目的として、2月に大長山へのスキー縦走を計画した。2月3日に東山いこいの森から入山し、5日に大長山を越えて、6日に赤兎山をアタック後に小原集落に下山するという行動予定であった(図1参照)。

図1.大長山付近の地形図と行動予定・救出地点 ⇒付近の地形図はこちら


パーティーは3日に全員快調の状態で入山、天気は曇りから雪に変わっている。

4日は予定より早く大長山の手前まで進んだが、その頃から天気が悪化し、雪と強風に加えて視界も悪くなった。この日は大長山を越えて急斜面を下った地点でテント泊。

5日は先に進もうとするも、両側が切れ落ちた稜線の通過は困難と判断。引き返そうとするが豪雪のため大長山の急斜面が登り返せず、大長山の直下でテント泊。

6日は1mを超える豪雪になって、除雪が間に合わずテントが潰れたため、22時にテントを放棄し、雪洞を3つ構築してビバーク。

7日は雪・強風の中で大長山頂上への急斜面を登ろうとするが、豪雪のため断念し雪洞に戻る。体調不良者が続出したため、13時に救助を要請。

8日は悪天のためヘリ飛べず。メンバーは食料・燃料が尽きる中を励まし合いながら雪洞で停滞。9日の11時頃にようやく視界が良くなったため、11時43分からヘリによる救出を開始、14時38分に全員の救出が完了した。

 

暖冬にもかかわらず、豪雪は何故降ったのか?

2003年12月から2004年2月は平均してみると暖冬でした。そして、図2に示すように大長山遭難事故が起きた2月だけを見ても、平年より1~2℃暖かかったことが分かります。

図2. 2004年2月の平均気温の平年差(出典:気象庁)


しかし、図3の中の2月の気温の推移を見ると、2月上旬は西の方に行くほど平年より低温になっています。大長山のある石川県と福井県は東日本になりますが、東日本でも西の方にあるため、西日本の気温の変化に近く、西日本と同じように強い寒波が来たであろうことが読み取れます。これが前回のコラム記事で書いたように、平均値に騙されてはいけないという典型的な事例です。

図3. 地域別の2003年12月から2004年2月の気温の平年差の推移(出典:気象庁)

 

『二つ玉低気圧』の後に冬型気圧配置が続き、『JPCZ』も発生

それでは、この2月上旬の寒波がどのようなものであったかを、まず地上天気図で検証してみましょう。実は、入山の前日の2月2日9時には日本海と南岸に低気圧があって、『二つ玉低気圧』が通過していたことが分かります(図4)。

低気圧は4日21時にはオホーツク海に進み、台風並みの966hPaまで発達しています。そして大陸のシベリア高気圧とともに、オホーツク海の低気圧も7日までほとんど停滞したため、冬型気圧配置による悪天が長く続いています。

図4. 地上天気図(左:2月2日9時、右:2月4日21時、出典:気象庁)


NASA(アメリカ航空宇宙局)が公開しているNOAA(アメリカ海洋大気庁)の気象衛星画像を見ると、2004年2月7日は日本付近には日本海から大量の雪雲が流れ込んでいて、その一部は太平洋にも流れ込んでいます。そして、日本海には、日本海側に豪雪をもたらすJPCZ(日本海寒気団収束帯)が北陸に向かって伸びています。JPCZの詳細は前回のコラム記事をご覧ください。

★前回記事:薬師岳遭難事故(三八豪雪)は、二つ玉低気圧とJPCZ(日本海寒気団収束帯)が原因

1963年1月の薬師岳遭難事故と同じように、JPCZによる雪雲が大長山での豪雪をもたらしたことが分かります。昨年末(2020年12月17日)の関越自動車道で多くの車が立往生した豪雪も、このJPCZの仕業でした。

 

図5. 2004年2月7日の気象衛星画像(出典:NASA) 

 

冬型気圧配置が長く続いた理由は『鍋底型』の気圧配置

豪雪をもたらすほどの強い冬型気圧配置は続いたとしても、普通はせいぜい2~3日で緩んできます。大長山遭難事故では、なぜ2月4日から8日までの5日間も強い冬型気圧配置が続いたのでしょうか。その理由は地上天気図だけでは分かりません。答えは上空の気圧配置にあります。

図6に気象庁による55年再解析データJRA-55を使って作成した、2004年2月3日21時から8日21時の5日間平均の気温・高度・風の500hPa天気図を示します(6時間ごとの21個のデータの平均天気図)。黒線は等高度線(地上天気図の等圧線に相当)、色分けは気温、矢羽根は風を表しています。

図6. 2004年2月3日~8日の5日間平均の500hPa気温・高度・風の解析(気象庁JRA-55データで大矢解析)


図から分かるように、北陸付近には2月としては強い-30℃の寒気が南下しており、この-30℃の等温線(赤線)が、まるでお鍋の底の形のように、中国大陸から太平洋中部まですっぽりと覆っています。500hPaになる高度を結んだ等高度線も同じようにお鍋の底の形になっていて、北陸までがお鍋の底に入っています。これが『鍋底型』の気圧配置です。

『鍋底型』の気圧配置になると、冬型気圧配置がなかなか解消されず、多雪地帯では豪雪となって、大長山遭難事故のように脱出不能となります。500hPaでこのような天気図になったら、多雪地帯には決して入山してはならないと思います。

 

『鍋底型』の気圧配置の予想は誰でもできる!

厳しい寒さになった2020-2021の年末年始にも『鍋底型』の気圧配置が登場していますのでご紹介いたします。「Sunny Spotの専門天気図」や「北海道放送局の専門天気図」などで、誰でも無料で見ることができる気象庁の予報資料の中に、『FXXN519』という週間予報資料があります。

その中で、上の方に2つ並んでいる北半球500hPaの5日平均天気図で『鍋底型』の気圧配置になっていないか確認することができます。図7は2020年12月26日の週間予報資料FXXN519にある12月31日の前後5日間平均の北半球500hPa天気図です。

図7. 2020年12月26日の週間予報資料FXXN519の12月31日の前後5日間平均の500hPa天気図


ハッチングされている部分は、500hPa高度(=地上から500hPaまでの平均気温) が平年より低いことを表していて、冬季においては地上でも寒気が入っていると考えて良いです。つまり、12月26日の時点で年末年始は『鍋底型』の気圧配置となって、冬型気圧配置が続きそうだということが予想できたのです(Twitterで情報発信済み)。このような気象情報をぜひご活用されて、安全登山をお願いいたします。

岐阜大学の吉野純先生の研究室では、このように過去の遭難事故の気象、そして将来の山岳気象の研究によって、『過去と未来を繋いで遭難事故を無くす』取組みをしております。悲しい遭難事故を無くすことが私の心からの願いです。

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

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