白い、凶暴な森|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第13回は、冬の厳しい森について。

文・写真=星野秀樹

 

 

森はやさしい。
雨や風の日に森を彷徨っていると、やんわりと木々に包まれて安心することがある。
悲壮感漂う風雨の稜線歩きとは違う、やさしさ、安心感。森に通うようになってから、僕は雨の日が嫌いではなくなった。
でも、僕は凶暴な森も知っている。
寒気厳しい、風雪の森。みるみる増える積雪と、生命を拒絶する白い嵐。
それもまた、この森の魅力である。

5日間の予定で里を後にした。それは今から10年以上も前のこと、僕がこの森に通い初めて5年目になる冬だった。
強い寒気が来ていて、降雪が続く予報が出ていた。とは言え豪雪地帯の厳冬期。風雪こそがこの季節の景色だし、慣れ親しんだ森はホワイトアウトでも辿れる自信があった。
途中、ナラの木に凍りついたヒラタケを見つけた。晩のおかず用にナタで叩き割って落とす。雪まじりの風に乗って、ほのかなキノコの香りが流れていった。
誰もいない。トレースもない。沢の本流に出る手前から、山腹に沿って高度を上げていく。普段は美しい地衣類の衣を纏ったブナが、今は雪の鎧に覆われて佇んでいる。枝が折れそうなほどに多量の雪を載せた木。ウロコのような雪形を幹に貼り付けた木。細かい氷雪に覆われて、白く硬く凍てついた木。この森を支配する風雪の姿が手に取るように見えてくる。
なるべく森の奥まで入ってテントを張った。もうひと頑張りで峠に出る辺り。もし万が一にでも日の出が拝めるような天気になったなら、稜線まで出てみるつもりで。
就寝前、夜中に除雪に起きるのが嫌だったので、テントの周辺を広く掘り下げておく。でもしかし、この雪の降り方は、少し尋常じゃないかもしれない。

 

 

静かな朝。風の音も、雪の気配もしない。しかし冬は静かな時ほどロクなことがない。案の定、テントが雪に埋もれ、外界から遮断されていた。苦労して外に出て除雪。すでにテントは摺鉢の底だ。朝飯を食べて撮影に出るものの、スキーを履いていても進めない。しばらく森の中をうろつくうちに、さすがに不安になってきた。果たして帰れるだろうか、と。もしこのまま降り続ければ、いくら慣れ親しんだ森とは言え、ただでは済まない気がしてくる。「豪雪地帯」という言葉が、急に恐怖となって自分にのしかかってきた。
学生時代、初めての冬合宿の後立山で、強い西高東低に掴まって停滞を重ねた。夜中に交代で除雪に出るたびに、シンシンと降り続ける雪を見て、山の怖さを初めて感じた。これはちゃんとやらなければ死ぬぞ、と思った。

食糧も燃料も十分にあるものの、下山を決めた。撮影に出ていたほんの1、2時間のうちにテントは埋まり、いよいよこれはヤバいと焦りだす。
スキーを履いても股まで埋まり、下りでも一向に進めない。諦めて空荷で一度トレースを付けてから再び荷物を取りに登り返すが、ザックが埋まって見つからない。ボヤボヤしているとトレースも埋まってしまう。普段ならスキーで30分もあれば下ってしまう距離なのに、時間ばかりが過ぎて、いつまでも森から出られない。
豪雪の、白い、凶暴な森。

森を抜け出して広大な雪原に出たころに日没になった。アリ地獄のような雪を踏み固めることができず、強引にテントを張って寝た。
翌日、ほとんど撮影も出来ず、ただ疲労して、逃げるようにして里に下りた。
でもこんな「凶暴な森」に出会えたこと、それがこの時の最大の収穫だった。
生命を拒絶するかのような厳しい冬の森。しかしそこは、厳しい環境に生きるものたちの、逞しい生の力みなぎる場所に違いない。

 

 

●次回は3月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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