便利な世の中だからこそ、失ってしまった感覚もあります。山々を眺めつつ、思ったこと

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私が暮らしている東京などは、引き続き緊急事態宣言が続いています。遠くから山々を眺めつつ、解除後の山行計画に思いをはせたり、これまでの数々の山の記憶を回想したりの日々です。こんな時、山の雑誌や本の存在が余計にありがたく感じます。ページを開くだけで、時間と空間を超えて、新鮮な山の空気を思い出させてくれたり、楽しかった場面に連れていってもらえるのですから。今回は、ある雑誌記事をきっかけに思い出した話をさせていただきます。

茨城の生家から見た足尾山と加波山(右)。山に憧れていた頃に眺め続けていた風景が初心を思い出させてくれる

 

山と溪谷社を退職して2年。毎月15日になると『山と溪谷』誌の発売が楽しみです。新聞広告を見て「これはいい特集だなあ。売り切れてしまったら大変」と、あわてて近所の本屋さんに駆けつけるときもあります。

かつて、この雑誌の編集部でお世話になっていた自分が言うのもなんですが、「よく毎月、こんなボリュームの雑誌が出せるなあ」と感心してしまいます。作る側にいた頃は、見本が入荷してくると、「印刷や製本はうまくいっているかなあ」と、ドキドキしながら1ページずつ急いでページを繰ったものですが、一読者となれた今は、写真や文章をのんびりと堪能しつつ眺めるのが至福の時間です。

そんな具合に、公園の木漏れ日の下で買って来たばかりの2月号を開いた瞬間、懐かしさと嬉しさで胸がいっぱいになりました。市毛良枝さんのニュージーランドの記事があったからです。編集部員だった頃、市毛さんとは、九里徳泰さん美砂さんご夫妻や、数々のお仲間の方々と一緒に、いろんな山にご一緒させていただきました。

ニュージーランドは、私にとっても初めて海外登山に訪れた場所でしたから、なおさらです。しかも写真撮影はスキー雑誌の編集部にいた頃に、さんざんお世話になった滑田広志さん。ページを開いたまま、しばらく回想に浸って幸せな時間を過ごすことができました。

ご一緒させていただいた数々の山行を回想していたら、「どうしたら山で事故に遭うリスクを軽減できるか」という、このコラムの趣旨とも関連しそうな経験を思い出しました。その様子は市毛さんも、ご著書の『山なんて嫌いだった』(ヤマケイ文庫)のなかで触れていますが、今回はその話題から思ったことを綴らせていただきます。

それは、秋の槍ヶ岳への登山でした。本のなかでは「槍ヶ岳に登った!」という題の小話です。この山行にご一緒いただいたのは、エッセイストで元国際ラリーストの三好礼子さん。当時、『山と溪谷』で沢山お仕事をしてくださっていた小川清美さんが写真を撮ってくれました。

日が短い晩秋の山行でしたが、槍ヶ岳山荘で天候の回復を待ち、その後も太陽が照るタイミングを見計らって撮影しつつの下山となったので、新穂高への到着が夜になってしまいました。下山後の宿泊をお願いしていた宿の人や、山岳パトロールの方々にも心配をおかけしてしまったわけです。今、考えれば「遅くなってしまい申し訳ありません。何時ごろに着きます」と、電話さえしておけばよかったわけですが、当時は携帯電話もなく、少しでも急いで歩くしか手がなかったのでした。

登山を習いたての頃に買った山靴。もう履くことはないが、時々磨いては「不便だった時代」を思い出す


携帯電話がなかった時代といっても、そんなに昔のことではありません。当時は「何時に着くためには、何時に出発しなければならない。途中にハプニングや体調不良もあるかも知れないから、より余裕も持って」といった具合に、計画そのものも慎重に考えていたと思います。自分自身のことを省みてもそうなのですが、今は山中からでも容易に連絡ができるということで、少し気持ちに緩みが出てしまっているかも知れません。

もちろん、連絡が容易にできるようになったことで、緊急事態の際に迅速な救助要請などが可能になったりという面もありますし、下山が遅れても、所属山岳会や家族にその旨を連絡できたり、下山口にタクシーに迎えに来てもらったりと、便利な点も増えたかも知れません。しかし、この「どこからでも連絡ができる」ということが、実は登山計画そのものの立案に、甘い気持ちをもたらしてしまいがちな気もします。

気象の判断や地図の確認などでも、そうかと思います。以前のようにラジオの気象通報を聴きながら天気図を書いたり、GPSではなく、常時、国土地理院の地形図にコンパスを当てて現在地を確認しながら歩くという作業は、今は必ずしも必要ではないかと思いますが、便利さの恩恵にあずかりながらも、「不便だった時代の心構え」だけは、持ち続けていたいなあと想うのです。

そう、私たちが山に出かけるのは、便利になり過ぎた現代の生活に疲れて、自然に抱かれたいという面もあるわけですから。山に向かう気持ちのなかでは、不便さも享受し続けていきたいものですよね。

プロフィール

久保田 賢次

元『山と溪谷』編集長、ヤマケイ登山総合研究所所長。山と渓谷社在職中は雑誌、書籍、登山教室、登山白書など、さまざまな業務に従事。
現在は筑波大学山岳科学学位プログラム終了。日本山岳救助機構研究主幹、AUTHENTIC JAPAN(ココヘリ)アドバイザー、全国山の日協議会理事なども務め、各方面で安全確実登山の啓発や、登山の魅力を伝える活動を行っている。

どうしたら山で事故に遭うリスクを軽減できるか――

山岳遭難事故の発生件数は減る様子を見せない。「どうしたら事故に遭うリスクを軽減できるか」、さまざまな角度から安全登山を見てきた久保田賢次氏は、自身の反省、山で出会った危なげな人やエピソード、登山界の世相やトピックを題材に、遭難防止について呼びかける。

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