九州自然歩道2,100kmをスルーハイク! 第4回 長崎編
齋藤正史さんの九州自然歩道2,100㎞のスルーハイク。3県目の長崎県では、佐世保市、西彼杵半島(にしそのぎはんとう)を通り、長崎市内へ。さらに島原半島の雲仙岳を抜ける道だった。長崎県のトレイルを振り返る。
齋藤正史(さいとうまさふみ)
1973年生まれ。山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
アメリカにあるロングトレイル、アパラチアン・トレイル(2005年)、パシフィック・クレスト・トレイル(2012年)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(2013年)を踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成。日本国内でロングトレイル文化の普及に務め、地元山形ではロングトレイル整備の活動も行う。
山中に見かける歴史の数々
佐賀県から長崎県に入ると、佐世保市街地までは、国見山から隠居岳までの縦走路のような道が続いていく。大きなアップダウンはないものの、隠居岳に差し掛かる辺り、木の間から佐世保湾が見え始めると、九州自然歩道のルート沿いに海軍省という名の石柱を見つけた。昔、佐世保港は、日本海軍の鎮守府だった。きっと佐世保湾を見渡せる場所がこの近くにあって、見張り台でもあったのだろうか? そんな事を考えつつ、海軍省という省庁があったこと知る。
このように長崎県のエリアは、石畳の道があり、「長崎街道」や「竜馬が歩いた道」など、九州自然歩道のルートと一部同じ道を通る箇所が幾つかあった。特に長崎街道は、佐世保から長崎市に入る手前あたりまで九州自然歩道と同じようなルートを辿ることが多かった。そんなこともあり、街道すなわちアスファルトの道を歩くことも非常に多くあったように思う。
10月1日、この日は、九州自然歩道を出発して初めて、目覚ましに気付かず寝坊した。山中で、しかも道路から離れた静かなダム脇の公園にテントを張って寝ていたからかもしれない。寝坊して予定より1時間も遅れて焦り、急いでテントを片付けて出発した。
歩き始めるとGPSに記された地図上の道からは想像できない荒れた道となり、それは次第にダートロードに変わり、車が通ることはないと思われる寂しい道に変わっていった。
やがて荒れた登山道へと変わり、藪を漕ぎながら進むと、手作りの木のゲートが現れた。
山形県最上エリアがルーツという陶芸家・林田さんとの出会い
「またしても柵で通れないのか・・・」と思って近づくと、周囲に電気柵は張られておらず、木のゲートも開閉できるように作られていた。ゲートを開けて、しっかり閉め、自然歩道を確認すると、直ぐ目の前に民家があった。道は、民家の方へは行かず、田んぼのようなあぜ道がある山の方へ向かって続き、その先にも手作りのゲートがあった。ゲートの外は、イノシシに掘り返されていて、土が水と交じり合い田んぼのようになっていた。
なるべく民家の方の目に入らないように、足早に駆け抜けた。ゲートを開け、締めて振り向いた瞬間、そこに人が立っていたのだった。
「こんにちは」とあいさつすると、家の敷地に無断で入って通過した引け目もあり、言い訳をするように、九州自然歩道を歩いていることから話し始めた。
すると、「え? 山形の人なの? 立ち話もなんだからコーヒーでも飲んでいかない?」と誘われた。僕は遠慮せずコーヒーをご馳走になることにした。
この家のご主人、林田耕三さんは陶芸家だった。林田さんの先祖は、山形県最上エリアの出身だそう。最上エリアは僕の出身地だ。そんなわけで意気投合するのに時間は掛からなかった。
林田さんは、30歳からこの地に住み、作品を作られているそうだ。お嬢さんは、この山暮らしに不満を持っているそうだったが、作品をつくる上で、無心になれるこの環境はうってつけのようだった。会話はどんどん弾んでいった。
実は、今年の台風で林田さんのお宅の屋根が飛ばされた。工事で忙しかったのが、業者が急に休むことになり、林田さんは時間が出来たので山に入っていたそうだった。もし、大工さんが予定通り仕事をしていたら、きっとこうして一緒にコーヒーを飲んだりすることが無かったのかと思うと、「こんな運命的な出会いってあるものだね」と、お互いに頷いていた。
「荷物になってしまうけど、良かったら持って行って」といって、林田さんの作ったコーヒーカップをいただいた。「また、会えるような気がするね。頑張って!」と言って僕を送り出してくれた。僕も、近いうちに、また林田さんと再会する、そんな予感がしていた。
もう一度ゆっくり過ごしたい、岩背戸渓谷
林田さんのお宅を出発し、1時間程で到着したのが、岩背戸渓谷だった。その水源は、長崎県民の森まで続いている。僕が訪れたのは、お昼頃だったと思う。10月に入ったというのに強い日差しが照り付けていた。日差しはアスファルトに反射もしていた。福岡でハットを落としてしまった僕の肌はみるみる黒くなっていった。
道路は舗装路なのだが、穏やかでゆったりとした流れの河通川と、その周りには静かで適度な日差しの入る森があった。こんな道がずっと続いてくれたらいいと思わせる、素敵な道だった。
しかし、九州自然歩道ルートは山に向かっている。少しだけ登山道を登るのを躊躇した。周りには、長崎県県民の森や長崎県民の森オートキャンプ場、琴海赤水公園キャンプ場等があり、キャンプしながら周辺の遊歩道を歩くのもいい。夏なら、ゆっくり川辺で過ごしたい、そう思える素敵な渓谷だ。機会があればぜひもう一度行ってみたい。
長崎市に入る辺りからの九州自然歩道の登山道は荒れていることが多かった。色見ダム脇の登山道を上がり、岩屋山に繋がる登山道も、蜘蛛の巣だらけで荒れた道だった。しかし、途中から一気に登山道がひらけていき、登山道が歩きやすくなった。途端に登山者の姿がちらほらと増えてきたのだった。先に進むと、良く作られた休憩所もあり、岩屋山が地域の方に愛されていることがよくわかる道のりだった。
九州自然歩道は、岩屋山山頂の手前から分岐するのだが、あまりにも分かりにくく、僕は見落としてしまって山頂まで行ってしまった。山頂には多くの登山者がいて、岩屋山に毎日登っているという方に、分岐する場所まで案内していただいたのだったが、九州自然歩道のルートは、あまり利用されていない様子で、徐々に元の荒れた道に戻っていくのであった。九州自然歩道のルートは、整備されている主要登山道から外れている場合が多く、時には道が消失していることもあった。
「ゼロデイ」で訪れた平和公園、雲仙岳のある島原半島
九州自然歩道のルートは、大きな都市を通過することが少ないのだが、長崎県では、唯一、県庁所在地である長崎市内を通過している。しかも、ルートは平和公園を通過している。今回、九州自然歩道を歩く旅の中で、平和公園を訪れることは、僕にとって大きな目的のひとつだったので、あらかじめ、「ゼロデイ(=歩かない日、休養する日)」を2日取ることにしていた。
本当なら、ほかも観光しようと思っていたのだが、平和公園やその周辺をゆっくり歩いて過ごすだけでも十分満足の行く滞在になった。今度は、トレイルではなく、ゆっくりと長崎を巡ってみたいと思った。
ゼロデイを2日取っている間に、ウェア類を協力いただいているコロンビアに、紛失したハットと速乾性の高いハーフパンツと、売り切れになっていたコロナウイルス対策用のマスクを旅先に送ってもらった。
長崎市内からは、山間部を通り、千々石海岸まで進む。東シナ海のきれいな海に目を奪われそうになるのだが、その美しさを楽しむ間もなく、九州自然歩道のルートは、砂浜から一気に雲仙・普賢岳・新山をループするように登っている。
実は、このルートを歩くまで、「雲仙普賢岳」という山があると思っていたのだが、実際に歩いてみると、地図には普賢岳、新山、妙見岳、国見岳などのピークの名前が記されていた。またその周辺にも多くのピークがあり、20もの山の総称が「雲仙岳」となるのだ。
これまでニュースで聞いていた「雲仙・普賢岳の噴火」というフレーズが残っていて、「雲仙普賢岳」という山があるのだと思っていた。たいへんな勘違いだった。九州自然歩道のルートは、妙見岳山頂まで来たところで、左手に普賢岳と新山を見ながら、ロープウエイ駅方向へ進んでいく。目の前に有名な山頂があれど、山頂を踏まないことのが、九州自然歩道のルートではよくあることだった。
まだ明るいこともあり、雲仙温泉を越えたのだったが、思っていたよりも道が厳しく、ようやくビバークできそうな場所に着くころには、ほぼ闇に包まれていたのだった。ほとんど何も考えずに休憩もせず歩いていたから、もしかしたら、「ハイカーズ・ハイ」になっていたのかもしれない。僕は、たった一日で千々石海岸から妙見岳まで一気に登り、おそらく40km以上もの距離を歩いていたのだった。
眠るまで、さほど疲れは無かったが、翌朝目覚めると、とてつもなく体が重かった。長丁場なので、これからは体に影響のあるような歩き方は絶対にしないよう、強制的に自分にブレーキをかけていこうと思った。九州自然歩道のルートは雲仙天草国立公園を越えると、山間部の集落を通り3時間ほどで口之津港に着く。
口之津港からフェリーで渡ると、九州自然歩道・熊本県ルートは鬼池港から始まる。
次回は、2020年夏に洪水被害の大きかった熊本県のトレイルの様子です。お楽しみに
九州自然歩道、長崎県のおすすめと情報
- ごん窯(林田耕三さん)
長崎県西海市大瀬戸町雪浦河通郷吉田355
電話 0959-22-9174
- 佐世保ライダースハウス/民宿やまべ
http://saikaibashi-yado.sakura.ne.jp/rh.html
- 雲仙天草国立公園
https://www.env.go.jp/park/unzen/
プロフィール
齋藤正史(さいとうまさふみ)
1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。
齋藤正史 九州自然歩道 2100kmを歩く
ロングトレイルハイカーの齋藤正史さんが、2,100kmにおよぶ九州自然歩道を2か月半かけて歩いたレポート。本場アメリカのロングトレイルにも匹敵する道のりの全貌とは。