雪国の子はスキーを履いて生まれてくる|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第14回は、飯山ではごく身近なクロスカントリースキーについて。

文・写真=星野秀樹

 

 

土地柄、スキーが盛んだ。
親戚筋にオリンピアンがいる知り合いとか、娘の同級生の親父さんが全日本のコーチだとか、
小学校の先生が国体選手だとか、まあとにかく、なんかすごい。

特に身近なのがクロスカントリー。
それも、ウロコのついたアウトドアなやつじゃなくて、競技場でやるガチ、アスリートなやつ。
冬になると小学校の校庭にコースが作られ(スキー場払い下げの圧雪車でコースを作る先生もすごい!)、朝からみんながグルグル滑っている。板を履いたまま鬼ごっこをしたり、ちょっとした丘からジャンプをしたり、よくもまあ、エッジもないあんなに細い板で自由自在に、と感心する。
学校にはワクシングができる「スキー室」なるものがあり、校舎の外壁に沿ってずらりと子供たちの板が立てかけられている。
南極点に初到達したノルウェーの探検家・アムンセンの本に「自分たちはスキーを履いて生まれてきた民族」なんて書いてあったけれど、飯山の子供達もそれに負けず劣らず、という感じ。
冬の体育の授業ももちろんクロカンだし、高学年になると全員参加のスキー大会まである。
小学5年生で当地に引っ越してきた我が次男が、僅かひと月足らずの練習期間で大会本番を迎え、それでも見事3kmのコースを完走した時はほんとに感動して涙が出たものだった。

ウチの近隣では、かつては地区をあげてのクロカン大会もあったと聞くし、市のクロスカントリー競技場は一般開放もされていて、道具のレンタルも含めて無料で利用できる。冬の田畑や自然の起伏を利用して出来るので、雪さえあれば、ほんとに気軽に出来るウインタースポーツという印象だ。

 

 

そんな土地で、娘が3年生から小学校のクロスカントリークラブに入った。
週二回のナイター練習と、ほぼ毎週のように大会を転戦する冬の日々。
大会に行ってまず驚いたのは、各チームの「会場作り」だ。何しろスキー場の末端や運動競技場が会場となるクロカン大会では、子供達が待機できる場所がない。そこで大型のテントを張り、中で石油ストーブを焚き、ワックス用アイロンの電源確保のために発電機を回す。ベンチにテーブル、ヤカン、板整備の道具、水に灯油にガソリンに、スコップ、かけや…。あ、コーチの弁当も!文字通り「野営」である。毎週大量の機材を軽トラやワゴン車に積んで各会場を転戦する様は、ワールドワイドなF1チームか、はたまたサーカス一座か、旅芸人か。親たちの連帯感も高まり、当然大会後には“えっぺ”飲らずにはいられなくなる、のだ。

*えっぺ=飯山地方の言葉で「一杯」の意。

しかし子供の大会とはいえ、将来のニッポンを背負う(かもしれない)アスリートたちの滑りは凄い。登り、滑り下り、アップダウンの激しい雪面を一気に駆け抜けていく。始めた頃はヨチヨチと滑っていた娘もいつの間にかいっぱしのアスリートのようになってきて、正直見ていてカッコいい。
自分も子供たちに混じって練習に参加させてもらうようになったものの、いつまでもライバルは低学年の子供らで、コーチの失笑がつらい。練習量が違うから当然としても、やはり子供の上達の速さには驚かされる。

「スキーを履いて生まれてきた」雪国の子供たちが、雪の恵みを頂いてスキーに汗する冬の日々。
冬から春へ移り変わる雪国で、消えゆく雪を惜しむように、アスリートの卵たちが今日も雪の山野を駆け巡っている。

 

 

●次回は4月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

ずくなし暮らし 北信州の山辺から

日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から山を行き来する日々の暮らしを綴る。

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