九州自然歩道2,100kmをスルーハイク! 第7回 迂回が多かった宮崎県ではたくさんの「トレイルマジック」を受けた

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ロングトレイルハイカー齋藤正史さんの九州自然歩道の旅は、鹿児島県から高千穂峰を越えて、6県目の宮崎県に入った。九州自然歩道の道は通行止めが多く、迂回を余儀なくされたが、その過程でたくさんの人と出会うことができたという。

 

齋藤正史(さいとうまさふみ)

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年生まれ。山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。

アメリカにあるロングトレイル、アパラチアン・トレイル(2005年)、パシフィック・クレスト・トレイル(2012年)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(2013年)を踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成。日本国内でロングトレイル文化の普及に務め、地元山形ではロングトレイル整備の活動も行う。

 

鹿児島県から宮崎県へ。宮崎県のルートは、霧島連山・高千穂峰の山頂手前、御鉢を超えたところからスタートした。高千穂峰を下り、内陸部の山々のすそ野を通る形で、小林市から北上する。西都市付近から山沿いにルートを変え、美里町を通り、延岡市をかすめながら、高千穂町へと続いていく道のりとなる。

出典:NATS自然大好きクラブ(宮崎県図)


高千穂峰の山頂までは、登山者が多く、道はしっかり整備されていた。しかし、山頂を越えて下り始めると、次第に道が荒れた始めた。

下山後のルートは、微かに踏みあとがあるかという藪に続いていた。道路を迂回しようと思ったのだったが、随分遠回りしなくてはならず、そのまま進むことにした。林と竹林に囲まれた道は、倒木に行く手を遮られ、林の中を迂回しつつ進むしかなかった。すでに踏み跡は全くなくなっていて、地形がかろうじて道であることを示すだけだった。

「あっ」と声が出た瞬間、崖に落ちていた。夕方で、疲れていて、完全に集中力が無くなっていたのかもしれない。幸いなことに弦が足に巻き付き、2mほど落ちたところで、かろうじて止まったのだった。

霞神社

霞神社自体が九州自然歩道のルートになっている


実は霧島で西都市までのルートをチェックしていたのだが、ルートの詳しい情報がほとんど見つからなかった。

そのなかでようやく見つけたのが、10年ほど前の、宮崎の九州自然歩道を歩いた記録だった。記録を残した方は「セクションハイク(トレイルを分割して歩く方法)」で歩いていたのだが、その記録によると、すでに10年前の時点で、荒れている区間が多かったようだ。

僕はできるだけ自然歩道のルートを歩けるよう、通行止めや、道が無くなっている箇所を迂回しつつ、西都市までのルートを考えていた。登山道なら通れるかと期待していたが、踏み跡も不明瞭で滑落してしまったのだ。予測の甘さを痛感した。

宮崎では「トレイルマジック」に恵まれた

 

百名山を登っているという松元さんとの出会い

宮崎県を歩いていると、鹿児島を歩いている時よりも、多くの方に声を掛けていただいた。親切に道を教えてくれる農家の方、安い日帰り温泉を教えてくれる地元のおばあさん。ただ、残念だったのは、話を聞いたかたの多くが、九州自然歩道は土砂崩れがそのままだから歩けないと思うよ、と言っていたことだった。

僕は、綾町に入り、ビバークした。町に近かったこともあって、明け方には準備し、うっすら暗い中、迂回路を歩き始めた。朝の散歩をしている何人かの方と立ち話をしつつ、西都市で泊まることを決めていた僕は、スマホの地図で現在地を確認しながら歩いていた。すると、道路の反対側の家から、一人の男性が出てきて、声をかけてくれた。

九州自然歩道のマーク、カタツムリ

九州自然歩道のマーク、カタツムリ


この方は、仕事をリタイヤされ、百名山を制覇すべく日本各地へ出かけていて、つい先日、遠出から戻ってきたばかりという松元さん。僕のことを、最初は怪しい人かと思ったそうだったが、身に付けている物がしっかりとした装備とわかると、なぜここを歩いているかが気になり、声を掛けてくださったのだ。

立ち話をしているうちに、お嬢さんが出勤され、奥さまも出勤されていった。薄汚れた大荷物を背負った僕が早朝から玄関先にいるなんて、さぞかし不思議な光景だったと思う。

 

松元さんと一緒に歩き、次の出会いに導かれる

先日の滑落の影響は足にきていて、打撲したと思われる箇所の痛みが日に日に増していった。しかし、足よりもさらに悪かったのが体調だった。何が原因か分からなかったが、下痢が治まらず、綾町に入るころから急激に悪化したのだった。西都市では、九州自然歩道ルート近くの宿に泊まろうと考えていたのだが、周辺に薬局もスーパーも無い。僕は体調不良を考慮し、西都市中心部に宿泊することにした。

予約を入れた旅館まで歩き、チェックインして部屋に入ると、そのまま倒れこむように眠りについた。

宿の方も僕の体調を気遣って下さり、お風呂を早めに入れてくれたり、体調の心配をしてくれたりした。体調が回復せず、西都市で2日間の「ゼロデイ(歩かない日)」を過ごした。ほとんどの時間を部屋で寝て過し、外に出たのは食料を買う時だけだった。

2日間の休息で、ある程度体調が回復し、次の町へと歩き始めると、松元さんから連絡が入った。九州自然歩道を一緒に歩かないか、というのだ。西都市を出発した翌日、松元さんと合流した。

話しながら歩いていると、公民館らしき建物が見えてきた。大勢の方が何か作業しているのが見え、松元さんが手を振って話しかけると、手招きされて、ご飯をご馳走になることになった。「話しかけてみるものしょ?」と言う松元さんの姿は、「ロングハイカー」そのものだった。

美味しい手作り弁当を作ってくれた美郷町のみなさんと松元さん(中央)

美味しい手作り弁当を作ってくれた美郷町のみなさんと松元さん(中央)


この日は、公民館で月に何回か行われる、町役場主催の減塩料理教室の日だったそうだ。新型コロナウイルスの関係もあり、栄養指導の調理が終わったら、お弁当箱に入れて持ち帰ることになっていて、ちょうどその最中に、僕と松元さんは通りかかったのだった。

密にならないよう、縁側でお茶をご馳走になりながら、色々と話をしてお弁当ができ上がるのを待っていた。「減塩メニューだから味気ないかもしれないよ」とお弁当が渡されたのだが、減塩メニューとは思えないほどに美味しさだった。こんなご馳走をいただけるとは思ってもみなかった。

いただいたお弁当は、ほとんどの食材が美郷町で採れたもの


いろいろとご馳走してくださった美郷町のみなさんに御礼を言って、また歩き出す。この後、松元さんとは小一時間ほど歩いて、別れることとなった。

「歩くのっていいね!」。そんな言葉と共に、松元さんからも「トレイルマジック」をいただいた。「昼食と夕食を買ってきたのだけど、さっき食べちゃったからね。重くなるね」と言って笑った。僕はありがたくいただくことにした。こうした優しさの詰まった重さを僕は「幸せの重さ」と呼ぶ。これは僕のブログのタイトルでもある。

自宅前で声をかけてもらい、別の町を一緒に歩き、地域の方と触れ合う機会を作ってくれた松元さんには感謝しかなかった。

松元さんからのトレイルマジック

 

日之影町から高千穂峡へ

日之影町から高千穂までの登山道も、スルーハイクで通行ができなそうで、道路を迂回しては自然歩道に合流するという歩き方で進んでいた。途中、道の駅で九州電力の関連会社に勤務する方と話す機会があった。「宮崎の山域はいまだ電気が届かない集落もある」と言っていた。

無人販売所

限界集落と書いてある無人販売所


この方は、九州の山域の復旧工事を中心に出張をされているようで、「特に宮崎は、令和2年7月豪雨の影響が大きい。九州自然歩道も通れない箇所は多いだろうね」といい、中には、重機が入れず、土砂崩れがそのままになっている道もあるという。一方で「宮崎は九州の中でも山は美しいし、魚も良く釣れる。何より、人が温かい」とも教えてくれた。

日之影町の朝

日之影町の朝は美しかった


日之影町からは、渓谷が深くなり、高千穂峡まで続いていた。道路を歩いていてもその美しさが良く分かった。

しかし、通れる確率が一番高いと思っていた、高千穂峡周辺の九州自然歩道も、十数年前の台風の被害以降、整備がされておらず、残念ながら通れなかった。高千穂峡がこれだけの美しい景色なだけに、もっと前後をつなげて歩いてみたかった。

高千穂峡

想像を超える美しさだった高千穂峡

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高千穂町を抜けると、九州最後の県、大分に入っていく。

 

九州自然歩道、宮崎県のおすすめと情報

  • 沼口旅館
    〒881-0012 宮崎県西都市小野崎1丁目103
    TEL 0983-43-0080

プロフィール

齋藤正史(さいとうまさふみ)

1973年、山形県新庄市出身。ロングトレイルハイカー。
2005年に、アパラチアン・トレイル(AT)を踏破。2012年にパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)を踏破。2013年にコンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)踏破し、ロングトレイルの「トリプルクラウン」を達成した。日本国内でロングトレイル文化の普及に努め、地元山形県にロングトレイルを整備するための活動も行なっている。

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