阿蘇の山焼きと奇跡の植生と自然保全。――広大な草原に氷河期の日本を感じでみないか

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九州の熊本県の阿蘇山から、九重連山を通り、大分県の由布岳にかけてのエリアに行ってみたい。そこには島国日本にいるとは思えないような広大な草原が横たわり、牛がのんびり草を食んでいる。空がとてつもなく大きい草原に立っていると、さっと風が吹いてくる。草が風に揺れる、青草の香りがする。悠久の時を感じる。

阿蘇、九重、由布のエリアは毎年早春になると山焼きが行われ、山は黒い煤で覆われる。しかし、この火は大地の表面を焼くだけで、地中の根や種子で植物は生きている。動物も逃げたり、穴に潜ったりして生き残る。この後、山焼き後の焼け残ったススキの根本にはキスミレが群落になって斜面を黄色に染める。

山焼き後に咲く阿蘇のキスミレ


夏、緑になった草原には、背が高いススキが伸びて、その間からキキョウに似たヤツシロソウが咲く。秋の始まりには、ピンポン球くらいの大きさのキク科のヒゴタイの花が風にゆらゆらしているだろう。

阿蘇、九重、由布の広大な草原には、日本ではここでしか見ることができない珍しい植物がたくさん生えている、私のような植物好きには聖地のような場所である。これらの多くは、日本以外ではユーラシア大陸の草原で見られる植物である。広大で大陸的な環境には、大陸との共通種が生えているのは当然であろう。

ヒゴタイは大陸に多く咲く花だ


しかし、これらの珍しい植物や自然風景は本来の自然の姿ではない。実は、以前にも書いたが、阿蘇、九重、由布エリアでは、山焼きは毎年、古くから草原を維持するために行われており、山焼きをしないと数年で草原はほとんどなくなり、深い森に変わってしまう。阿蘇、九重、由布の自然は、毎年の山焼きという人の手によってなんとかバランスを取っている、危うい自然なのだ。

夏の阿蘇に咲くヤツシロソウ


この草原が広がる生態系は、氷河期の日本の状況と似ている。そして、現代であればユーラシア大陸の草原、例えばロシアのウラジオストク付近と似ているのだ。阿蘇、九重、由布の草原の植物が、大陸と共通の植物があるのは当然だといえよう。氷河期の日本の自然植生が、山焼きという人工的な活動によりかろうじて九州の一部にのみ生き残っている、奇跡の植生なのである。

この微妙なバランスは、まことに崩れやすい。最近、残念ながら人手不足により、山焼きが難しい状況にあるようだ。

すぐにというわけではないが、このままでは山焼きが、ある程度の規模までしか行われなくなる可能性がある。大規模な草原がなくなると、草原の多様性が一気に減少し、多くの野生植物が絶滅してしまう。これは、なんとか手を打たないといけない。

草原に生えるハルリンドウ


まずは、このような状態であることを知ること、そして、できることからすることが大事だ。阿蘇の特産の赤牛(赤身で肉の味が濃厚)を買って食べることもいいだろう。

このコロナ禍が落ち着いたら、阿蘇、九重、由布の草原に行ってみよう。春のキスミレのころ、初夏のミヤマキリシマが満開の頃、夏のむせるような草原、秋の草紅葉。いつでもいい。草原の風に身を任せ、氷河期の日本を感じでみないか。

 

プロフィール

髙橋 修

自然・植物写真家。子どものころに『アーサーランサム全集(ツバメ号とアマゾン号など)』(岩波書店)を読んで自然観察に興味を持つ。中学入学のお祝いにニコンの双眼鏡を買ってもらい、野鳥観察にのめりこむ。大学卒業後は山岳専門旅行会社、海専門旅行会社を経て、フリーカメラマンとして活動。山岳写真から、植物写真に目覚め、植物写真家の木原浩氏に師事。植物だけでなく、世界史・文化・お土産・おいしいものまで幅広い知識を持つ。

⇒髙橋修さんのブログ『サラノキの森』

髙橋 修の「山に生きる花・植物たち」

山には美しい花が咲き、珍しい植物がたくさん生息しています。植物写真家の髙橋修さんが、気になった山の植物たちを、楽しいエピソードと共に紹介していきます。

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