シャバシャバのカレーに、流星群。高校生だったあの頃の、初めての北アルプス・蝶ヶ岳の思い出

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

夏山シーズンには黒部源流の薬師沢小屋で働く、山と旅のイラストレーターやまとけいこさん。『黒部源流山小屋暮らし』に続く画文集『蝸牛登山画帖』(山と溪谷社)より、一部抜粋してお届けします。高校生の学校登山で行った初めての北アルプス、蝶ヶ岳の思い出。

 

流星群と御来光(「第一章 始まりの山」より)

 先生、まだ歩くの? 肩痛い。今なら上高地から徳沢までの二時間くらいの散策路、なんとも思わないが、荷物を持って長時間歩いたことのない生徒たちは、次第に不平を漏らすようになった。しかもバックパックを背負っているのは先生とひと握りの生徒だけ。あとは肩から大きなボストンバッグを下げて、エッチラオッチラ歩いているのだ。そりゃぶつくさ言いたくもなる。

 私の北アルプスデビューは三十年前、花も恥じらう高校一年生。学校登山で登った蝶ヶ岳だった。それ以前にもハイキングや日帰り登山くらいはしたことがあったが、二千メートルを超える山に登るのはこのときが初めてだった。もちろん山小屋に泊まるのも初めて。

 その日は徳沢ロッジに泊まり、登山は翌日の早朝から。ボストンバッグは宿に置かせてもらい、ペラペラのナップサックに手持ち懐中電灯、自転車用雨ガッパ、お弁当を詰め込む。若いし知識もなかったから、ジャージとスニーカーでもへっちゃらだった。

 蝶ヶ岳へと続く長塀尾根は、ひたすらだらだらと登る樹林帯の山道だ。つらかったせいか、私の記憶はほとんど抜けて落ちている。途中何度か展望が開け、その後ハイマツ帯に入り、思ったよりもへこたれずに蝶ヶ岳ヒュッテにたどり着けたのはよかった。

 蝶ヶ岳の頂上はというと、えっ?て言うくらいに平坦で、私は思わず先生に、ここが頂上なの?と確認したくらいだった。少し物足りなかったが、展望は素晴らしかった。ズドンと存在感のある穂高連峰と、右端の尖った山が槍ヶ岳。むしろあっち側の山に登ってみたかった。

 さて頂上も踏んだことだし、ビール、ビール。と言いたいところだが、未成年なので楽しみは食事くらい。夕食はカレーライスがおかわり自由と聞いていたが、目の前に並んだカレーを見て、私は思わず隣に座っている友人と顔を見合わせた。

 シャバシャバのカレーに、ペラペラと玉ネギが浮いていた。肉はよく見ると一、二枚入っている。ご飯はなんていうか、沸点が低いから仕方のない炊き具合。玉ネギしか入ってないね、とコソコソ言いながら食べた。先生がおかわり自由だからな!と言ったが、数名の男子が立っただけで、あとは皆、静かに茶をすすり目を伏せた。

 当時の山小屋はどこも同じようなものだったのだろう。きっと高校生が五十人、カレーライスおかわり自由でたくさん食べると思って、ちょっと水増ししたんじゃないだろうか。今思い出すと笑えてくる。きっとご飯が大量に余って、蒸し直すのが大変だったはずだ。

 夕食を済ませミーティングを終えると、私は友人と連れ立って外に出た。本で調べたところによると、今時期はペルセウス座流星群が最大になるはずだった。宇宙に近い山の上から、星降る夜空というものを眺めてみたい。

 その晩は月もなく快晴で、星を眺めるには最高のコンディションだった。天の川を挟み、こと座のベガにわし座のアルタイル、はくちょう座のデネブと合わせて夏の大三角形。少ない知識と夜空を照らし合わせては、キャアキャアとはしゃいでいた。私たちは寝るのも惜しく、寒いねー、と膝を抱えながら、いつまでも空を見上げていた。

 星や海を眺めるのが好きだった。あらゆるものを呑み込むくらい、広くて大きな空や海を眺めていると、なんだか遠くに行ってみたい衝動に駆られる。心の奥に漠然と抱えている不安も、たいしたことはない、大丈夫。なんとかなると思えてくる。

 高校生活は当たり前だけど、勉強が中心だった。私は一年生の夏にしてすでに落ちこぼれ組で、特に数学は最初の証明問題からつまずいていた。まず問題を解く以前に、どうして私はこの問題を証明しなければいけないのかが理解できなかった。

 中間テスト、期末テスト、全国模試。すべては大学受験に向かって動いていた。なのに私は先生が進路についての話をしても、なんだかちっとも現実味がわかず、いつもうわの空だった。どうすれば世界中を旅することができるかなぁ。そんな明後日のことばかり考えていた。

 不意に視界の端から端まで入りきらないくらい大きな流れ星が夜空を切り裂いた。うわ! 見た? 見た! やっぱりさ、人生で必要なのって感動だよね。十六歳の私が人生を語り始める。いかに無駄に思われるところに時間を使うかって、大切だと思う。効率だけじゃないと思う。

 なぜ受験勉強をしているのだろう。何を暗記して何を学んでいるんだろう。そんな思いが喋りだしたら止まらなくなった。星がまたひとつ流れた。

 気づけば背後の空が、遠く山並みの彼方から白み始めてきた。濃紺一色の夜から薄桃色へと移りゆく黎明の空のグラデーションは、人の心を凛とさせるものがある。きっと山の上には特別な時間が流れているのだ。このまま御来光まで、とも思ったが、さすがにもう眠気が限界にきていた。

 まあいいか、少し寝なくちゃ。太陽が昇るから寝るというのもなんだかね、と苦笑しつつ、私はもう一度、穂高連峰と槍ヶ岳の稜線を振り返りながらこう誓った。いつかあそこに登ってみよう。そう決めたら急に胸がドキドキしてきた。

 夜明けはもう、すぐそこまで来ている。

 

※本記事は『蝸牛登山画帖』を一部掲載したものです。

 

『蝸牛登山画帖』

6月生まれで、雨の日にあじさいの葉の上をのたりのたりと歩く蝸牛(かたつむり)に親近感をおぼえ、
なんだか自分に似ているという、やまとけいこさん。

薄くて軽い渦巻状の蝸牛の殻は、一人静かにプライベート空間を楽しめる、くつろぎのマイホーム。

家財道具すべてを背負い、心ゆくままに旅にでることのできる山登りと、
コツコツと一人、試行錯誤しながら描きたい絵を描くことは似ている。

蝸牛のように、山と絵の世界を歩き続けてきた著者による、エッセイ&イラスト集。


『蝸牛登山画帖』
著: やまとけいこ
発売日:2021年6月19日
価格:1430円(税込)

amazonで購入


【著者略歴】
やまとけいこ

山と旅のイラストレーター。1974年、愛知県大府市生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。高校生のときにはじめて北アルプスに登り、山に魅了される。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属し、日本の山々を縦走する。同時に渓流釣りにもはまり、沢歩きを始める。卒業後は「鈴蘭山の会」に所属し、沢登りと山スキーを中心とした山行へ。イラストレーターと美術造形の仕事をしながら、29歳から富山の山小屋アルバイトを始める。この頃からアフリカや南米、ネパールなど、絵を描きながら海外一人旅もスタートした。39歳で「東京YCC」に所属し、クライミングを始め、現在に至る。黒部源流の山小屋、薬師沢小屋での暮らしは、トータル14シーズン。2020年、長年通い続けた憧れの富山に移住。剱岳、立山連峰、薬師岳を眺めながら、富山県民として新たな暮らしを始めたところ。イラストレーターとしては、山と溪谷社、Foxfire、PHP研究所、JTBパブリッシング、北日本新聞などで作品を発表。美術造形の仕事としては、国立科学博物館、名古屋市科学館、福井県立恐竜博物館、熊本博物館、東京都水の科学館、東京ディズニーランド、藤子・F・不二雄ミュージアム、ほか多数で制作に携わる。著書に『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)がある。

蝸牛登山画帖

夏山シーズンには黒部源流の薬師沢小屋で働く、山と旅のイラストレーターやまとけいこさん。『黒部源流山小屋暮らし』に続く画文集『蝸牛登山画帖』より、一部抜粋してお届けします。

編集部おすすめ記事