「潜水艦みたいなイワナ」がいる? 滝を登り、タープの下で眠る…沢登りの魅力とは

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山と旅のイラストレーターやまとけいこさんの画文集『蝸牛登山画帖』(山と溪谷社)より、一部抜粋してお届けします。今回は、山により深く入り込む沢登りの魅力について。

 

鈴蘭と沢登り(「第四章 源流に大イワナを求めて」より)

「源流に行くと潜水艦みたいなイワナがいるんだ」。釣りの師匠の言葉だった。美大に入ってワンゲルで登山を始めると同時に、OBから渓流釣りも教わった。登山だけではなく渓流釣りにもはまった私は、いつか源流に行ってみたいものだと思うようになった。

 卒業と同時に私は、沢登りと山スキーの山行を中心とした社会人山岳会に入会した。会の名称は可愛らしく「鈴蘭山の会」だったが、会員は一癖も二癖もある屈強なおじさま、おばさまのそろう山岳会だった。

 沢登りとは、谷筋に沿って山に登る登山の方法で、整備された登山道が用意されているわけではない。基本は沢の流れのすぐ横や水の中をジャブジャブと歩く。滝が出てきたらそのまま登るか、登れない滝だったら脇の斜面を登って越える。源頭に近づくと沢の水も枯れるので、最後は繁茂する藪をかき分けながら進み、稜線もしくは山頂に至る。

 沢登りを始めるにあたって、私は鈴蘭の先輩たちからロープの扱い方を教わった。沢で滝を登ったりするような危ない個所では、万が一落ちたときに致命傷にならないよう、ロープを体につないで登ることになる。その練習だ。

 週末になると岩登りができる岩場に連れていってもらい、ロープを使って岩を登り降りする練習をした。私は昔から親にも「バカと煙は高いところが好き」とからかわれるくらい、高いところが好きだった。普通ではあり得ない高さの崖の上で、ロープ一本に支えられて小さな足場に立ち、目の前に広がる風景や、足元に見える豆粒のような人間を見るのは楽しかった。

 私はすっかり沢登りにのめり込んだ。もともと泳ぐのは好きで、水も大好きだった。山の中の水があるところには、生命力があふれている。稜線の厳しい環境のなかで健気に生きる動物や植物と違い、人間などいとも簡単に呑み込んでしまうくらいの生命力だ。

 その生命力から受ける恩恵もある。山菜やキノコなど、子どもの頃から街中で暮らすことの多かった私にとって、栽培をしているわけでもないのに、地面から食べ物が生えているということは、まさに驚きだった。採れば生命をいただいているなと思うし、食べれば生命は生命によって生かされているのだなと実感する。

 動物もいろいろ遭遇するが、ツキノワグマには何度か出合った。たいていは向こうが驚いて逃げていってしまうのだが、こちらに興味津々で、しばらく遠巻きについて来たクマもいた。いなくなったと思ったら、木の上に登ってこちらを観察したりして、クマにも私みたいに好奇心旺盛な子がいるのだな、と可笑しくなった。

 そして潜水艦みたいなイワナ。そもそも潜水艦みたい、ってどのくらいの大きさなのか、確認するのを忘れていた。尺上イワナと呼ばれる三〇センチを超える魚体はたまに釣れることがあるが、四〇センチも五〇センチも超えるようなイワナには、いまだお目にかかれたことがない。昔は大イワナもたくさんいたらしいが、ほとんどが釣られてしまったのだろう。

 昔の雑誌を読むとイワナがウジャウジャいたはずの渓流も、今ではすっかり魚の数が減ってしまった。どんなに生命力あふれる自然でも、人間が入ることによって受けるダメージはあまりにも大きい。謙虚にならねば。自然からはたくさんのことを教えられる。

 沢に泊まるのも、沢登りの楽しみのひとつだ。テントは持ち歩かず、代わりに雨よけのタープ、ナイロン製の布やブルーシートを張って、その下で寝る。沢登りのシーズンは初夏から秋にかけてがメインで、稜線のように風が吹き荒れたりすることもないので、これで事足りる。

 煮炊きも非常用にはガスとコンロを持っていくが、たいていは沢周辺の薪を拾い集めて、河原で焚き火をして調理する。ご飯も焚き火を眺めながら食べるので、自分のなかの原始本能のような部分が呼び起こされ、不思議な安心感に包まれる。

 沢に入り谷の地形を見るようになると、山全体が以前よりも立体的に感じられるようになる。私は今まで山の地形を尾根筋や稜線で眺めていたのだと気づいた。山は山と谷からできている。そんな当たり前のことでも、実感してみると新たな発見をしたように感じる。

 沢を歩き、滝を登り、沢の水を飲み、山の恵みを分けていただき、炎を眺め、藪をかき分け、稜線に至る。沢登りは山の生活と登山が組み合わさった遊びだ。沢登りは私に、様々な発見と山の世界を開いてくれた。

 

※本記事は『蝸牛登山画帖』を一部掲載したものです。

 

『蝸牛登山画帖』

6月生まれで、雨の日にあじさいの葉の上をのたりのたりと歩く蝸牛(かたつむり)に親近感をおぼえ、
なんだか自分に似ているという、やまとけいこさん。

薄くて軽い渦巻状の蝸牛の殻は、一人静かにプライベート空間を楽しめる、くつろぎのマイホーム。

家財道具すべてを背負い、心ゆくままに旅にでることのできる山登りと、
コツコツと一人、試行錯誤しながら描きたい絵を描くことは似ている。

蝸牛のように、山と絵の世界を歩き続けてきた著者による、エッセイ&イラスト集。


『蝸牛登山画帖』
著: やまとけいこ
発売日:2021年6月19日
価格:1430円(税込)

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【著者略歴】
やまとけいこ

山と旅のイラストレーター。1974年、愛知県大府市生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。高校生のときにはじめて北アルプスに登り、山に魅了される。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属し、日本の山々を縦走する。同時に渓流釣りにもはまり、沢歩きを始める。卒業後は「鈴蘭山の会」に所属し、沢登りと山スキーを中心とした山行へ。イラストレーターと美術造形の仕事をしながら、29歳から富山の山小屋アルバイトを始める。この頃からアフリカや南米、ネパールなど、絵を描きながら海外一人旅もスタートした。39歳で「東京YCC」に所属し、クライミングを始め、現在に至る。黒部源流の山小屋、薬師沢小屋での暮らしは、トータル14シーズン。2020年、長年通い続けた憧れの富山に移住。剱岳、立山連峰、薬師岳を眺めながら、富山県民として新たな暮らしを始めたところ。イラストレーターとしては、山と溪谷社、Foxfire、PHP研究所、JTBパブリッシング、北日本新聞などで作品を発表。美術造形の仕事としては、国立科学博物館、名古屋市科学館、福井県立恐竜博物館、熊本博物館、東京都水の科学館、東京ディズニーランド、藤子・F・不二雄ミュージアム、ほか多数で制作に携わる。著書に『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)がある。

蝸牛登山画帖

夏山シーズンには黒部源流の薬師沢小屋で働く、山と旅のイラストレーターやまとけいこさん。『黒部源流山小屋暮らし』に続く画文集『蝸牛登山画帖』より、一部抜粋してお届けします。

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