岩の割れ目は岩のエロス…クラッククライミングに挑戦し、岩に向き合う

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山と旅のイラストレーターやまとけいこさんの画文集『蝸牛登山画帖』(山と溪谷社)より、一部抜粋してお届けします。今回は、クラッククライミングに初挑戦した時の思い出と、クライマーの情熱について。

 

岩の割れ目に挟まれて(「第五章 クライマーに憧れて」より)

 もっとクライミングの世界に踏み込んでみたい。私は人工壁と呼ばれる室内クライミングジムや外の岩場で、ポツポツと壁を登るようになった。と同時に、クライミングを中心に活動している山岳会も訪ねて歩いた。山岳会にはそれぞれ方向性や方針があるので、自分の目的と肌に合った会を選ぶことが大切だ。

「クラックやらない?」。たまたま参加させてもらった山の集まりで誘われた。クラックとはクラッククライミングのことで、岩に走る割れ目を利用して登るクライミングのことをいう。岩を手でつかんだり足を乗せたりする代わりに、岩の隙間に指や手足をねじ込んで、岩の割れ目を伝うように登っていくのだ。

 登るためには落ちたときに怪我をしないように、岩の隙間に支点を作りながら登っていく。支点は岩を傷めないカムと呼ばれる道具を使うことがほとんどだ。カムにはサイズがいくつもあり、岩の隙間に合わせて最適なものを選び、セットしながら登る。

 クラッククライミングには興味があったが、私はカムをひとつも持っていなかった。そう伝えると、「まだ初めてなんだからいいよ! カムは少しずつそろえていけば」と言って快く迎えてくれたので、まずはひとつクラッククライミングとはどんなものかと、挑戦してみることにした。

 年末年始の長期休みを使い、私たちは高知県足摺宇和海国立公園にある大堂海岸に向かった。大堂海岸は五〇~一〇〇メートルもの高さになる断崖絶壁が続く、花崗岩でできた大きな岩場だ。陽が当たるとポカポカと暖かいので、冬のクライミングには最適だ。

 皆は海岸を歩きながら登るルートを物色している。私は波が岩の間に打ち寄せ砕ける様子を眺めながら、のんびりと幸せな気分に浸っていた。話の流れでこんな遠いところまで来てしまったけれど、やっぱり自然はいいな。

「やまトン!」。どうやら登るルートが決まったらしい。そして私はここでは「やまトン」と呼ばれるのか。皆の真似をして、手指にぐるぐるとテーピングテープを巻きつける。手を岩の隙間に差し込むので、手が血だらけになるのだ。その予防。

 手足を岩の隙間に差し込んでひねり、岩との摩擦で体を保持する方法をジャミングという。登る前にいくつかジャミングの方法を教えてもらった。指、手のひら、握りこぶし、足をそれぞれ岩に差し入れ、隙間の幅に合わせて中で形を変える。これは痛そう。

 実際に登り始めて驚いた。慣れていないからなのか、体重が重いせいなのか、手足、特に足がウソでしょと言いたくなるくらい痛い。岩の隙間に足を差し込み、ひねる。体重をかける。痛っ。え、みんなこんな思いをして登っているの?

 しかも手はジャミングしているつもりなのに、なかなか止まってくれず、力をかけるとスポンスポンと岩の隙間から抜けてしまう。一番上からぶら下がる形で登るトップロープでなければ、何度落ちていたことか。難しい。今まで登っていた岩登りとはまるで違う運動をしているみたいだ。

 一直線に空へとのびる岩の割れ目がうらめしかった。何度もロープにテンションをかけながら、それでもようやく登りきった。上から見下ろすと、下で仲間がよくやったと笑っている。目の前にはコバルトブルーの太平洋と青い空。気持ちいいけど痛い!

 計四日間、体験クラッククライミングのつもりで行ったにしては、盛りだくさんの内容だった。感想を述べれば岩を登る気持ちよさよりも、手足の痛さと登れない情けなさのほうが大きかった。どうやったら登れるようになるのかも、まるでわからなかった。

 東京に帰った私は、血迷った気分のまま、山道具店で高価なカムをフルセット買いそろえた。わからないならとりあえずやってみる、というのが私の行動パターンだ。やらなきゃ登れるようにもならないだろう。

 その後もクラッククライミングに誘ってくれた仲間に連れられて、私は週末になると岩の割れ目に挟まれるため、近郊の岩場へと登りに出かけた。こんなことでもなければ、岩の隙間に手を差し入れるなんてことはなかっただろう。割れ目はひんやりと冷たく湿っていて、なんだか地球の内部を手探りしているような気分になる。

 自然のなかにいると、森の樹木や岩清水、様々なところに生命の根源としてのエロティシズムを感じることがある。岩の割れ目はいわば岩のエロスだ。手足の痛みに耐えながら登るクラッククライマーには、ある種の変態性が発生しているのかもしれない。

 単に山登りというと複合的な要素があるが、クライミングは岩を登ること自体に目的が特化されているから、シンプルに岩と向き合うことになる。山全体への交歓よりも濃厚な交歓が用意されているのかもしれない。

 なんせ私の知っているクライマーたちは、情熱家が多い。岩に対する愛も一点集中型で深いんじゃないかな、きっと。

 

※本記事は『蝸牛登山画帖』を一部掲載したものです。

 

『蝸牛登山画帖』

6月生まれで、雨の日にあじさいの葉の上をのたりのたりと歩く蝸牛(かたつむり)に親近感をおぼえ、
なんだか自分に似ているという、やまとけいこさん。

薄くて軽い渦巻状の蝸牛の殻は、一人静かにプライベート空間を楽しめる、くつろぎのマイホーム。

家財道具すべてを背負い、心ゆくままに旅にでることのできる山登りと、
コツコツと一人、試行錯誤しながら描きたい絵を描くことは似ている。

蝸牛のように、山と絵の世界を歩き続けてきた著者による、エッセイ&イラスト集。


『蝸牛登山画帖』
著: やまとけいこ
発売日:2021年6月19日
価格:1430円(税込)

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【著者略歴】
やまとけいこ

山と旅のイラストレーター。1974年、愛知県大府市生まれ。武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。高校生のときにはじめて北アルプスに登り、山に魅了される。大学時代はワンダーフォーゲル部に所属し、日本の山々を縦走する。同時に渓流釣りにもはまり、沢歩きを始める。卒業後は「鈴蘭山の会」に所属し、沢登りと山スキーを中心とした山行へ。イラストレーターと美術造形の仕事をしながら、29歳から富山の山小屋アルバイトを始める。この頃からアフリカや南米、ネパールなど、絵を描きながら海外一人旅もスタートした。39歳で「東京YCC」に所属し、クライミングを始め、現在に至る。黒部源流の山小屋、薬師沢小屋での暮らしは、トータル14シーズン。2020年、長年通い続けた憧れの富山に移住。剱岳、立山連峰、薬師岳を眺めながら、富山県民として新たな暮らしを始めたところ。イラストレーターとしては、山と溪谷社、Foxfire、PHP研究所、JTBパブリッシング、北日本新聞などで作品を発表。美術造形の仕事としては、国立科学博物館、名古屋市科学館、福井県立恐竜博物館、熊本博物館、東京都水の科学館、東京ディズニーランド、藤子・F・不二雄ミュージアム、ほか多数で制作に携わる。著書に『黒部源流山小屋暮らし』(山と溪谷社)がある。

蝸牛登山画帖

夏山シーズンには黒部源流の薬師沢小屋で働く、山と旅のイラストレーターやまとけいこさん。『黒部源流山小屋暮らし』に続く画文集『蝸牛登山画帖』より、一部抜粋してお届けします。

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