利尻山に登って3年7ヶ月の「日本3百名山ひと筆書き」が完結! 山から川を下って海へ。海を渡って、島の山に登る…最後の3座を振り返る

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十勝岳・大雪山系の8泊9日の縦走を終え、三百名山の旅をあと3座とした田中陽希さん。山から川を下って海へ。海を渡って、島の山に登る…。最後の3座の流れから、利尻島でのゴールまで、旅の最終章を追う。

POINT
  • 残り3座にして最長距離! 日帰り60kmの行程で、初めて登ったニセイカウシュッペ山
  • ドラマチックな展開で奇跡の晴れ! 300座目の天塩岳へ
  • 天塩岳から流れる天塩川を海まで川下り。ゴールの利尻山が見えた!
  • シーカヤックで利尻島へ! 最後の1座・利尻山は…
  • エピローグ:「絶対快晴の日に登る」と決めていたが…三百名山の旅を終えて

 

残り3座にして最長距離! 日帰り60kmの行程で、初めて登ったニセイカウシュッペ山

7月4日に十勝岳・大雪山系の縦走が終わりましたが、翌朝は縦走の緊張感が残っていて、朝早く目覚めました。予報通りの雨で、層雲峡で数日間停滞すると決めました。4日停滞し、7月9日には次の宿まで移動しました。21kmの移動なので、歩いても4時間で着くくらいの距離でしたが、走っていきました。

層雲峡から次の町へ。天候が優れず停滞が続いた


299座目のニセイカウシュッペ山は、一日60kmの行程でした。百名山、二百名山のときは、山に登って下って、走って次の町へと、一日50km、60kmということは何度もあったのですが、3年以上、三百名山の旅をしてきて、一日の山行でこれほど長いことはなかったのです。あと3座にして最長距離…。停滞している間も、ランニングをして、最長距離の山に備えました。結局、10日間、天気を待つことになりました。

ランニング中、「YOKI GO」の横断幕を持った
応援の方に再会


7月12日には、人気のない道で、
200mくらいの距離で羆に遭遇/
次の山に向けてランニングで
コンディションキープ


7月15日、未明から起きて準備を始め、ゆっくり食事をして、4時20分出発でニセイカウシュッペ山に向かいました。3年7ヶ月の三百名山の旅の中では初めての一日60kmの行程で、緊張して熟睡できませんでした。これまで数日間、雨で姿が見えなかったニセイカウシュッペ山が、夜明け前の空にくっきりと見えました。

林道ではヒグマの遭遇リスクが高い。
TORQUE 5Gの警報アプリを使いながら進んだ


遠くに見えた山でしたが、林道を進んで2時間で登山口に到着しました。登山口には車が数台停まっていたので、先行する登山者がいるとわかって、ホッとしました。

稜線に出るとこの景色。
大雪山系の山々を見ながら登って行った


停滞中、ニセイカウシュッペ山の登山記録を見ていたら、ガスっていて展望がない状況でした。残り3座のうち、初めて登るのはここだけでしたので、着実に晴れの日に登りたかったですし、しっかり山と向き合いたいと思っていました。

9時過ぎに、ニセイカウシュッペ山の山頂に立ちました。山頂からは、登ってきた三日月のような尾根道と、その奥に東大雪から表大雪まで、大雪山系の山並みがずらりと見渡すことができました。

この景色を見るために、何日も待った。
十分すぎる!


9時半には雲が上がってきてしまいましたが、十分に山を見渡すことができ、10時半、30kmの復路に向かって下山を開始しました。大雪山系の縦走から10日が経って、チングルマは花から穂に変わっていました。

この日はとても暑く、17時半に宿に帰ったときも33℃あったほどでした。途中の水場がない山なので、6リットルを持っていき、林道に水をデポして往復しました。あまりの暑さに、林道の終盤で川に飛び込み体を冷やしました。

 

ドラマチックな展開で奇跡の晴れ! 300座目の天塩岳へ

一日、移動を挟んで、7月17日、300座目の天塩岳に向かいました。

天塩岳は、計画では2泊3日の予定で、林道を歩いていき、登山口にある天塩岳ヒュッテに2泊し、中日に山頂を往復する計画でした。しかし、翌日以降の天気が微妙になってきてしまったので、1日目に山の上にある避難小屋まで登り、翌日に登頂してそのまま下山することにしました。

天塩岳へ。2泊3日の計画を1泊2日に縮めた。
登山口のヒュッテには泊まらず、さらに進む


14時半に、天塩岳ヒュッテに着いて、一部の荷物をデポし、15時半に登山口を出発。さらに1時間半ほど登って、17時前には避難小屋に着きました。天塩丸山から天塩岳が良く見えました。

山頂付近にある避難小屋まで進む


翌朝、30分で山頂に着くというのに、朝5時に出ました。小屋を出たときは雲に覆われていたのですが、なぜか絶対晴れるような気がしていました。

太陽に溶け込んでいくような幻想的な写真になった


山頂の50m手前から、風速15mくらいの追い風を受け、背中を押されるように、激励されるように、山頂に向かっていきました。

山頂からは、先日登ったニセイカウシュッペ山、その向こうに大雪山系、十勝岳連峰、石狩岳など、数週間で登ってきた山が見えました。節目の300座目を祝うかのような景色でした。

節目の300座目、天塩岳。山頂からは
この数週間で登ってきた山々が見えた


計画当初から、この後は、天塩岳を源とする天塩川の川下りを予定していました。

山頂に立つと、ここから256km先の海まで水が流れ、海に着くと、今度は、海を渡って利尻山へと、ゴールへのつながりがイメージできました。

天塩川を源とする天塩川に沿って歩く。
この川が河口まで流れると、
利尻山が見えてくる


天塩川の源頭部には立ち入れませんが、天塩川に沿って、山を下っていき、中流のキャンプ場まで進みました。

300座を登り、初めて残りの1座に集中できる、と感じました。一方で、あと1座となり、複雑で不思議な感情にもなっていました。

 

天塩岳から流れる天塩川を海まで川下り。ゴールの利尻山が見えた!

天塩川に沿って、炎天下を歩く/
朝日町で天塩岳カレーを食べる。
2つニンジンは…山小屋なのか!?


2日間、休養とパックラフト・ダウンリバーの準備にあて、7月22日、士別町のつくも水郷公園から天塩川ダウンリバーをスタートしました。海までは175kmで、途中2箇所だけ、堰を越えるポーテージ(パックラフトを担いで陸を歩くこと)がありますが、以降は、約150km、堰やダムがなく、海まで下っていける川下りに適した川です。

パックラフトによる川下りがスタート


1日目は25kmを漕ぎました。2日目は、32km。瀬(テッシ)で、面白いところがあったので、2、3度、ポーテージして遡り、川下りを楽しみました。

3日目は26km、4日目は32km進みました。中流域では流れがゆったりになり、漕がないと進まないところがありました。

橋に注目。リバーツーリストのための看板があり、
次の町まで〇km、河口まで〇kmと表示されている


ダウンリバー中は、テント泊のつもりでしたが、想定以上に気温が高く、また川の水量が少なく、流れが鈍いので、予想していたよりたくさん漕がなけなければなりませんでした。紫外線の照り返しも強かったので、テント泊では体力の回復が難しそうだと感じました。

幸い、天塩川沿いの各市町村では、川下りでの観光を売り出しているため、上陸して徒歩で宿まで行けるところが多く、テント泊はやめて宿に泊まりました。

北海道でも北部に位置するこの地域では、宿でも部屋に冷房がないところが多いのですが、このときは夜までとても暑かったです。

江戸時代末期の探検家・松浦武四郎が、
天塩川を探査した記念碑。
のちに「北海道」と命名した人でもある


パドリングの感覚が少しずつ戻ってきて、長時間漕げるようになってきました。利尻水道のシーカヤック横断に向けての準備でもありました。

天塩川のダウンリバーは、
利尻水道シーカヤック横断の準備でもある


5日目は38km、6日目は22kmを進んで、ついに海に出ました。河口近くになって、海に浮かぶゴールの利尻山が見えました。

河口に近づいてきて、利尻山が見えてきた!/
海に浮かぶ利尻山をバックに


2日の休養と準備を挟んで、7月30日、天塩町から北上していきました。昨年10月以来となる「日本海オロロンライン」を歩き、シーカヤックポイントまで。海越しに利尻山を見ながら、約30km移動しました。

途中、幌延町にある北緯45度の記念碑に立ちました。屋久島は北緯30度でしたので、3年7か月かけて、15度北上したことになります。

北緯45度のモニュメントで。
スタートの屋久島は北緯30度、
そこから15度、北上してきた

 

シーカヤックで利尻島へ! 最後の1座・利尻山は…

7月31日、豊富町稚咲内から、直線距離で約25kmの利尻水道をシーカヤックで横断しました。

利尻山に向けて利尻水道シーカヤック横断に出発。
海は穏やかで好コンディションだ


3時に起床し、宿を出発。4時には出発地の稚咲内海岸に到着しました。海は極めて穏やかで、波の音がしないくらいでした。5時20分に出発。序盤は、シーカヤックに適した、「ぺろーんとした」水面でした。時速10kmくらいでスーッと進んでいきました。

中央あたりで、潮流が出てきて、時速7~8kmに落ちましたが、利尻島がかなり近づいてきた残り3kmくらいからは余裕が出てきて、休みながら、写真を撮ったり、動画を撮ったりできました。

順調に漕いで、利尻島が徐々に近づいてきた


7年前、百名山のときは、10月下旬で波が荒れていて、シーカヤックから投げ出され、横断に9時間以上かかり、最後の一座を前にたいへんな思いをしました。

今回は順調に漕ぎ進んで、3時間20分で、利尻島南部の鬼脇漁港に到着しました。

3時間20分で、利尻島に上陸!


翌8月1日は、鬼脇から沓形へ、利尻島内をぐるっと移動しました。円錐形の利尻島では、風が強いときは、風上と山の反対側とで、大きく天気の違います。この日は、東側が寒く、西側は暑くなったようでした。しかし風が強く、海が時化ていたので、シーカヤックが今日じゃなくて良かったと思いながら、歩いていきました。

きれいな円錐形の利尻山を見ながら島を半周。
最後の1座に向けて、舞台は整った


8月2日、利尻山へ登るという朝、早朝に起きて、ホテルの窓を開けたら、利尻山には雲がかぶっていました。昨日見えていた利尻山が見えず、「あー、曇ってる!」と声が出ました。

前日の姿から変わって、
早朝、利尻山は雲に覆われていた


出発するかどうか、迷っていて、7時に朝食を食べていたのですが、7時半頃には居ても立ってもいられなくなり、8時半に宿を出ました。百名山のときも、8合目で引き返した経験があったので、「天気が回復しなければ、帰ってこよう」という気持ちでした。

きっと晴れると信じて、出発!


利尻山は島の山なので、風が出たら、雲が飛んでいきそうでしたし、予報では、14時から15時くらいには、風がやんで晴れそうでした。もう一つの要素としては、8月3日以降の天気予報が、数日間、ずっと悪かったのでした。

ヤマセが吹いて、朝から30℃くらいありました。水は5リットル持っていきました。利尻山では、登山者が熱中症で救助されたという報道が何度かあったのです。

登山口までの6kmを1時間で走っていきました。暑くて、脱水症状気味・熱中症気味だったので、登山口で水を飲んで、塩分補給して、落ち着かせてから登っていきました。

脱水症状気味・熱中症気味だったのを、
落ち着かせて登っていった


11時くらいまでに天気は回復していったのですが、8合目くらいから雲の中に入ってしまいました。9合目から山頂を見ると真っ白です。朝は北東の風だったが、稜線に出たら、風向きが変わっていました。視界は20mくらいしかなかったのですが、登りながら思い描いていた展開のとおりになり、ワクワクしてきました。

8合目で雲の中に入る/いよいよ山頂が近づいてきた


山頂まで残り20分くらいとなったころから、一歩ごとに、「あー、最後なのか」とこみ上げてくるものがありました。一歩にいろんなことが詰まっていて、足取りが重くなりました。

残り50mくらいで、社が見えてきて、山頂から人の声が聞こえてきた。少し雲が薄くなっていき、13時半に、利尻山の山頂に立ちました。山頂では7、8人の方に迎えられ、感極まってうわーっと声が出ました。

301座目の山頂で
応援の方から受け取った「YOKI GO」の旗を掲げる!


山頂でカメラを向けられたけれど、言葉が出てきませんでした。話を始めると涙が溢れそうでした。

14時ごろ、西側から晴れ始めて、登ってきた沓形方面が見えました。高曇りでしたが、東側も見えてきました。

301座目、最後の利尻山の山頂に立ったと実感しました。

再び雲に覆われた利尻山を背に、
ゴールの沓形岬公園へと進んでいった


往路と同じ、沓形に下山し、18時半、沓形岬公園まで歩き、「日本3百名山ひと筆書き」、3年7ヶ月の旅が終わりました。


*****

 

エピローグ:「絶対快晴の日に登る」と決めていたが…三百名山の旅を終えて

300座目の天塩岳を登り、あと1座となって、思い描いた利尻山の登頂イメージは、快晴・360度の展望で、地球は青い・丸いのがわかる、あるいは、雲海が広がってその上にぽっかりと利尻山が出ていて、その上に立っている…。そんなイメージでした。

しかし、8月2日は、これまでの三百名山の旅を象徴するような一日でした。天気予報・週間予報をチェックし、山を見上げて、天気を見て、行くか、行くまいか、やきもきしてきたほかの300座と同じでした。

アプローチから、前後の道のりも含めて「すんなり最高の一座」というのはひとつもありません。そのなかで、自分の山行に納得して、自分で責任を持って登ってきました。

2018年1月1日に1座目の屋久島・宮之浦岳を登る


「百名山ひと筆書き」に挑戦したのは、30歳のときでした。

百名山、二百名山と旅をしてきましたが、そのときとは比べ物にならないくらい、長く時間をかけました。 三百名山は、スタートが34歳で、今、38歳になりました。スタートからゴールまで、3年7ヶ月と2日で、1310日でした。あまりに長かったので、まだ振り返りきれません。ただ、無事にやり遂げた。よくやり遂げたなと自分で思います。

3年7ヶ月という長い旅を終えて、「何が変わったか」と聞かれましたが、「自然を相手には、忍耐強く待つこと、を覚えた」ということでしょう。

2018年の夏、指を骨折。
計画変更を余儀なくされる/
コロナ禍で酒田で3ヶ月を過ごす


南アルプスを前に川根本町で過ごした25日、コロナ禍で登山を自粛し酒田で過ごした3ヶ月、日高山脈縦走に備えて富良野の実家で準備した4ヶ月でも、ずっと山のことを考えて、天気を気にして、宿を探して、不安を抱えたり、トレーニングをしたり、していました。不安になったことはあったけど、諦めたことはありませんでした。

今は、ぽっかり穴が空いている状態です。

ゴールの翌日、再び、沓形岬公園を訪ねて


三百名山の旅の間、本当に多くの方に応援いただき、支えられ、「日本3百名山ひと筆書き」を達成することができました。

今は、直接会って報告して、お礼をすることができませんが、早くそういう機会ができることを願っています。

 

取材日=2021年8月10日
協力=グレートトラバース事務局

 

関連リンク

人力20,000kmの山旅「日本3百名山ひと筆書き」がついに完結!
田中陽希さんの旅の足跡はウェブサイトで。
グレートトラバース事務局ウェブサイト
https://www.greattraverse.com/

 

今回のレポートで登った山

ニセイカウシュッペ山 [7月15日] あと2座
ニセイカウシュッペ山

天塩岳 [7月18日] あと1座
天塩岳

利尻山 [8月2日]
利尻山

 

プロフィール

田中 陽希

1983年、埼玉県生まれ、北海道育ち。学生時代はクロスカントリースキー競技に取り組み、「全日本学生スキー選手権」などで入賞。2007年よりチームイーストウインドに所属する。陸上と海上を人力のみで進む「日本百名山ひと筆書き」「日本2百名山ひと筆書き」を達成。
2018年1月1日から「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦し、2021年8月に成し遂げた。

https://www.greattraverse.com/

田中陽希さん「日本3百名山ひと筆書き」旅先インタビュー

2018年1月1日から、日本三百名山を歩き通す人力旅「日本3百名山ひと筆書き グレートトラバース3」に挑戦中、田中陽希さんを応援するコーナー。 旅先の田中陽希さんのインタビューと各地の名山を紹介!!

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