なぜ、1年に300体ものクジラの死体が打ち上がるのか?…クジラを襲う「3つの悲劇」

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』は、海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発売たちまち重版で好評の本書から、内容の一部を公開します。第15回は、ストランディングの原因を考察。

 

日本の海岸に打ち上がるまで

クジラなどの海洋生物が、浅瀬で座礁したり、海岸に打ち上げられる現象を「ストランディング」と呼ぶ。このストランディングは、海岸線のあるところならどこででも起こる。

日本は四方を海に囲まれており、世界のクジラの約半数が近海に棲息または回遊していることもあって、年間300件近くのストランディングが報告されている。あくまで報告件数なので、人知れず流れついて海の藻屑となっているケースを含めると、もっと多いだろう。

死体で発見されたクジラも、漂着した場所で死んだとは限らない。海で死んだあとに海岸に流れついたり、他の海岸で死んだ個体が波や海流によって移動することもある。
いずれにしても、本来の棲息域を大きく外れてストランディングすることは少ない。

季節的に回遊する種は、日本近くに回遊してくる時期にストランディングが発生する。
南方系の種は南西諸島から九州、四国あたりまで、北方系の種なら、北海道から東北地域まで、それぞれストランディングが発生する傾向にある。

たとえば、北半球のザトウクジラは、夏場は餌の豊富な高緯度地域のアラスカ周辺に棲息しているが、秋から春先までは、繁殖海域の沖縄や小笠原諸島に回遊する。人間側からすると、ホエールウォッチングの最盛期である。

子どもを産んだザトウクジラは、再びアラスカ周辺へ戻るが、その途中で日本沿岸を通る。この時期に比較的若いクジラがストランディングすることがあるのは、そのためだ。

また、スジイルカやカズハゴンドウ(イルカの仲間)は、春先に日本沿岸でストランディングする件数が増える。この時期に、餌を追いながら黒潮に乗って北上するためである。

一方、日本の沿岸域にずっと棲息しているイルカの仲間(スナメリ、ミナミハンドウイルカ)は、1年を通してストランディング報告があり、出産を迎える春や秋には、それぞれの幼体や新生児の漂着も増える。

棲息海域や回遊域から大きく逸脱した場所でストランディング個体が発見されたときは、明らかな原因のある場合が多い。「病気にかかっていたのか」「外敵に追われて座礁したのか」「寄生虫により方向感覚が正常に機能しなくなったのか」など、その原因を注意深く調べる必要がある。

その他、夏場の台風や冬場の大しけによって、海から岸に向かって強風が吹くと、外洋性(外洋を本来の棲息域としている鯨種)の個体もストランディングすることがある。漁業の盛んな地域では、網に絡まったり、漁具に引っかかって漂着することもある。

稀に、誤って海から川へ入り、そのまま遡上(そじょう)してしまう個体もいる。塩分を含む海水から淡水に移動すると、海に適応した哺乳類はほぼ助からない。

 

なぜクジラは海岸に打ち上がるのか

ストランディングについては、博物館の展覧会や講演会などでお話しする機会も多い。
時々、ストランディングの調査現場で、集まった方々に説明する機会に恵まれることもあり、私はそれがとても嬉しい。実物のクジラを目の前で見ていただきながらお話しすると、みなさん、とても興味深そうに聞いてくれるからだ。

本来、解剖調査は時間に限りがあるので、サクサクと作業を進めなければならず、作業真っ只中では質問されても対応できないこともある。これはお許し願いたい。私の場合は、調査が一段落した頃合いであれば、できるだけみなさんの疑問にお答えするようにしている。

「このクジラはどうして海岸に打ち上がってきたのですか?」
「なぜ死んでしまったのですか?」

という質問には、いつも

「そうなんです! 私たちもそれが知りたくて、こんなに血まみれになって調査しているのです!」

と答える。そして、日本の海岸では毎日のようにストランディングが起こっていることを伝えると、「ええっーーー!」と、一様に誰もが驚く。クジラが海岸に打ち上がった映像は、ニュースなどで見たことがあっても、そんなことは稀なことだと思っている人が多いのだと思う。

他にも、「皮膚の感触はどんな感じなんですか?」「歯はあるのですか?」「眼はどこですか?」など、その個体を見て感じたことを、興味深く質問してくださる。

しかし、みなさんが一番知りたい「ストランディングした原因は何?」にすべて答えられないもどかしさが、いつも心のわだかまりとして残る。

世界各地で発生するストランディングの原因は多種多様と考えられていて、原因が相互に絡み合っている場合も多い。ストランディングする生物も哺乳類に限らない。ウミガメやメガマウス、ダイオウイカなどもストランディングする。

自然の摂理として、生物はいずれ死ぬ。その結果、たまたま海岸に打ち上がってしまったのなら、「そういうこともあるか」と納得できる。しかし、実際にストランディングした個体を調べてみると、どうもそれだけではないらしいことが少しずつ明らかになってきた。世界中の研究者が、ストランディングの謎に挑んでいる。

ストランディングの原因としては、これまでに次のようなことがわかっている。

一つは、病気や感染症である。私たち人間と同様に、海の哺乳類も重篤な病気や感染症にかかると死に至る。そうした個体がストランディングすることは世界的に知られている。伝染性の強い病原体であれば、一度に多くの個体が命を落とし、マスストランディング(大量漂着)する。

1頭であっても重篤な病気や感染症にかかっていれば、それを調査し研究することで、病気の成り立ちや、水族館で飼育されている個体の治療法の糸口につながる場合もある。

二つ目の原因は、餌の深追いである。餌となる魚類や頭足類(イカ、タコなど)を追いかけることに夢中になって浅瀬に入り込み、座礁してしまうことがあるようだ。

海の哺乳類は、水中にいる間は浮力のおかげで数十キロから数トンもの体重を難なく支えているが、一度陸に上がると、重力が一気にかかり、自分自身では身動きできなくなる。その結果、ストランディングしてしまうことがある。

三つ目の原因は、海流移動の見誤りである。日本周辺の海域では、季節ごとにさまざまな海洋生物が海流に乗って移動しているが、移動時期を見誤るとストランディングしてしまう場合がある。

たとえば、南から北上する種類はもともと南方に暮らしているため、寒いところは苦手である。それでも、餌を追い求めたり、交尾の相手を探したり、新しい棲息域へ移るなどの理由で、初春から初夏にかけて、暖流の黒潮に乗って北を目指す。その中で春先に一足お先に北上してきた個体群が、定期的に茨城県や千葉県の沿岸に大量漂着するのである。

こうした個体を調査しても、病気や感染症は見つからず、長い間原因解明に難航していた。そこで、ストランディングしたときの海流や天気を照合したところ、興味深い事実が浮かび上がってきた。

千葉県銚子沖の少し北側では、暖流の黒潮と寒流の親潮がぶつかる「亜寒帯収束線」と呼ばれる海域があり、その黒潮と親潮がぶつかる沿岸側に生じる〝冷水塊(周囲の海水よりも温度が低い水塊)〞と、ストランディングする地点が、ほぼほぼ合致することが判明したのである。

ということは、春先に北上してきた南方系の鯨種が、誤ってこの冷水塊にトラップされ(閉じ込められ)、そのまま大量漂着につながったのではないかという仮説が立てられる。以後も同様の発生事例が確認できたことから、今ではこの説がある地域や個体群では有力であることがわかってきた。

また、例外的な事例として、2011年3月11日に東日本大震災が発生した際、その約1週間前の3月6日に茨城県でカズハゴンドウというイルカが、50頭近く大量にストランディングした。

さらに、2011年にニュージーランドでマグニチュード7クラスの大地震が発生したときも、その直前にヒレナガゴンドウが100頭以上、被災地の近くの海岸に大量にストランディングしている。

東日本大震災のときは、地震の起こる数週間前から根室海峡の海底ケーブルに設置されていた音声録画データにも、地鳴りのような音が反復して録音されていたことが、のちに報告されている。

茨城県の海岸にストランディングしたカズハゴンドウを病理解剖しても、感染症などの病気は見られなかった。ということは、この二つの事例は未曾有の地震によりストランディングしたのかもしれない。

しかし、だからといって、「地震大国といわれる日本だから、国内で年間300件もクジラのストランディングが起こっているのか」と考えるのは早計だ。実際に、地震発生時期とストランディング発生時期を検証したことがあるが、今のところ因果関係を示すデータはない。その他、磁場説や寄生虫説など諸説の報告はあるものの、どれもある事例だけに当てはまる説であり、すべてのストランディング事例に反映できるものではない。

少しずつその原因は解明されつつあるが、ストランディングの本質的な原因が未だにつかめていないからこそ、私たちは調査を続けている。

※本記事は『海獣学者、クジラを解剖する。』を一部掲載したものです。

 

『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』

日本一クジラを解剖してきた研究者が、七転八倒の毎日とともに綴る科学エッセイ


『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること~』
著: 田島 木綿子
発売日:2021年7月17日
価格:1870円(税込)

amazonで購入


【著者略歴】
田島 木綿子(たじま・ゆうこ)

国立科学博物館動物研究部研究員。 獣医。日本獣医畜産大学獣医学科卒業後、東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻にて博士課程修了。 大学院での特定研究員を経て2005年、テキサス大学および、カリフォルニアのMarine mammals centerにて病理学を学び、 2006年から国立科学博物館動物研究部に所属。 博物館業務に携わるかたわら、海の哺乳類のストランディングの実態調査、病理解剖で世界中を飛び回っている。 雑誌の寄稿や監修の他、率直で明るいキャラクターに「世界一受けたい授業」「NHKスペシャル」などのテレビ出演や 講演の依頼も多い。

海獣学者、クジラを解剖する。

日本一クジラを解剖してきた研究者・田島木綿子さんの初の著書『海獣学者、クジラを解剖する。~海の哺乳類の死体が教えてくれること』が発刊された。海獣学者として世界中を飛び回って解剖調査を行い、国立科学博物館の研究員として標本作製に励む七転八倒の日々と、クジラやイルカ、アザラシやジュゴンなど海の哺乳類たちの驚きの生態と工夫を凝らした生き方を紹介する一冊。発刊を記念して、内容の一部を公開します。

編集部おすすめ記事