奥秩父の峠は秋が美しい――。峠を越えて新しい世界と出会う時代があったことを、登山者だけが感じることができる

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今、季節は秋! 日照時間は短くなり、気温も下がり、山頂を目指す登頂登山や、渓谷遡行の沢登りのような登山だけでなく、一昔前の旅人の気分で紅葉の峠を歩くのに最も適した季節がやってきた。秋の奥秩父は「峠」が魅力的なのだ。

 

十文字峠の先、のぞき岩からの甲武信岳方面の展望


原生林と渓谷美のイメージが強い奥秩父は、日本百名山のうち実に六座(瑞牆山、金峰山、甲武信岳、両神山、雲取山、大菩薩嶺)が君臨する大きな山塊で、最高峰・北奥千丈岳の標高は2601mと森林限界を越える標高を持つほどの高さもある。また、日本を代表する分水嶺にもなっていて、荒川、笛吹川、千曲川などの源流となっていて、渓谷としてのイメージも強いのが奥秩父の山々だ。

五県(長野、群馬、山梨、埼玉、東京)にまたがる山域は、江戸時代には国(藩)と国とに跨る、複数の文化・自然・言語・経済の国境となる山塊でもあった。人が国から国へと山を越えて移動する時、労苦の多い山頂を経由することは少なく、その山脈の最も標高の低い鞍部(コル)を越えて人々は旅をしてきた。

このコルこそが「峠」だ。山麓だけではなく、山中や山奥まで人々が暮らしてきた奥秩父では、集落と集落、国と国とを結び、時には隔てる無数の峠が存在し、重要な役割を担ってきた歴史がある。

埼玉県の秩父地方は四方を山に囲まれた盆地だ。平坦地があまりなく、水田も少ない秩父の人々にとって、交易はきわめて重要だった。外の世界と秩父を結ぶ重要な回廊こそが峠だったのだ。自動車や鉄道が通る以前は、秩父と外の世界との間は必ず峠を越えなければならなかった。近代登山が確立される以前から、国や集落、地域を隔てる峠を、物資の交換や、交易、婚姻、三峰神社や善光寺へのお参りなどのために人が歩いて越える峠の存在が、この地の人々に認知されてきた。

例えば、どんな峠があるのだろうか? 東京・多摩地区へは仙元峠へ、山梨(甲州)へは将監峠・雁峠・雁坂峠、長野(信州)へは三国峠・十文字峠、群馬(上州)へは志賀坂峠・矢久峠・杉ノ峠、同じ埼玉県でも児玉郡方面へは石間峠、大里郡へは釜伏峠、比企郡へは粥新田峠、入間郡へは正丸峠・妻坂峠・鳥首峠――、この他にも無数の峠が存在する。

武蔵国と甲斐国の往来のための峠となっっていた雁坂峠の現在の姿。


かつては人々が行きかい、峠の途中に荷渡しの小屋や茶店もあった歴史ある峠も、その後の辿った経過はそれぞれだ。例えば雁坂峠はその山中にトンネルが穿たれ、自動車が疾走する道となった。志賀坂峠、正丸峠なども同様に自動車で越える場所となっている。

一方、登山者が登山で訪れるだけの峠、廃道となって少しずつひっそりと消え去ってしまった峠道もある。将監峠や雁峠が、これに当てはまる。また、人々の移動や物資の交易の道の役目を終えて登山道としてのみ使われるようになったのが、十文字峠、妻坂峠、鳥首峠などである。そんな峠を訪れる山旅に、この秋は誘われてみてはいかがだろうか?

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今一度、秩父の人々の生活と、それぞれの峠の役割を振り返ってみよう。秩父盆地の中心には甲武信岳から東京湾へと注ぎ込む荒川が流れている。その荒川源流部には、今では廃鉱となり、その存在さえ忘れられた金鉱山が存在した。この金を精錬して運びだして、秩父の外の地域と交換することが生活基盤の1つだったとされる。

ほかにも、繭(まゆ)を育て秩父銘仙の織物を織ったり、炭を焼いたり、和紙の材料の楮(こうぞ)を育てて和紙を作ったりもした。十文字峠を越えた野辺山からは、仔馬を仕入れて峠越えをしながら飼育し、再び農耕馬として育て上げ峠を越える習慣があったという。

このように、秩父は近代以前から、「峠の向こう側」の世界との交易・交流で、これらの産物を米や穀物と交換し、また換金することを知っていた。交易で生活を営み、豊かにし、新しい文化や情報を手にしてきた歴史がある。


現在でも他の県へと徒歩で峠越えが可能な大きな歴史ある峠は、秩父から山梨へと向かう雁坂峠であり、長野へと向かう十文字峠だ。それらを今、歩くならば、「外」の世界へと向かった人々の見た「眺め」を感じることが出来る。

雁坂峠も十文字峠も埼玉県の最奥の西の端である、かつての秩父郡大滝村(現在の秩父市大滝)の栃本集落を埼玉側の出発点とする。現在でも史跡として立派な栃本関所が残されていて、甲斐の武田信玄が設置したものだ。緊張関係にある他国との人・武器・馬・米などの流れを、現在の国境の管理のようにチェックするポイントで、まさに「関所」だった。

武蔵国と甲斐国の関所だった栃本関所跡(画像素材:PIXTA)

栃本関跡にある説明。その由来を確認しておきたい


どちらの峠も、埼玉側は奥深い原生林と、切れ込んだ深い渓谷が広がり、延々と登り詰めた労苦の先にある。雁坂峠は南面に広大な草原と富士山の明るい展望があり、十文字峠は峠を降る途中から長野・信州野辺山原に向けた広大な原があり、その上に八ヶ岳が大きく見える。

十文字峠越えには、一里ごとに「里程観音」がある


峠から振り返れば暗く、折重なった尾根筋と森、足元に微かに渓谷の音を伴って食い込む荒川源流の険谷が暗く忍び寄る。違う文化や、違う方言――、明るさや吹く風の気配まで異なる新しい世界は、時として溌剌と輝いて見えたこともあったはずだ。

交通機関の発達で峠越えが「違う世界への旅」だった時代は終わった。それでも登山者だけが、そんな「峠を越えて、新しい世界と出会う」時代があったことを微かに感じる事ができる。奥秩父の峠は、時折、西高東低の気圧配置が現れ、木枯らし一番が吹き抜ける季節が最も美しい。

次号では、峠越えの魅力を、さらに取り上げたい。

 

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
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