信州から武州――。最も古き良き峠越えが感じられる季節に、今も残る本当の峠越え「十文字峠越え」へ

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「秋から晩秋へ、峠の頂上付近に粉を捲いたような乾いた雪が風花となって舞う季節が、最も古き良き峠越えが感じられる季節」、この山域をこよなく愛する山岳ガイドの山田哲哉氏。信州(長野県)の梓山から十文字峠を越えて武州(埼玉県)の栃本へと歩く、古の峠道を歩く山旅の魅力に迫る。

 

秋色に染まりつつある、十文字峠への道


長野県と埼玉県を分ける十文字峠は交通の要衝として古い歴史を持っている。人々が峠を越えたのは石器時代からと言われ、八ヶ岳山麓で採れた打製石器の材料である黒曜石は、この十文字峠を経て関東全域へと広がっていったとされる。

その後、十文字峠越えは交易の道として発展していった。前回説明したように、埼玉側・武州大滝の栃本の人々は蚕を飼い、繭に育てて、それを背に峠を越えて信州で売り、米に変えて再び峠を越えた。また信州野辺山から仔馬を仕入れ、峠を越えて栃本から秩父西部の各地に運ばれ、そこで三歳馬程度まで育てられて、成馬として再び峠を越えて野辺山の馬市場で売られていたという。

★前回記事:峠を越えて新しい世界と出会う時代があったことを、登山者だけが感じることができる

ちなみに、長野県川上村の資料によれば最盛期の1929年には村内で実に617頭の馬が主に農耕馬として飼われていたと記されている。それが1970年には14頭、そして74年に一頭もいなくなった。十文字小屋の開設者の山中邦治さんの話によると、馬市が立つ夏の時期、仔馬の群れが、現在はレタス畑が広がっている戦場ヶ原という場所に集められ、数頭ずつ数珠つなぎで歩き、一日で栃本まで峠越えする姿が1960年代前半まで見られたという。

同時に、この峠越えは信仰の道としての役割も担っていた。秩父側からは善光寺参りに向かう人が、川上側からは三峰神社参拝や、秩父札所巡りで人々が行き交っていた。そのうえ、大滝栃本と川上村梓山には人々の交流が盛んで、2つの集落の間で婚姻の習慣もあった。花嫁姿で下はモンペを履いた女性の後ろを箪笥(たんす)や米を担いだ集落の者が付き添い、一日で峠越えをする「嫁入りの峠道」でもあったという。今から50年程前までは、人々が頻繁に越え、馬や米や繭が越える生活と交易の峠として存在していたのだ。

シャクナゲの花に囲まれた十文字小屋(写真/まさ10さんの登山記録


そんな峠道には一里ごとに里程観音が置かれているが、その裏に記された年代は明治維新前の「元治元年」(1864年)と刻まれている。その頃が最も多くの人々が峠を越えたのだろう。

この十文字峠が最も賑わうのは、初夏だろう。6月上旬にピンクのアズマシャクナゲの花で埋め尽くされる。霧雨に煙る、シットリした苔とコメツガの森にシャクナゲが広がる光景は美しく、このシャクナゲの咲き乱れる10日ほどの間が、最も多くの登山者が訪れる季節なのだ。それ以外と言えば、霧が立ち込めて巨木の間から太陽の光が射す小鳥の囀りだけが響く静寂が支配する。

一方、この峠道が最も趣のある時期が秋である。文字峠の西側に広がるカラマツ林は10月下旬に散りつくす前に金色に染まる。峠より500m下、車道の終点の毛木平の黄葉は11月中旬。カラマツの黄葉は、年により出来不出来の差が大きく秋の初めにカーンとした冷えが来て、その後、秋晴れの好天が続いた年が最も美しい。

だらだらと残暑が続いたうえに秋雨が長く続くと、カラマツは紅葉せずに茶色く変色してバラバラと落ちてしまう。今年(2021年)は9月に一気に秋の気配となり、その後、冴えた晴れの日が続いた。十文字峠のカラマツは金色に染まり、峠越えの道にハラハラと針の様な黄葉を落とすに違いない。

梓山からカラマツの黄葉を望む(写真/まさ10さんの登山記録


十文字峠越えは、長野県南佐久郡川上村梓山から埼玉県秩父市大滝の栃本関所前まで、昔の距離で六里六丁、現在の登山地図の歩行時間で約10時間30分。健脚者が早朝に歩き出して、ようやく夕暮れ時に人里に降り着く大きな山旅だ。

標高2035mの十文字峠の上に苔むしたコメツガの巨樹に囲まれて、周囲の雰囲気にすっかり溶け込んだ丸太造りの古い十文字小屋がある。現在の旅人である峠越えの登山者は、多くの場合、この山小屋に一夜を送る。そんな峠越えの魅力を味わってほしい。

 

古き良き峠越えを感じる長い道のりを行く

十文字小屋を開設して48年間に渡って管理していた山中邦治、時子夫妻は、大滝栃本の上中尾という集落に暮らし、長年にわたって上中尾から通っていた関係で、「十文字峠越え」と聞くと、筆者はどうしても秩父側大滝栃本から登りだすものだと考えてしまう。しかし秩父市大滝の栃本関所跡から十文字峠までが歩行約8時間、一方の川上村梓山からは約3時間半。そう考えれば、川上村梓山から峠に登り、十文字小屋に泊まって越えて行くのが現実的だ。

「海から最も遠い村」のひとつと言われる川上村は、村の中心を千曲川が流れ、高原野菜栽培で知られる内陸性の気候の明るい村だ。一方の秩父市大滝は平坦な地が少なく、栃本集落の上には標高2000mを越える和名倉山が聳え、荒川源流が流れる山間の急斜面の続く場所だ。

このように梓山と栃本は、同じ峠の東西にありながら雰囲気は全く違う。梓山は、かつて田部重治が「明るい音楽的な雰囲気に満ちた」と表現したように、光に満ちた八ヶ岳連峰が西に大きく連なっていて広々とした感じを持つ。一方の栃本は急斜面に畑が点々とあり、水田は一切なく、炭焼き、養蚕、金鉱堀といった仕事を営む谷合の村といった印象を持つ。耕作をする農家は「逆さ掘り」と言って、土が下に下がらないように上へ上へと掘り上げる厳しい作業を強いられた場所だ。

どちらから越えて行くにせよ、全く違う気候、風土、明るさの世界から、違う世界に越えて行く峠越えの醍醐味が味わえるだろう。

川上村梓山から十文字峠へと向かう道の様子 ※クリックで拡大(⇒地図はこちら


その道の魅力を、改めて紹介しよう。川上村梓山から十文字峠に向かうとすると、梓山の古くからの宿・白木屋旅館前から歩き出す。背後に大きく八ヶ岳が聳える一面の高原野菜畑の中を歩き、車道の終点である毛木平から登山道に入る。

レタス畑が広がる道を進んでいく(写真/take3さんの登山記録


すぐに三峰山大権現の石仏があり「右・山道。左・江戸道」と記されている。この石仏からも、信州から江戸・東京に向かう峠道だったことがわかる。千曲川源流を渡り、やがて五里観音。ここを過ぎて沢沿いを辿り丁寧にジグザグが切られた八丁坂を登ると広葉樹の森からコメツガの森に変わっていく。八丁ノ頭からコメツガの原生林の中を緩やかにトラバースしていくと、やがて明るいカラマツ林を抜けると十文字峠に立つ。峠では東側に展望があり、両神山が大きく、夜には熊谷方面を筆頭に夜景が美しい。

十文字小屋に到着。針葉樹とシャクナゲに囲まれた趣のある小屋だ


峠から秩父側に降りだすと、周囲の雰囲気は一変する。明るい森のイメージからコメツガ、シラビソの原生林と苔むした斜面となり、最も奥秩父らしい湿潤な森が広がる。股ノ沢林道と道を分けて四里観音を下っていくと、四里観音避難小屋がある。この避難小屋は初代の十文字小屋があった場所で清潔な避難小屋が建てられている。

避難小屋から三里観音までは、引き続き針葉樹の原生林の中の道を進む。鍾乳洞のある赤沢山、岩ドヤと稜線の北側をトラバースしていく道は、年々か細くなっていくように感じられる。

木の間越しに両神山が北側に見る道を進み、やがて大きく登り返すと荒川側が大きく開けたノゾキ岩に出る。足元に荒川源流の赤沢谷が食い込み、雁坂嶺から甲武信岳、十文字峠と荒川源流を取り囲む重厚な奥秩父主脈北面の人跡未踏の山と谷が広がる。

ノゾキ岩からの眺望。奥秩父主脈の峰々が美しい(写真/まさ10さんの登山記録


ノゾキ岩から少し先に白泰山避難小屋と二里観音があり、この後の森は広葉樹に代り、秋ならば山一杯に落葉を踏みしだくガサゴソと言う音が賑やかだ。緩やかに降り続けると道端に一里観音がポツンと待っている。

「もう一里」と思うせいか、ここから栃本関までが長く感じる。途中、一か所、森が切れて辿ってきた峠の尾根道が遥かに望める場所があるので、足を止めて見つめたい。やがて狛犬の代わりにオオカミが左右に石像となって守る両面神社の境内を抜けてると、最奥の集落・牛蒡平で車道に出て、栃本関所跡の大きな建物の脇に降り着く。

一里観音。ここから栃本関までの一里が意外と長い・・・(写真/プックルファザーさんの登山記録


この行程は早朝に十文字小屋を出発しても、栃本の集落に着く頃にはもう夕方の気配の漂う。黄昏の中で、彼方の長野県・信州から埼玉県・武州へと越えてきた感動は大きい。黒曜石を運んだ石器時代の人や、峠を越えた馬方や、花嫁姿のワラジ履で峠を越えた人々の気持ちが感じられる秋の十文字峠越えだ。

秋から晩秋へ、峠の頂上付近に粉を捲いた様な乾いた雪が風花となって舞う季節が、最も古き良き峠越えが感じられる季節だ。

 

プロフィール

山田 哲哉

1954年東京都生まれ。小学5年より、奥多摩、大菩薩、奥秩父を中心に、登山を続け、専業の山岳ガイドとして活動。現在は山岳ガイド「風の谷」主宰。海外登山の経験も豊富。 著書に『奥多摩、山、谷、峠そして人』『縦走登山』(山と溪谷社)、『山は真剣勝負』(東京新聞出版局)など多数。
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