文学のなかに見出す富士山の魅力『富士山と文学』

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評者=田代一葉

富士山と文学

著:石田千尋
発行:新典社​
価格:2805円(税込)

 

富士山の文学について著された代表的な書に、浅間神社社務所編『富士の研究』第4巻(古今書院/1929年。復刻版は名著出版/1973年)収載の高柳光寿氏著「富士の文学」と、久保田淳氏著『富士山の文学』(文春新書/2004年。のちに角川ソフィア文庫/2013年)がある。

どちらも必読の名著であるが、ここに今回、石田千尋氏著『富士山と文学』が加わった。研究に基づく専門書であるが、一般の読者にとっても興味深い内容になっている。

著者の石田千尋氏は『古事記』の歌謡物語を中心とした古代文学を専門とする研究者で、山梨県内の大学に勤務していたことにより、富士山の世界遺産登録に向けた学術調査に関わり、富士山の文学について本格的に研究を行なうこととなったという。

では、目次に添って内容を紹介していこう。「Ⅰ序論」は「富士山の古典文学」と題した講演録で、古代から中世までの富士山文学の概説が話口調でわかりやすく書かれていて、ここから読み進めることで今後語られる内容が受け入れやすくなる。

「Ⅱ総論」は「富士山像の形成と展開」の題で、こちらも時代的には古代から中世までを区切りとし、万年雪(『伊勢物語』第九段)や神仙が遊ぶ山(都良香「富士山記」)、恋の煙(和歌)など富士山のイメージが作り上げられていくさまを追う。50ページ以上で読み応えがあるが、富士山を描いたそれぞれの文学が、地層のように幾重にも重なっていくことで文学的な厚みが増していくことが実感される。

「Ⅲ各論」は、「一 富士山の古代信仰─古典文学の視点から」「二 富士山と竹取説話」「三 僧道興の和歌と修験─『廻国雑記』を中心に─」「四 契沖の和歌─『詠富士山百首和歌』をめぐって─」「五 紅く燃えるふじ─北原白秋の富士山─」の5篇を収める。紙数の関係ですべては述べられないが、特に興味深かったのは、やはり氏の御専門と深く関わる一や二である。「一 富士山の古代信仰」には、「富士山を見ることは、視線をひたすら天に向けることである。(中略)天空を貫いてそびえる山頂を仰ぎ見ること。そのまなざしにこそ、富士山に対する信仰の原点があるように思われる。」の一文がある。シンプルな考え方ながら万人が首肯する結論ではないか。また「二 富士山と竹取説話」は、中世から近世にかけて再び生成された「竹取説話」には『長恨歌』の仙女としての楊貴妃イメージがかぐや姫に投影されることや、富士山の神としての「かぐや姫」像について、広範な調査により「竹取説話」を解き明かしていく。

「Ⅳ付篇」は、和歌および古典文学作品の富士山の用例と、『富士山 山梨県富士山総合学術調査研究報告書』(2012年3月)に収録された論文の抄録が入る。また、「ケカチ遺跡出土刻書土器の和歌」は、山梨県甲府市塩山にある奈良・平安時代の遺跡から出土した土器に刻まれた和歌一首を判読し、歌の読み方を確定し、歌の意味を考察していくもので、富士山とは直接関係ないのだが非常におもしろく読んだ。

古代文学や信仰に関わる富士山文学など、新しい切り口をもつ本書をきっかけとして、富士山とその文学に心を寄せる方が増えることを期待したい。

最後に、本書により石田氏が19年に御逝去なさっていたことを知った。評者も、静岡県側で富士山の文学を研究する者であり、氏の御論考に学ぶところが多く、いつかはお目にかかって御教示を賜りたいと思いながら、それは叶わぬこととなってしまった。石田千尋先生の御冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

 

評者=田代一葉

1978年、栃木県生まれ。日本女子大学大学院文学研究科日本文学専攻単位取得退学。静岡県富士山世界遺産センター学芸課准教授。専門は日本文学。著書に『近世和歌画賛の研究』(汲古書院)がある。 ​​​

山と溪谷2022年1月号より転載)

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