雪とともにある生活。冬の送迎|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第24回は、時に困難、時に危険をはらむ、雪国の日常。

文・写真=星野秀樹

 

 

神奈川からこの山村に移住してきてつくづく思うのは、子供たちの送迎が、ほんとに大変だってこと。
飯山線の戸狩野沢温泉駅まで家から約7km、その周辺に小中学校があるこの立地。小中学校へは原則路線バスで登下校するけれど、遊びに行くにしても、クラブ活動にしても、なにかと親が面倒を見なければ子供の移動がままならない。
サッカーに、スキー、陸上部の大会。今日は塾の日、これから友達の家に行ってくる、と言われて、「いってらっしゃい。気をつけて。」ですまされないのが田舎暮らし。大会だ、練習試合だ、となれば北信地域を駆けずり回り、長野市内の高校へ通う次男に至っては、7時前に家を出て、帰りは21時半に駅までお迎え、なんてことも珍しくない。
送迎のための走行距離だけでも1日50km、へたをすれば100kmを軽く超えることも珍しくなく、可能な限り効率よい送迎を試みるために、毎朝、各自の予定を確認するブリーフィングが行われるのが我が家の慣習になっている。

いくら山間の集落とはいえ、かつてはみんな徒歩や自転車で学校へ通っていたと聞く。
集落から標高差200mあまりの山道を千曲川べりまで下って小学校へ、そこから飯山線で中学校へ。帰りはもちろん家まで山登りだ。さすがに冬は雪道の登下校が困難となり、低学年は各村内に置かれた冬季分校へ、高学年や中学生は下の集落で親戚の家などに寄宿していたという。
高校生になると毎日、片道15〜20kmの道のりを自転車通学。なかには野球部の朝練、夕練をこなし、毎晩暗い山道を帰る学生もいた。時には寝ぼけて自転車ごと水田に落ちたとか、帰ってこないので探しに出たら田んぼの畔で寝ていたとか、そんな話しを酒の席で繰り返し聞かされている。

 

 

しかし冬は、親にとって子供の送迎が、単に面倒を超えて困難、時には危険にすらなる季節。
それも大雪の日の夕刻となると、子供の送迎と言っても、なかなか覚悟のいる事態になることがある。一冬に何度かある、「出歩いちゃいけない日」。夕方に道路の除雪が終わり、それにもかかわらず警報級の雪が降り続くような夜間がそれだ。

この地方には「一里一尺」という言葉があって、北へ一里(約4km)進むと一尺(約30cm)雪が増える、と言われている。なので、飯山方面から戸狩の民宿街を過ぎ、県道が山裾の集落をたどるようになると、その言葉通り、積雪がみるみる増加する。さらに温井の集落で県道と別れて「みゆきのライン」へと入ると、そこから先は雪荒野。先行車のか細いわだちを頼りにたどる雪道は、吹雪と自分の車が巻き上げる雪煙で前が見えない。すでに車の高さを超えた雪壁と吹き溜りの見分けがつかず、いまにも雪山に突っ込んでしまいそうで不安だ。

そんなわけで、冬の朝のブリーフィング時には天気予報の確認が重要だ。場合によってはクラブ活動の終了時間を早めに切り上げるように指示が出される。それでもひとたび本気を出すと容赦のないこの土地のドカ雪は、あっという間に積雪が増加する。つい先日も19時に戸狩駅までのお迎えだし、とたかを括っていたら、自分が家を出て行くのですら困難、果たして帰って来られるのか、という目にあった。以前、東京へ出張したかみさんが、このドカ雪に捕まってウチまで帰れず、知り合いの民宿に泊まったことが2度ほどある。

そんな土地なのに毎日子供たちは学校へ通い、大人は働きに出る。大雪の日には早朝3時から道路の除雪が始まり、7時にはきれいに磨き上げられた車道が延々と現れる。みんな勤めに出る前に自宅の除雪を終え、帰宅すればまた除雪だ。当たり前のように降る雪と、当たり前の日常生活が繰り返されるこの土地で、雪を恵みとも、時には災害とも受け入れながら過ごす冬の日々が続く。そんな暮らしこそ、僕が雪山放浪の末にたどりついた得難い時間である。

 

 

●次回は2月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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