【戸隠山】伝説と修験の歴史が包む、 険しい山稜をたどる

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豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。写真家の星野秀樹さんは信越国境の山村に暮らし、山々を訪ね、その魅力を追い続けています。星野さんの著書『国境山脈』(山と溪谷社)から、戸隠山を紹介します

 

蟻の塔渡、剣の刃渡と続く核心部。人が、アリのように這い渡る

 

戸隠山

伝説と修験の歴史が包む、
険しい山稜をたどる

長野市の北方すぐ裏手にそびえる戸隠連峰。表山と称される戸隠山と、裏山と呼ばれる高妻山、それに西岳へと続く、南北に連なる山塊である。連峰の南端は鬼無里の一夜山に始まり、高妻山で信越県境へとつながっている。

戸隠山は不思議な山である。荒々しいイメージがある一方で、その山容はどこかつかみどころがない。例えるなら八ヶ岳の横岳に似ている。横に長い頂稜に突き上げる、幾筋もの急峻な岩稜。その突き上げたコブの一つ一つが小さなピークをなして、顕著な頂上をもつ他の山とは違った山容を成している。南から八方睨、戸隠山、九頭龍山。もちろんそう言われても、岩稜の先にそのピークを見つけるのは難しい。とにかくギザギザとした稜線が連なる険しい山、戸隠山はそういう山である。

しかし、戸隠山の不思議さを醸し出しているのは、こんな山容のためだけでは決してない。伝説と山岳修験の古い歴史が険しい山稜を包み込み、一種独特な雰囲気を醸し出しているのだ。

戸隠神社奥社に続く参道は豪壮な杉並木だ。立ち並ぶ樹齢400年とされるスギの古木は、この地の神聖さをいやが上にも感じさせる。原始林のもつ動物や植物の生命力とは違うなにか。それは神か魔物の存在か。まっすぐな梢の上から見下ろされているような、大木の陰から見つめられているような、何者かの存在を意識してしまうのだ。

戸隠山には有名な二つの伝説がある。一つは、天照大神が籠った岩屋の岩戸を天手力雄命がこじ開け、投げ飛ばしたその天岩戸が戸隠山になったという岩戸伝説。もう一つは、京都から戸隠山に追放された鬼女・紅葉を、天皇の勅命で平維茂が退治したという紅葉伝説である。神や鬼。伝説の登場人物たちがそのまま現われてきそうな気配を感じながら、僕は深い静寂の参道を歩いていった。

樹齢約400年とされる、戸隠神社奥社に続く参道の杉並木 

奥社の手前で参道は終わり、いよいよ登山道が始まる。今までの杉並木に代わって初夏のやさしい緑の雑木林が続く。しかし登山道の様相はみるみる険しくなり、もろい凝灰岩を這い伝う修験の道が始まった。

戸隠が霊場と伝えられるようになったのは平安末期のことだという。その後、鎌倉時代には高野山、比叡山に並ぶ一大霊場として広く知られるようになり、「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれるほどの宿坊の数を誇ったとされる。戸隠山から高妻山にかけてが修験の場である戸隠曼荼羅とされ、山中には修験者が利用した「三十三窟」と称される岩屋や洞窟が今も残されているという。険しい戸隠山の山中は、神や鬼の住処であったばかりでなく、山伏たち修験者の、厳しい修行を求める場でもあったのは当然のことだろう。

現代は修験者の代わりに、登山者がこの岩山を這い上がる。傾斜が強い岩場には鎖が付けられてはいるものの、腕力頼りの厳しいクライミングを強いられる。穂高や剱ならハシゴがかけられているような急な岩壁でも、無情に垂れ下がる鎖をつかんで登るのみだ。

ギョッとするほど急峻な胸突き岩を越えると、いよいよ核心部の蟻の塔渡、剣の刃渡が続く。さえぎるもののない奈落の底へと切れ落ちたナイフエッジの通過は、他の山ではそうそう味わえない恐怖である。歩いて渡ることはできないほど細い岩稜を、またいで、両足を虚空に投げ出して、じりじりと這い進んでいく。僕がめざすのは戸隠山の頂だが、苦行の末に法力を身につけるという修験者の厳しい精神を感じずにはいられない。はたしてこの険しい修験の道の先で僕を迎えてくれるのは、神か、それとも鬼か。

 

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星野秀樹
1968年福島県生まれ。同志社山岳同好会OB。ヒマラヤ、天山山脈などで高所登山を経験した後、北信州飯山の豪雪の山村を拠点に、剱岳や黒部源流域、上越・信越の山々、北米のウィルダネスなどを撮影。最近は山岳地帯や里山に生きる先人たちにも惹かれ、その言葉に出会う旅も続けている。著書に『雪山放浪記』『剱人』『ヤマケイアルペンガイド 北アルプス 剱・立山連峰』(いずれも山と溪谷社)がある。

 

美しく気高い国境山脈へ

群馬と新潟、新潟と長野の境をなす山稜は、日本有数の豪雪地帯であり、ブナ帯文化の世界でもある。その多くは人の暮らしから隔絶された孤峰ではなく、人の暮らしとともにある里山だ。そんな山々の麓に、僕は今暮らしている。ブナと雪、それに日本海側の風土に惹かれて、新潟と長野の県境、信越トレイルが通る関田山脈の麓に移住したのだ。家のすぐ裏から始まるブナ林と、例年4m前後に達する積雪は、けっして美しいばかりではなく、厳しい自然の現実をも思い知らせてくれる。ここでは、暮らしの中にいても山を漂っているかのような感覚になる。

この里から眺める風景は、雪とブナの稜線だ。背後には関田山脈、千曲川の流れの向こうには越後三山や巻機山など魚沼の山々が。正面には秋山郷の奥にそびえる苗場山、鳥甲山、さらに尾根を少し登れば妙高山や黒姫山などの北信五岳を望む。いずれも新潟、群馬、それに長野の県境周辺の山々だ。そこは、好んでこの地に暮らす僕にとって、まさに愛すべき裏山とでも呼ぶべき場所である。

この上越、信越の県境山稜は、残念ながら北アルプスのように万人を惹きつける山容をしているわけではない。南アルプスのような重厚なスケールの山々とも違うし、八ヶ岳のように利便性に優れた山でもない。でもこの山々は、ブナと雪が育む多様性にあふれ、沢登りや豪雪の雪山登山など日本的登山の醍醐味を味わわせてくれる。かつてはマタギが闊歩した領域は、いまなお豊富な山菜やきのこがあふれる宝の山だし、おいしい米や酒を里の暮らしにもたらす恵みの山でもある。

また、暮らしに欠かせない里山という一面がある一方で、その背後にはいまだ登山道すらない深い山並みが続いている。どこかしらあたたかい雪国の風土と得体の知れない自然の深みとが同居しているのも、この山域の大きな魅力のひとつだろう。

この県境付近に連なる山々を具体的に挙げると、群馬、新潟県境の平ヶ岳から越後三山、巻機山、谷川連峰、白砂山。さらに新潟、長野県境の苗場山塊から関田山脈、北信五岳、頸城山塊、海谷山塊などである。これらをすべて「僕の裏山」などと言うのはえらく独りよがりで乱暴だけれども、自分の暮らしの足元から始まる連なりが、大きな山塊となって構成されている世界を見ると、やはり「愛すべき裏山」とでも言いたくなってしまうのだ。

もちろん、ひとつながりの山脈ではないから、これらの山々を一言で表わす言葉はない。一般的には「上信越の山」と言われているが、「上信」(群馬、長野県境)に属する浅間山や妙義エリアなどは、雪国風土に根ざした他の山とは性格が異なるので僕の山行リストには入れていない。ちっぽけな日本という島国の、雪国という特異な地方。この風土に根ざした山脈を、あえて国境山脈と呼んでみたい。上越・信越国境山脈。美しく、気高い日本の里山を巡り歩きたいというのが僕の想いだ。

※本記事は『国境山脈』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

国境山脈

豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。 長野・群馬・新潟の県境周辺は百名山級の有名山岳だけでなく、 知る人ぞ知る隠れた名山も多く、古くから登山者に愛されてきました。

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