1972年3月の富士山大量遭難事故――。日本海低気圧の発達による春一番の暴風雨が引き起こした日本山岳史上最悪の大惨事

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

冬から春へと急速に季節が移り変わろうとしている今の時期、気をつけなければならないのが「日本海低気圧の発達」だ。この日本海低気圧により、日本山岳史上最悪の大惨事が起きている。この事故の状況を、今回は紐解いてみる。

 

ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。今シーズンはラニーニャ現象や偏西風の蛇行の影響で久しぶりの冬らしい冬となりましたが、それぞれの冬山を楽しむことができましたでしょうか。

例年より厳しい気象条件だったためか、年末年始の全国の遭難事故件数は昨シーズンに対して11件多い34件だったそうです。そして3月上旬に強い寒の戻りがあったあとは、季節の歩みは確実に進み、一気に春ステージになっています。

しかし、春山では冬山とはまた違った気象遭難のリスクがあります。今回のコラム記事は、この春山シーズンに起きた山岳遭難、1972年3月に起きた富士山大量遭難事故について取り上げたいと思います。この遭難事故では24名の方が死亡・行方不明となる、一般の登山者による日本山岳史上では最悪の大惨事となりました。これは日本海低気圧による遭難の典型的な事例で、将来気候ではこの日本海低気圧によるリスクが増える可能性があることを、最初に言及しておきたいと思います。

図1.東海道新幹線から望む富士山の雄姿 (2014年1月16日に筆者撮影)

 

1972年3月に起きた富士山大量遭難事故の概要

この遭難事故は富士山の御殿場ルートで起きています。御殿場ルートは静岡県側から見た図1の右側(富士山の東側)から登っていくルートです。右側の小さなピークは宝永山で、この付近が5合目です。詳細は、「Wikipediaの富士山大量遭難事故 (1972年)」にまとめられていますので、一読をお勧めいたします。概要をまとめると、以下のようになります。

1972年の3月は、18日(土)、19日(日)、20日(春分の日)と三連休となっていて、19日の富士山には55名の登山者が入山していた。翌20日は日本海の低気圧が発達しながら北東方向に進み、この低気圧に向かって強い南風が吹き込むという典型的な“春一番”が全国的に吹き荒れた。

特に富士山では19日夜半から横殴りの冷たい雨が降り、翌日も前夜からの雨が降り止まず、午後になると風速31~35m/sの暴風雨となった。そのため雨に対する装備がほとんどなかった遭難者の濡れた身体の体感温度は、マイナス30~40℃になったと推定され、体力を急速に奪われた。

遭難した静岡頂山山岳会の9人は、ビバーク(野宿)していたが防水の装備がなかったためびしょ濡れになり、朝方下山したが、激しい雨に打たれ7人が凍死した。清水勤労者山岳会の11人は、風雨の合間を見て単独登山者とともに下山したが、午後になり強い風雨のため7人が衰弱して死亡、5人が雪崩に襲われて、かろうじて1人だけが御殿場署にたどり着いた。そのほか6人が行方不明となったが雪崩による死亡と断定されている(防災情報新聞・無料版2012年3月20日号の記事などをもとに修正・加筆)。

 

何が起きたのかをJRA-55によって再現

遭難事故当時の3月20日の気象庁による天気図は、デジタル台風Webサイトの100年天気図データベースで見ることができます。しかし一般の方には分かりにくく、また9時と21時の天気図しかないため、20日午後に“猛烈な風雨”(防災情報新聞)となった時の状況を知ることはできません。そこで、JRA-55データ(気象庁55年長期再解析データ)を使って、当時の天気図を再現してみました。

まず、猛烈な風雨となった20日15時の地上天気図を図2に示します。日本海低気圧は発達しながら東北東に進み、15時には東北地方の北部付近に進んでいます。

図2. JRA-55データを使って再現した1972年3月20日15時の地上天気図(筆者による解析)


低気圧の東の強雨域①は閉塞点(閉塞前線と温暖前線の境目)、中部山岳付近の強雨域②は寒冷前線のキンク(前線が北側に折れ曲がっている点で、南から大量に暖かく湿った空気が入っていることを示す)に対応していると思われます。富士山は中部山岳の強雨域に掛かりつつあります。

低気圧の中心気圧は992hPaであり、大陸にある1024hPaのシベリア高気圧と、東海上にある1020hPaの太平洋高気圧との間で等圧線の間隔が非常に狭くなっています。等圧線の間隔が狭いほど気圧の傾きが大きいことを示しているので、まるで空気が急斜面を滑り落ちるように強い風が吹いていることになります。

実際、富士山の周辺は麓でも約15m/sの南西の強風が吹いていました。風速15m/sと言ってもピンと来ないかもしれませんが、台風なら強風域に相当するかなりの強い風となります。

 

春ならではの『冬と夏とのせめぎ合い』で猛烈な風雨に

山の気象において大事なことは、平地と山の天気は違うということです。そこで、実際に遭難事故が起きた750hPa(標高約2500m、5合目付近)の天気図を、JRA-55データを使って作成してみました(図3)。すると、特に低気圧の南側で等高度線(見方は等圧線と同じ)の間隔が非常に狭くなっていることが分かります。富士山5合目付近では風速31~35m/sと記録に残っている通り、JRA-55による再現でも約30m/sの南西の暴風が吹いていることが確認できます。

図3. JRA-55データを使って再現した1972年3月20日15時の750hPa天気図(筆者による解析)


ところで、このような暴風がなぜ吹いたのでしょうか。それは、北極の寒気を持った北側の低気圧の空気と、熱帯の暖気を持った南側の太平洋高気圧の空気が、日本付近で激しくぶつかり合っていたためです。季節を冬から夏へと押し進めようとする春というシーズンならではの、冬の冷たい空気と夏の暖かい空気とのせめぎ合いは、いわゆる『爆弾低気圧』が発生する原因であり、今回のような台風並みの猛烈な風雨となる原因にもなるのです。

 

5合目付近は完全に雨!! その後は気温が急低下

では、現地ではどのような気象の推移だったのでしょうか。図4に標高ごとの気温、図5に標高ごとの風速の推移を解析した結果を示します。まず気温ですが、事故パーティーが雪上訓練をしていた5合目付近(750hPa)では、19日21時に0℃まで低下したあとは、暴風雨となった15時頃には5℃まで上昇して、雪ではなく雨になっています(図4)。

図4. JRA-55データを使って再現した遭難事故時の気温の推移(筆者による解析)


次に風速の推移(図5)を見ますと、20日15時がピークであり、標高1500~3000mまで約30m/sの暴風が吹いていたことが分かります。ちなみに、台風ならば風速25m/s以上が暴風域に相当するので、凄まじい風が吹き荒れていたことになります。

図5. JRA-55データを使って再現した遭難事故時の風速の推移(筆者による解析)


現在では冬山のウェアでも防水に優れたものがありますが、当時は防水をあまり重視していないタイプの冬山ウェアの時代です。暴風が吹きつけると容赦なくウエアの継ぎ目から雨水が染み込んできます。 風速1m/sにつき体感温度は1℃低下しますが、身体が濡れていると暴風はそれ以上に体温を奪っていきます。単純計算で、15時の気温5℃から、風速30m/sに相当する30℃の体感温度の低下、さらに身体が濡れていることによる体感温度の低下を10℃と仮定すると、差し引きマイナス35℃の体感温度になります。記録に残っている通り、20日の午後はこのような非常に厳しい状況だったのです。

 

日本海低気圧によるリスクは将来さらに増える!!

ゴールデンウイークの頃であれば、雨になることを想定してレインウェアを持参することは、おそらく多くの方にとって常識と思います。しかし、この遭難事故では3月という早春の時期であったことが油断に繋がってしまったのではないかと思います。衣服を濡らした身体を強風にさらすことは非常に危険な状況であり、例えば2009年7月のトムラウシ遭難事故では濡れた衣服を着替えたかどうかで大きく生死を分けています。

さらに付け加えると、20日が3連休の最終日だったことも背景にはあったようです。翌日の仕事のため無理に下山してしまったことで事故に遭ってしまい、山小屋に停滞したパーティーは事なきを得ているのです。

また、雪崩のリスクに対しても知っておいたほうが良いでしょう。日本海低気圧の通過中は南から暖かく湿った空気が入るため、気温が大きく上昇します。雪の代わりに降った雨と気温上昇によって、雪同士や雪と地面との結合力が大きく低下するので、多雪地帯では雪崩の危険が非常に高くなります。実際にこのような気象状況では、過去に何度も雪崩による遭難事故が発生しています。

今回に限らず、日本海低気圧によるリスクとして『通過中は気温上昇し暴風雨と雪崩、通過後は気温急低下して暴風雪と低体温症』とまとめることができます。この鉄則を絶対に忘れてはなりません。それが日本山岳史上で最悪の大惨事の貴重な教訓を無駄にすることなく、同じような気象遭難事故を避けることに繋がります。

そして、将来気候ではこのような日本海低気圧によるリスクは、日本海を通過する爆弾低気圧の増加によって、ますます増える可能性があると筆者は考えております。拙著『山岳気象遭難の真実/過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』の第1章:恐い爆弾低気圧において将来リスクを考察しておりますので、お読みいただけますと誠に幸いです。

 

プロフィール

大矢康裕

気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属し、山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。2022年6月と2023年7月にNHKラジオ第一の「石丸謙二郎の山カフェ」にゲスト出演。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社)

 ⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
 ⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
 ⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室

山岳気象遭難の真実~過去と未来を繋いで遭難事故をなくす~

登山と天気は切っても切れない関係だ。気象遭難を避けるためには、天気についてある程度の知識と理解は持ちたいもの。 ふだんから気象情報と山の天気について情報発信し続けている“山岳防災気象予報士”の大矢康裕氏が、山の天気のイロハをさまざまな角度から説明。 過去の遭難事故の貴重な教訓を掘り起こし、将来の気候変動によるリスクも踏まえて遭難事故を解説。

編集部おすすめ記事