雨乞い祈願の山、雨飾山を新緑と残雪の季節に訪ねる

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豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。写真家の星野秀樹さんは信越国境の山村に暮らし、山々を訪ね、その魅力を追い続けています。星野さんの著書『国境山脈』(山と溪谷社)から、雨飾山を紹介します。

 

威圧的にそびえる布団菱岩峰群・中央岩峰を荒菅沢から望む

 

輝く残雪と岩峰群に飾られた、雨乞い祈願の山を訪ねる

沢沿いの登山口から湿った急登をたどると、ほどなく残雪と新緑の森に出た。ブナ平だ。雪に閉ざされた冬の暮らしが続き、しばらく目にすることがなかった淡い緑がまぶしい。いったいこの森は、冬の間にどのくらいの雪を蓄えていたのだろう。空を覆う大きなブナの根元には、春の訪れを告げる、これまた大きな根開けの穴が開いている。木々の間から見透かす対岸の峰々は、白と緑のまだら模様を山腹に広げて、混在する季節を着飾っていた。

雨飾山にやってきた。実は少し前にスキー中に滑落、ケガをして、大切な季節を棒に振ってしまった。でもやっと悶々とした日々に別れを告げて、今日また山に向かうのだ。

「雨飾山」というのは、雨を飾る山、あるいは雨に飾られる山、という意味だろうか。雨乞い祈願の山、というのがその名の由来といわれているが、いつも雨に見舞われる山だから、という説もあるらしい。実際、日本海間近にそびえる山塊は気象変化が激しく、雨とは縁深い山に違いない。かつては「天錺」の字があてられたこともあったと聞く。これだと「天」の「飾り物」ということか。特徴的な布団菱の岩峰群を指しての呼び名だったのかもしれない。「雨」にせよ「天」にせよ、それを「飾る山」だなんて、なんともすてきな名前だと思わずにいられない。

ブナ平を後に、木々を縫うようにして雪の登路をたどる。雨飾山から延びる南尾根の支稜に上がると、新緑の波間の向こうに、ドーム状の頂上をいからせた高妻山が姿を見せた。

豊富な雪を残す荒菅沢を渡る登山者。まるで小さなアリのように続く

ルートはここから荒菅沢に向かって大きく下る。豊富な残雪に覆われた沢をトラバースする登山者が、まるで小さなアリのように続く。傾斜の強い斜面が、いまだケガが完治していない体には少し怖く感じられる。思いのほか硬い残雪が、情けない滑落の記憶を呼び覚ます。とはいえ、明るい沢中には悲壮感はない。豊富な残雪と、山肌を這い上がる新緑。すべてが明るい陽光に輝いている。沢の奥に目をやると、鋭く屹立する岩が目についた。布団菱岩峰群の一角、P1中央岩峰だ。雪とヤブと岩が構成する登山の世界に思いが広がる。いや、むしろ妄想と言うべきか。あのヤブ尾根を伝って、あの雪のルンゼをたどって、あの岩肌を攀じって。スケールは小さいけれど、さまざまな要素が混在するこんな山の風景が、僕は大好きだ。

残雪の谷歩きを終えるとヤブ尾根の急登だ。焼山や金山、高妻山、遠く戸隠山が背後に波打つ。登山道脇にはオオバキスミレやシラネアオイなどが咲き、急登のつらさを忘れさせてくれる。

やがて笹平。ここで信越の国境稜線に出る。シゲクラ尾根を経て火打山、妙高山へと続く連なりは魅力的な縦走路だが、焼山の火山活動により立ち入り規制が敷かれ、たどることができない時期もあった。また、金山から高妻山へと続く国境稜線にはいまだ登山道はなく、それゆえになんとも惹かれる山稜だ。正面には雨飾山。山頂は南北二つのピークからなるが、両ピークの距離が近く標高差も小さいため、双児峰というよりもどっかりと迫力のあるドームに見える。そして何より目を引くのは、駒ヶ岳や鬼ヶ面山、烏帽子岳など奇怪な山容を見せる海谷山塊だ。スケールこそ小さいが、やはりそこは岩と雪と、沢とヤブが招くワンダーランドである。

さて、いよいよめざす雨飾山へ最後の登りにかかった。深田久弥は『日本百名山』の中で、この雨飾山を「久恋の山」だと語る。久弥は三度目の挑戦で、道なき荒菅沢から頂上に立ったのであった。なら自分にとってはどうか。春先にぶざまなケガをして、でも再び頂に立てるうれしさや、登山の楽しさを、今実感している。そんな想いそのものが、僕の雨飾山である。

石仏が並ぶ雨飾山の頂上。姫川を挟んで白馬北方稜線が連なる

 

『国境山脈』

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星野秀樹
1968年福島県生まれ。同志社山岳同好会OB。ヒマラヤ、天山山脈などで高所登山を経験した後、北信州飯山の豪雪の山村を拠点に、剱岳や黒部源流域、上越・信越の山々、北米のウィルダネスなどを撮影。最近は山岳地帯や里山に生きる先人たちにも惹かれ、その言葉に出会う旅も続けている。著書に『雪山放浪記』『剱人』『ヤマケイアルペンガイド 北アルプス 剱・立山連峰』(いずれも山と溪谷社)がある。

 

美しく気高い国境山脈へ

群馬と新潟、新潟と長野の境をなす山稜は、日本有数の豪雪地帯であり、ブナ帯文化の世界でもある。その多くは人の暮らしから隔絶された孤峰ではなく、人の暮らしとともにある里山だ。そんな山々の麓に、僕は今暮らしている。ブナと雪、それに日本海側の風土に惹かれて、新潟と長野の県境、信越トレイルが通る関田山脈の麓に移住したのだ。家のすぐ裏から始まるブナ林と、例年4m前後に達する積雪は、けっして美しいばかりではなく、厳しい自然の現実をも思い知らせてくれる。ここでは、暮らしの中にいても山を漂っているかのような感覚になる。

この里から眺める風景は、雪とブナの稜線だ。背後には関田山脈、千曲川の流れの向こうには越後三山や巻機山など魚沼の山々が。正面には秋山郷の奥にそびえる苗場山、鳥甲山、さらに尾根を少し登れば妙高山や黒姫山などの北信五岳を望む。いずれも新潟、群馬、それに長野の県境周辺の山々だ。そこは、好んでこの地に暮らす僕にとって、まさに愛すべき裏山とでも呼ぶべき場所である。

この上越、信越の県境山稜は、残念ながら北アルプスのように万人を惹きつける山容をしているわけではない。南アルプスのような重厚なスケールの山々とも違うし、八ヶ岳のように利便性に優れた山でもない。でもこの山々は、ブナと雪が育む多様性にあふれ、沢登りや豪雪の雪山登山など日本的登山の醍醐味を味わわせてくれる。かつてはマタギが闊歩した領域は、いまなお豊富な山菜やきのこがあふれる宝の山だし、おいしい米や酒を里の暮らしにもたらす恵みの山でもある。

また、暮らしに欠かせない里山という一面がある一方で、その背後にはいまだ登山道すらない深い山並みが続いている。どこかしらあたたかい雪国の風土と得体の知れない自然の深みとが同居しているのも、この山域の大きな魅力のひとつだろう。

この県境付近に連なる山々を具体的に挙げると、群馬、新潟県境の平ヶ岳から越後三山、巻機山、谷川連峰、白砂山。さらに新潟、長野県境の苗場山塊から関田山脈、北信五岳、頸城山塊、海谷山塊などである。これらをすべて「僕の裏山」などと言うのはえらく独りよがりで乱暴だけれども、自分の暮らしの足元から始まる連なりが、大きな山塊となって構成されている世界を見ると、やはり「愛すべき裏山」とでも言いたくなってしまうのだ。

もちろん、ひとつながりの山脈ではないから、これらの山々を一言で表わす言葉はない。一般的には「上信越の山」と言われているが、「上信」(群馬、長野県境)に属する浅間山や妙義エリアなどは、雪国風土に根ざした他の山とは性格が異なるので僕の山行リストには入れていない。ちっぽけな日本という島国の、雪国という特異な地方。この風土に根ざした山脈を、あえて国境山脈と呼んでみたい。上越・信越国境山脈。美しく、気高い日本の里山を巡り歩きたいというのが僕の想いだ。

※本記事は『国境山脈』(山と溪谷社)を一部掲載したものです。

国境山脈

豪雪が削り出し、研ぎ上げた個性的な山々が連なる上越・信越国境。 長野・群馬・新潟の県境周辺は百名山級の有名山岳だけでなく、 知る人ぞ知る隠れた名山も多く、古くから登山者に愛されてきました。

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