樹齢400年のブナが倒れ、主を失った森の未来に思いを馳せる|北信州飯山の暮らし

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日本有数の豪雪地域、長野県飯山市へ移住した写真家・星野さん。里から森と山を行き来する日々の暮らしを綴ります。第29回は、倒れた老木に思いを寄せて。

文・写真=星野秀樹

 

 

老木が倒れても、繋がっていく森の未来

鍋倉山の巨木ブナ、森太郎がとうとう倒れてしまった。

樹齢400年とも言われる老木。鍋倉山のシンボル的存在として長く親しまれてきた存在だった。(本連載2021年5月「小さくて大きい鍋倉山」参照)

 

2021年5月の森太郎

 

その最後はどんなだったのだろう、と想像してみる。厳しい冬が過ぎ去った5月のある日、それは突然起きたに違いない。いや、人間の時間にすれば突然でも、森太郎にとってはジワジワと長く耐えてきた最後の瞬間だったかもしれない。すでに腐って弱っていた幹の谷側からメリメリと亀裂が入り、芽吹き始めた枝ごと折れ裂ける。周辺の若木を巻き込みながら、その巨大な幹がまだ雪に覆われた地面へと倒れ落ちた時は、激しく地を揺るがしたに違いない。同時に幹はバリバリと折れ分かれ、いくつもの大きな樹塊になった。

森の主が崩れ落ちる様を、アカゲラは見ていただろうか。カモシカはその音を聞いていただろうか。立ち込めたであろう木と土、雪や水、それに柔らかい新緑の入り混じった匂いを、森の住人たちは嗅いだだろうか。

 

ヤブがうるさくなり始めた残雪の斜面を、僕は、倒れてしまった森太郎に会いに登っていった。夏道はまだ雪の下なので、登りやすいところを選んでたどっていく。ほどなく尾根を乗越して、今度は谷中へとヤブを伝って下る。4月の初めにスキーを履いてこの尾根をたどったとき、樹間から森太郎の姿を垣間見たのを思い出す。遠くからでもその存在がわかる老木を見つけ、ああ、この冬も無事に乗り切ったんだな、と想いを寄せたのだった。

新緑が広がる残雪の谷。その一角に、巨大な老木は倒れていた。見覚えのあるゴツゴツとした太く白い幹が地を這うように横たわっている。倒れてもなお、その存在感は大きい。裂け折れて、今も地に根を張り留まる幹は、天を突くように空を見上げている。周囲にはナッツを思わせる香りが漂っていた。

幹の中は広い空洞になっていた。ウロの中に頭を突っ込んで見上げると、折れた天井部分から、青空に映える淡い新緑が見える。このウロに過ごすケモノもいたのだろうか。鍋倉山の馬蹄形の尾根に囲まれた谷の中、その中で一際目立つ巨木ブナ。ウロの中には代わる代わるケモノたちが集って…。山に、森に、木に抱かれた、森の住人たちと森太郎の暮らしを、倒れてしまった老木の脇に寝そべりながら想像してみるのだった。

 

 

そうして見上げる空は広く明るい。すでに老木であった森太郎の枝振りは決して勇壮なものではなかったが、しかしやはり森太郎が占有していた空は大きく広がり、周囲には明るい光が降り注いでいる。森太郎は倒れてしまったが、若いブナはもちろん、まもなく地面から芽生えるであろう小さな生命にとっては、これから100年、200年という時を生きていくまたとないチャンスだ。

土から芽生えるものだけではない。倒れてしまった森太郎の樹塊に着生し、その朽ちていく木を養分として育っていくものもいるはずだ。光や水、土や養分を奪い合う厳しい生存競争の末、やがて、かつて森太郎のものだった占有空間に大きく枝を広げ、この森を代表する巨木へと育っていくものがいるかもしれない。

残念ながら僕ら人間の時間ではそんなブナの姿を見ることはできないけれど、森の時間は静かに確実に木々を育んでいく。森太郎が400年前に芽吹いた時に始まったような時の流れが、またこの森で繰り返されるのだ。それは、躍動する生命に満ちた森の姿に他ならない。

 

 

 

●次回は7月中旬更新予定です。

星野秀樹

写真家。1968年、福島県生まれ。同志社山岳同好会で本格的に登山を始め、ヒマラヤや天山山脈遠征を経験。映像制作プロダクションを経てフリーランスの写真家として活動している。現在長野県飯山市在住。著書に『アルペンガイド 剱・立山連峰』『剱人』『雪山放浪記』『上越・信越 国境山脈』(山と溪谷社)などがある。

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