ドルポ最大の聖地、シェー山に到着。周回巡礼の想い出と共に、シェー三大ゴンパを訪れる

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いよいよ、ドルポ最大の聖地であるシェー山の山麓へと辿り着いた稲葉さん一行。旅の途中、ずっと気になっていたシェー山の頂の「何か」について尋ねたり、古い寺院を訪ねたりして、シェー山での河口慧海の足跡をたどるのだった。

 

9/22 ついにドルポ最大の聖地「シェー山」に到着

ジョムソンから出発してアッパームスタンを周遊しアッパードルポに入る今日までのトレッキングは30日目を迎えていた。その30日目に、ようやくシェー山(5576m)の懐に到着したのだ。

私にとってシェー山は3度目の訪問だ。現地ではシェーギリウォ・ドゥクダ(龍が鳴く水晶山)と呼ばれており、この山にある霊場は13世紀初めにディクン・カギュ派の行者センゲイェシェーによって開かれたそうだ。

900年前、行者が霊場を開く際に空中を飛んで穴をあけたと経典に記載されており、実際にこの時の穴が山中には存在する。穴の大きは4人が入れる大きさがあり、僧侶だけが行ける場所にあるという。また、周回巡礼を13回行った人は山頂へと行けるようになるそうだ。

余談になるが、チベットでは「13」は吉祥の数字で、13回を目標にする巡礼者も多い。この「13回」という話から、私はふと、西チベットの聖山カイラス(※)に行った時にも同じような話を聞いたことを思い出した。カイラスでは13回目に新たな道が案内されると言っていた。そういえばカイラスとシェー山は兄弟とみなされていて、密教の守護尊チャクラサンヴァラの御座所として祀られている。

カイラスは、四大宗教の最大聖地の山。ヒンドゥー教徒にとってはシヴァ神と妃パールヴァティー女神の玉座であり、ジャイナ教徒にとっては祖師リシャバの解脱の地とされている。
また、ボン教徒には開祖シェンラプ・ミボの降臨の地。仏教徒にとっては南面の崖に卍を刻む須弥山であり、とりわけチベット仏教徒にとっては、カイラスこそが釈迦牟尼そのものと崇められている。
また、密教の主尊サンヴァラとその妃ヴァジラヴァーラーヒーの御座所ともされ、行者パドマサンバヴァが魔神たちを調伏したというゆかりの地でもある。


そんなシェー山には「三大ゴンパ」と言われる、3つの大きなゴンパがある。ゴンパとはチベット仏教の寺院のこと。それぞれ、800年ほど前に建てられたもで、3つのうちゴモチェン・ゴンパが一番古く、次いでツァカン・ゴンパ、そしてスムド・ゴンパが建立されている。

ベースキャンプからツァカンゴンパとゴモチェン・ゴンパへと向かう。左手前の山肌にゴモチェン・ゴンパが小さく見える。肉眼で確認出来た際に撮影


スムド・ゴンパは、シェー山のベースキャンプの中心あたりにあるので行きやすいが、残りの2つはそこからは遠く離れていて見えない。スムド・ゴンパから北西へ、山肌を縫うように登り坂を上がって行くと、ゴモチェンゴンパが遠くに小さく見えてくる。もっとも、山肌と一体化してるので言われないと分からないほど遠い。今回は意識しながら歩いていたので、肉眼でゴンパを視認できた。

さらに足を進めて、目印のように出てくるチョルテン(仏塔)を過ぎるあたりから、周囲の山肌は美しい紅葉で彩られていた。アッパードルポは森林限界で樹木がほとんないため、紅葉を楽しめるとは思ってもいなかった。紅葉に見惚れながら、小さな道をさらに進んで行くと、まずは2番めに古いツァカン・ゴンパに到着した。

シェー三大ゴンパの1つ、2番めに古いツァカン・ゴンパ


今回(2016年)の訪問では、2007年(大西隊)で来た時と同じ僧侶に話を聞かせてもらえた。彼は、両親がチベットから亡命中、チベットのタルチェンから1日歩いた場所で生まれて、シェー山にきて28年目だという。

その彼に、ずっと気になっていたことを早速聞いてみた。「シェー山の山頂に何か見えました、何があるのですか?」と質問すると、「数日前、ここの僧侶が巡礼しタルチョ(旗)をたてた」という。あまりにタイミングが良すぎて驚いた。登った人の名前はサルダン出身のプルマ・チェンレといい、聞き覚えのある名前だった。彼もまた2007年に来た時にいた修行僧の一人であった。

彼は周回巡礼を13回行い、14回目にシェー山の山頂へと行ったという。巡礼は毎日のように行ったそうで、一周にかかった時間は5時間だと言っている。私は休憩を入れながら約10時間はかかった。ということは、彼のペースは、私の感覚ではほぼ走っていたことになる。

シェー山の山頂に見えた旗。僧侶が巡礼してタルチョ(旗)をたてたことがわかった


シェー山の懐のベースキャンプの標高は約4300mで、そこから巡礼をするとなると標高約5000mの峠、ヤルメン・ラを通ることになる。距離すれば約20kmだが、日本の山を20km走るのとはわけが違う。高度に完全順応していた私もこの標高では厳しい。試しにちょっと走ってみたが、峠の登りを出来るだけ早く駆け上がっただけで、酸欠で死にそうになった。彼の体力には驚かされる。

さて、ツァカンゴンパ到着後、僧侶は私達を本堂に案内してくれた。彼はここで冬も過ごしていると言う。私はいつか、冬に滞在してみたいという思いがあったので、その要望を伝えてみると。「食糧を持ってきたら泊まってくれていいよ」と言う。私は驚きと同時に嬉しくなって、「本当??に」と、何度もガイドの通訳挟んで聞き返してもらった。

僧侶に本堂に案内しもらい、記念撮影


先の話をここでしてしまうと、この会話をきっかけに私はドルポ越冬を本気で考え始め、その3年後の2019年の冬から2020年かけて越冬した。この越冬が評価されて、第25回植村直己冒険賞をいただいた。越冬中に、きっかけとなったこの僧侶に会いに行こうと思い、ちょうど2019年末の12月31日に向かったが、厳冬期の標高5000mの峠は超えれず、シェー山に行けずに会うことはできなかった。

話を戻そう。ツァカン・ゴンパ見学後は、さらに奥にあるゴムチェン・ゴンパに行った。このゴンパは13世紀にこの霊場を開山したディクン・カギュパ成就者のドゥプトプ・センゲイェシェ(1181-1255)により建立された。西チベットに布教していた同派の勢力範囲はドルポに及び、ニサルの一番古い瞑想窟のあるマルコム・ゴンパが開山され、次にこのゴモチェンの瞑想窟が開山され、のちにゴンパも建立された。

ゴムチェン・ゴンパはシェー三大ゴンパの中でも一番古い寺院であるが、イギリスの仏教学者であるディヴィット・スネルグローブ教授(故人)でさえも、訪れていないほど奥まった場所にある。今回の訪問では、ゴンパには誰もいなかった。私は以前2007年・2012年に訪問したときに、中をじっくり見せてもらって撮影もしていたので、今回は外からの撮影だけにして帰路についた。

シェー三大ゴンパの中でも一番古い寺院であるゴムチェン・ゴンパ

 

ところで、慧海師のシェー山周回巡礼については、チベット旅行記には記載されていない。ただし、2004年に見つかった日記には、この巡礼について詳しく書かれている。奥山直司編として出版された「河口慧海日記」によると――。

慧海師は、6月27日にシェーゴンパに到着し、その夜はチベット側の道路状況について聞いている。そして「北原(チャンタン)は、河水氾濫して進むに由なし」と聞いたと記されている。これは、誰に聞いたのだろうか? 巡礼者や修行僧と思われるが、国境を超えた先の情報を聞くのは緊張したに違いない。

28日の朝には、ラマ・シェンチェンなる人物に会っている。彼はシェーの主(あるじ)であると同時にドルボの郡長であり、ツァカンゴンパの窟院を住まいとしていたという。そして彼は、慧海を怪しい人物とみていたようだ。当時のシェー・トゥルク(チベット仏教の高位僧侶の転生者)は3世ウギェン・テンジンなので、慧海師が会ったのはおそらくこの人物だろう。また、もう一つの出来事として、慧海師はツァルカで雇った案内人を解雇しているとも記している。

29日は靴の修理と股引きをつくろうために逗留し、30日にシェー山を巡礼している。慧海師のシェー山巡礼の案内人はサドゥー(修行僧)だった。彼もまた13回巡礼する願を立てており、慧海師を案内した時は9回目だったという。案内中、ある岩をさして「あれはランチュン(自然生)のミラレーパ尊者である」と説明したそうだ。ミラレーパとは、11~12世紀のカギュ派の祖師で、ヒマラヤの苦行業聖人として、また宗教詩人としても名高い人物である。

慧海師は巡礼中に奇岩奇峰をたくさん見て説明を受けたものの、どれも後世の作り話としか思えなかったといい、感想としては子供だましに過ぎないものを大真面目に拝んでいると述べている。それはヒマラヤの民の素朴な心とは逆の表現ともいえよう。

また日記には「行程10里」とあるが、これは距離ではなく10時間かかったということだ。私はこのシェー山の周回巡礼を2回行っていて、1度目は2007年の大阪山の会西北ネパール登山隊(故 大西保隊長)での遠征だった。9月14日のことで、登りには馬を使い気持ち良い快晴の中をゆったりと約8時間かけて歩いた。2度目は2012年の8月31日で、12年に1度のチベット仏教の巡礼祭のときだった。すべて徒歩で小雨と小雪の中を、約10時間で巡礼した(どちらも休憩時間含む)。

この経験により慧海師と自分の巡礼にかかった時間が同じということで、ようやく当時の慧海師が歩いていた速さを実感、私が頑張った時の速さが慧海師の通常の速さだった。ちなみに現地の人の足では6時間ぐらいだという。

ここからは私が2回巡礼した時と「河口慧海日記」と重ねて書き記したい。

シェーゴンパの近くのテント場から巡礼道のケルンまで歩いて1時間ほどでハルブンコーラという川に出る。その川沿いをポクスムド湖方面に南へ行くとケルンがあり、そこがシェー山の入り口となる。ケルン前後は岩山が褶曲山脈となり、独特な雰囲気を感じる。

シェー山周回巡礼の入口の様子


水晶が中に潜んでいる白い石も落ちていた。そこからの登りは、河口慧海日記にも出てくる奇峰奇岩が見られる。そこには、大きくオンマニペメフムと彫られていて、ここからいよいよ聖なる山に入るんだと実感する。この空気感がたまらなく気持ちよかった。

「河口慧海日記」には、このあたりの記述として、岩から水が湧き出てるところがあり、そこはガンガーの源泉であろうとあると書いている。巡礼中、それらしき場所で巡礼者が石を積み祈りを捧げていた。

この巡礼コースでは、晴れているとツォ・カルポカン(6556m)、パチュムハム(6589m)、タクヘコピークが見える。そのタクへコピークは北を指す目印の山だ。峠ではたくさんのケルンがある。2012年の大祭の時は、五体投地をする年配の人もいれば、携帯で写真を撮る若者もいて、時代が交差しているのを感じた。

巡礼者はさまざまで子供が子供を連れていたり、逆に親を引っ張っている子供もいた。そして、まだ1~2歳の赤ん坊を背負っている母親もいて、泣い ているのに気にしない素振りだった。子供はしだいに泣き止む、この地で生きている強さを感じた。

チベット人は輪廻転生を考えるというが、私は自分の近い将来の事を考えていた。最後の分岐からは先を行けば、ツァカン・ゴンパとゴモチェ・ゴンパ、そこから下ると、スムド・ゴンパの麓にあるベースキャンプに到着する。私は前日にその2つのゴンパを見学していたので、スムド・ゴンパに下山し た。

晴れていたら途中ツァカン・ゴンパを見ながらの下山。巡礼者は懐の中に何か忍ばしてるのかな? と思い、私達はザックに基本装備がきっ ちり入っていて、服は軽量、雨具や靴は防水、なんだか申し訳ない気分になった。彼らは、民族衣装で歩きにくいだろう、重いだろう、乾きはどうなんだ? など考えながら私の10時間の巡礼は終わった。

2度めの巡礼を行った際に様子。約10時間の長丁場だった


ベースキャンプに着いたら虹が出ていた。なんだがご褒美をもらった気がして心と体は大満足、疲れてはいたがキャンプ地には戻らず、そのまま大祭を見に人々が集まるところへと見学しに行った。

(著書:西ネパール・ヒマラヤ最奥の地を歩く~ムスタン、ドルポ、フムラへの旅~(彩流社)から一部抜粋)

 

9/23 シェー山巡礼せずに、 岩峰チェックに時間をかける

翌朝、シェーゴンパの僧侶がテントに来てくれて、話を聞かせてくれた。 シェー山には、聖なる地で村を作らないというルールがあり、このあたり一帯には結界があり、祈りを捧げる場所があると言っていた。

そして、 シェーゴンパの壁画についても教えてくれた。この壁画は、約30年前に9人で2年かかったというもので、その中にテンジン・ヌルブ氏()の父もいたようだ。そして、入り口の扉は12年に1度色を塗り替えていると言っていた。今のシェーゴンパは、1958年の西北ネパール学術探検隊が撮影したものとは様子が変わっていることになる。聞くところによると、現在の僧侶の父が35年前にお寺を拡大して作り直したという。月日と共に、少しずつ増築されてるいるようだ。

テンジン・ヌルブ氏とは、ドルポのティンキュー村出身で映画「キャラバン」のモデルになった人物で僧侶であり画家でもある。

なお、1958年の貴重な写真は、大阪国立民族博物館のネパール写真データーベースに貯蔵されている。それはWEBでも一般公開されているので、気になる人はぜひ確認してほしい。

■大阪国立民族博物館・ネパール写真データベース

https://htq.minpaku.ac.jp/databases/nepal/


私は今回シェー山巡礼をせずに、 周辺の岩峰チェックに時間をかけることにした。先に触れたようにシェー山はすでに2回巡礼していたのが理由なのだが、それよりも是非現地で調べたいと気になっていることがあったからだ。それは、河口慧海日記にあった、このような記載だ。

中央に在る大厳の二山を指して曰く、これ冥界の二大王にして、一つは白道の王として、一つは黒道の王となりと

この表現について、慧海師のいう「大厳の二山」がどこの山を指すのかについて、現場で再確認をしたかった。故 大西保氏が現地で山の写真を撮影していて、その写真から、だいたいの場所の目星はつけていたので、現場に行けばわかるだろうと思っていた。

しかし、それらの二峰が在るだろうと思っていたところになくて、高度が上がるつれてあたりが白くガスってきた。そしてまもなく吹雪となり、時間も差し迫ってきたため、見えるところだけをひたすら撮影して下山を急いだ。帰国してからそれらの写真を確認したが、いまだにその二峰がどれなのかは不明だ。また次にシェー山を訪れた際には、ぜひ確認したいと思っている。

このとき撮影した写真の1枚。この二峰は、慧海師のいう「大厳の二山」だろうか?


*     *     *

余談となるが、2019年の11月から2020年3月までのドルポ越冬をした際に、この2016年の旅で出会った修行僧プルマ・チェンレの兄と出会った。ドルポ越冬から下山する時のポーターになってもらうことになったためだ。私はいつも撮影させてもらった人には、写真を渡すようにしていて、この時も渡そうと思って持参していたので、タイミングよく出会えたことが嬉しくて、ガイドを通して話かけてもらうと、去年(2018年)に亡くなったと言われた。

詳しく聞かせてもらうと、冬のシェー山巡礼に仲間3人で行き、みんな雪崩にあってしまったという。隣の村にいた兄はすぐ駆けつけたが、危ないから近づいたらダメだと言われて、3日間雪に埋もれたままとなり、兄はとても悲しい顔して悔しそうに言った。

この年は36年ぶりの大雪で、隣の家に行くのも一苦労だったという。沢山のヤクが死んだり雪崩があったりしたこと、私は情報としては知っていたが、冬のドルポの厳しさを目の前で叩き付けられたようだった。雪崩の場所を聞かせてもうと大体わかった。今度行くときは彼のために巡礼したいと思う。

プロフィール

稲葉 香(いなば かおり)

登山家、写真家。ネパール・ヒマラヤなど広く踏査、登山、撮影をしている。特に河口慧海の歩いた道の調査はワイフワークとなっている。
大阪千早赤阪村にドルポBCを設営し、山岳図書を集積している。ヒマラヤ関連のイベントを開催するなど、その活動は多岐に渡る。
ドルポ越冬122日間の記録などが評価され、2020年植村直己冒険賞を受賞。その記録を記した著書『西ネパール・ヒマラヤ 最奥の地を歩く;ムスタン、ドルポ、フムラへの旅』(彩流社)がある。

オフィシャルサイト「未知踏進」

大昔にヒマラヤを越えた僧侶、河口慧海の足跡をたどる

2020年に第25回植村直己冒険賞を受賞した稲葉香さん。河口慧海の足跡ルートをたどるために2007年にネパール登山隊に参加して以来、幾度となくネパールの地を訪れた。本連載では、2016年に行った遠征を綴っている。

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