高野参詣道の三谷坂を登り、白洲正子が「桃源郷」と評した天野の里へ

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「桃源郷」と評された里--。高野山の北西、和歌山県かつらぎ町に位置する天野の里は、標高約450mの盆地にあり、里の中心には1700年前の創建といわれる丹生都比売神社が鎮座する。また、北の丹生酒殿神社からこの丹生都比売神社に向かう三谷坂は、高野参詣道のひとつ。今回はその三谷坂から丹生都比売命降臨の山、小都知ノ峯へとたどるコースを紹介する。

写真・文=児嶋 弘幸

のどかな田園風景が広がる天野の里(二ツ鳥居より)

のどかな田園風景が広がる天野の里
(二ツ鳥居より)

 

JR和歌山線妙寺駅をスタート。三谷橋を渡り、紀の川の水でお酒を醸造し、神前に供えた事に由来する丹生酒殿(にうさかどの)神社へ。鳥居をくぐると大イチョウが枝を広げており、秋にはあたり一面、黄色の絨毯を敷き詰めたかのような光景が広がる。

丹生酒殿神社。大イチョウが圧巻

丹生酒殿神社。大イチョウが圧巻

晩秋、大イチョウは見事な黄葉に染まる

晩秋、大イチョウは見事な黄葉に染まる


神社西隣の「天野大社参道」の石碑を目印に三谷坂(みたにざか)の古道に入る。すぐのところに、道からは見えにくいが、宮滝がかかっている。宮滝には、滝に供えていたキュウリを子供に食べさせると疱瘡(天然痘)が軽くなったという言い伝えがある。

三谷坂に入ってすぐのところにかかる宮滝

三谷坂に入ってすぐのところにかかる宮滝


坂の途中で、しばし休息。振り返ると和泉山脈が美しい。かつて、白河天皇の第四皇子・覚法法親王(かくほうほっしんのう)は、度々この道を利用し、町石道と比較して「木陰があり、その上近道」と書き記している。笠石、鋒立岩・経文岩を通り過ぎ、うっそうとした植林帯の道に入る。頬切地蔵に立ち寄った後、高度を一気に上げて笠松峠へ。古道は車道で寸断されており、左は六本杉峠に続くが、ここでは右手の古道に入る。

笠石。よく見ると阿弥陀如来が彫られている

笠石。よく見ると阿弥陀如来が彫られている


やがて長閑な天野の里の田園風景が広がってくる。白洲正子が「こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが・・・、(中略)できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」と記している。春、天野の里のハナモモの丘では、桜とハナモモの競演となる。桃源郷とは、まさにこういった光景だろうか。

春、花々の競演となる天野の里、ハナモモの丘

春、花々の競演となる天野の里、ハナモモの丘


しばらくして丹生都比売命(にうつひめ)神社に着く。外鳥居をくぐると、豊臣秀吉の側室・淀君寄進の太鼓橋(輪橋)があり、楼門から本殿へと導かれる。かの弘法大師空海は高野山開創に際し、この丹生都比売命神社より神領を譲り受けたとされる。

丹生都比売命神の楼門

丹生都比売命神の楼門


神社に参拝後、笠松峠方面に少し戻り、六本杉峠に向かう。峠で高野山町石道と合流した後、右に進み、百三十三町石分岐から小都知ノ峯(おづちのみね)に登る。残念ながら展望はない。

六本杉峠。左は天野の里。手前は高野山町石道

六本杉峠。左は天野の里方面。手前は高野山町石道

小都知ノ峯。丹生都比売命が降臨、国見したと伝えられる

小都知ノ峯。
丹生都比売命が降臨、国見したと伝えられる


山頂を南に下って町石道と合流し、古峠から上古沢駅方面へ山腹を一気に下る。果樹畑の間を急下降、不動谷にかかる橋を渡って路地をひと登りで、南海電鉄上古沢駅に到着する。こぢんまりした駅からは見晴らしがよい。山旅の余韻に浸りながら帰途につこう。

古峠。前方は高野山方面だが、左の上古沢駅方面へ

古峠。前方は高野山方面だが、左の上古沢駅方面へ

 

三谷坂~丹生都比売神社~小都知ノ峯~上古沢駅

⇒ヤマタイムで地図を確認する

コースタイム:約5時間35分

プロフィール

児嶋弘幸(こじま・ひろゆき)

1953年和歌山県生まれ。20歳を過ぎた頃、山野の自然に魅了され、仲間と共にハイキングクラブを創立。春・夏・秋・冬のアルプスを経験後、ふるさとの山に傾注する。紀伊半島の山をライフワークとして、熊野古道・自然風景の写真撮影を行っている。 分県登山ガイド『和歌山県の山』『関西百名山地図帳』(山と溪谷社)、『山歩き安全マップ』(JTBパブリッシング)、山と高原地図『高野山・熊野古道』(昭文社)など多数あるほか、雑誌『山と溪谷』への寄稿も多い。2016年、大阪富士フォトサロンにて『悠久の熊野』写真展を開催。

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